日記: 9月24日(2016年)

 インターネットが普及して早20年あまり。

 死語でいうところのネチケット的な認識において、主流(?)たる考え方と、私の考え方にいくつかの点で相違がある。そこを、2点ばかり表明しておきたい。

 1つは、ゲームのスクリーンショットにおける名伏せ問題だ。

 スクリーンショット上の個人のキャラクター名などをどの程度隠すべきか、という問題。一般的には「隠せる限り隠す」というようなものをよく見るんだけども、私においては自分の利益になる場合を除いて、ほとんど隠す必要を感じていなかったりする。

 なんというか、自分のキャラクター名がどこかのスクリーンショットに載っているかもしれない、ということについて、「隠して欲しい派」の人はナーバスすぎるんじゃないか、ひ弱すぎるんじゃないか、と思うんだよね。

 私のように、原初の頃の殺伐としたオンラインゲーム界で渡り合ってきた経験からすると、オンラインという戦場はそんなにぬるい神経では、切り抜けていけないところだろ、と。名前が載る程度のことがなんなのだ、と。悪意を持って晒されるようなら問題だと思うけど、ただただそこにあるだけの名前まで配慮しすぎじゃないか、と。そう思うわけだ。

 ゲーム内だろうが、ゲーム外だろうが、オンライン上で衆目の下になにか情報を出したら、その瞬間にその情報は自分のものではなくなる、というくらいの覚悟が欲しいと思っている。名前を出されたくなかったら、名前を知るのが許可制、というようなゲームを探せよ、と思ってしまう。

 だから、「ゲーム内で不特定多数が確認できる情報」はスクリーンショットで基本的に隠さない。別に隠してもいいんだけど、面倒くさいから隠さない。本質的にその必要はないと思っているからだ。もちろん、本人が隠してと言ってくれば対応はするけども。

 ただ例外もある。

 まず「個人が失敗した瞬間」のような写真は使わない。これは普通、隠して欲しいだろう。決して名誉を毀損したいわけではない。過度で過保護なデリカシーを持たないようにしているだけだ。

 もうひとつは、「ゲーム内で不特定多数が確認できるものではない情報」は隠す。具体的にはチャットの内容であることが多い。tell、guild、groupの会話は隠す。say、shoutは場合によるけど隠さない場合が多い。このくらいはしないと、ただの暴露野郎になってしまう。

 そんなポリシーでいる。

 つづく。

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