日記: 9月30日(2016年)

 9月の日記カテゴリ更新キャンペーンも、無事欠けることなくいよいよ大団円。

 最後のテーマは、面白い記事があったので、タバコにしよう(内容はこの記事とはまったく関係ないけど)。

 タバコに関する私のスタンスは概ね以下のようなものだ。

  • 自分では吸う気はまったくない
  • 喫煙は愚行だと思っている
  • 喫煙者は自分とは違うタイプの人間だと思っている
  • 善意無過失の喫煙者の存在は財源になるのでよい
  • マナーの悪い喫煙者は死滅すべきだと思っている
  • スポット的に同席者が喫煙をするくらいなら気にならない
  • 喫煙者と生活することはできそうにない
  • 近しい人間には喫煙してほしくはない

 まず、自分で吸う選択はない。吸う意味がわからない。毒ガスを金を出して吸入? 最悪吸う事態になるとしても、お金をもらうべき案件。

 喫煙は、はっきりと愚行だ。ただだからといって喫煙者が絶対値として愚者だと言っているわけではない。人間は自分の趣味趣向のためにさまざまな愚行を行う生き物で、飲酒、暴食、ゲーム、等々、「しないほうが健康にはよい」ことをするものだ。その愚行のうちのひとつが喫煙だと思うということだ。

 私はタバコという愚行を選択していないだけで、他の愚行は行っている。そういう意味で、喫煙を選択した人とは、「趣味が違う」「わかりあえない部分がある」と思っている。価値観が違う。

 タバコに税金が課せられているというのは心地よい。私とは違うタイプの愚行選択者にペナルティーが与えられている、という事実は、裏を返せば自分が社会的に正しい愚行選択をしているという裏付けのように感じられて、ほのかな優越感を感じる。そのうえで国が潤う。いいぞもっとやれ。

 タバコが他の「愚行」に比べて問題視されるのは、マナーの面での悪印象が目立つせいだと思う。歩きタバコやポイ捨て、受動喫煙に対する関心の薄さなど。タバコに関係なく「愚か」な人が喫煙者になると、このような愚かさが表に出やすいので、全体の印象が効率よく悪くなる。

 受動喫煙の害はわかるけど、同席者がタバコを吸うときに申し訳なさそうにしていることには、逆にこちらが申し訳なさを感じる。大丈夫、数時間の飲み会の席での受動喫煙くらいは気にしないぞ。

 ただ、その一方で、自宅で恒常的に受動喫煙をしたいか、というと断固したくない。ベランダで吸う、とか言われてもいやだ。「ソト」だから許せるのであって、「ウチ」では拒否させてもらう。基本的には「穢れ」扱いなのだよ、私の中では。

 自分が選択していない愚行で身内が健康被害に晒されて欲しくない、それでは気持ちの落ち着けようがない、という身勝手な都合で、親兄弟には喫煙して欲しくない。いずれ不幸があるとしても、その原因がタバコであってほしくはない。

日記: 9月30日(2016年)」への3件のフィードバック

  1. Soul

    最近流行のアイコスは臭いも少なく煙も出ないから好ましい
    品切れ商法やってないでもっと流行れと

    返信
    1. Awayuki

      私もたばこは吸わないしNezさんと同じように思っているが、周りの人間でアイコスを使って居る人が現れたけど車の中で吸われてもあまり気にならないね。
      匂いはすぐ分かるが煙たくないのが大きい。

      返信
      1. Nez/蝿 投稿作成者

        アイコスはウチの職場でもいるね。
        あんまり近しい人じゃないので、
        その振る舞いを観察したことはないけども。

        煙はなくても匂う、とかなのか。
        理屈はわかるけど不思議な感しを覚えそうだ。

        返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。