カテゴリー別アーカイブ: 日記: 2008年08月

日記: 8月27日(2008年)

 WARの話と見せかけた関係ない話。

 WARで最初に選ぶクラスを相変わらず悶々と夢想することで、WAR本リリースまでの時間を稼いでいる私。そんなクラス選択の妄想をする際に、その選択基準で大きなウェイトを占めているのは、「そのクラスは具体的になにができるのか」、すなわち「スキル構成」なんだけども、その肝心のスキルを総覧できるようなものがなくて困っているぜ、というようなことを、昨日のWARのエントリーで述べた。

 ならば・・・暇つぶしを兼ねて、自分閲覧用にとりあえず集めたデータをデータベース(DB)化して、和文コメント(「単体DD」とか「AEDD」という程度)を入れて、なおかつPHPかなんかで閲覧しやすくでもしてみるのはどうかな? うむ、いい時間つぶし兼スキルアップになるぞ。まあリアルにPHPのスキルアップをしても活かす機会はないけど、いいでしょう。よしよし。そう思い立ち、勉強を兼ねて作業を開始した。

 なお、私はPHPなんて1ミリも知らない。PHPだけじゃなくて、perlもなにもかも、あらゆるプログラム言語をほとんど知らない。せいぜい無料配布CGIのHTML部分を改変できる程度の知識だ。でもまぁ、私のブラックオークもびっくりの溢れる知性をもってすれば、軽いデータ出力をさせるくらいのことは、入門サイトのサンプルコードのつぎはぎで余裕だろう、と、たかをくくって始めたのだ。相変わらず自信だけはある私。

 で、まずDBを作る。といっても、MySQLというようなDBの知識もないので、各所からパクってきたデータをエクセルで整形して、要素ごとにタブつなぎテキストで出力しただけのものを、大げさにDBとのたまうことにした。ま、用途を考えればこんなもんで十分だろう。

 続いてPHPを5分ほど学び、その後3分ほどでとりあえずDBの全データを出力するコードを、5行分くらい書いてみる。PHP開発環境をわざわざローカルに作成するのも面倒くさかったので(色々インストールしなければならないらしい)、レンタルサーバー上で動作確認を行うことにする。

 完成したら、いざ、アップロード!・・・が、全く動かない。エラーがはきだされ、正しく表示されないのだ。むう、出力するだけなのにエラーだと! ちょろいだろ、と自信満々で始めただけに、しょっぱなからつまづいて軽くへこむ。

 いろいろといじくりまわすも、一向に改善しない。あれー、こんなはずでは・・・と思ってよくよく調べてみると・・・はい、さくらのレンタルサーバーの最安プランは、PHP非対応じゃないか。なんてこった。

 というわけで、計画断念。完。

 ・・・。

 といいたいところだけど、燃え上がった向上心というか、スキルを総覧したいぜ魂というか、構想通りに行かなかったことに対する不満というか、まあそんな感じの想いが抑えられなかったので、方針を変更して、今度はRubyをつまみ食いすることにした。サーバーでも対応してるし、これでいけるっしょ!

 ということで、RubyでCGIを作るためのサイト数箇所から、使えそうなソースを抜き出してツギハギツギハギ。30分ほどでオリジナリティゼロなCGIを作成し、おもむろにアップロード・・・おお、動いた!

 とりあえず文字を並べただけで、決して見やすくはないけどできたぞ。やはりこの程度なら初学者でもちょろいな、カカカ。

 さて、あとはちゃんとHTMLとCSSの雛形を作って、用途に応じた見やすい出力をすれば使い物になりそうだけど・・・なんか動いたら、もうそれだけで満足してしまったな。この先はもうHTMLの領分だし、かったるいからいいや。スキルに関しては、和訳文入れている間に頭に入ってしまったしな。うむうむ。

 プロジェクト完了! 久々に知的な刺激があって面白かった。

日記: 8月21日(2008年)

 ちょっと暗く重く中学生の悩みにも似た話。面白くはないと思う。

 私の学生時代に、当時通っていた学校の国語の教諭が、在任中に亡くなった。亡くなった年は、私の学年の担当ではなかったものの、かつて1年間指導を受けたことのある先生だった。

 当時の私はどうしようもなく幼くて、人の死などというものは果てしなく遠くにあるらしい、しかし自分とはまるで無関係のものだと思っていたし、だからその先生の死も、実感として当時の私の心に何らかの影響を与えることは、ついになかった。先生とは個人的に親しかったというわけでもなく、ただ1年間、週に4、5時間の教えを受けていただけの関係に過ぎなかったというのも、もちろんある。でも当時の無関心さを説明できるもっとも大きな理由は、やはり人の死に関する意識が希薄だったためだろう。

 死因は肝臓がんだった。発見された時点で既に末期だったらしく、検査入院のためその年の2月途中から学校に来なくなったあと、1度も学校に姿を見せることなく、5月に亡くなった。あまりにもあっけなかった。

 その先生は生真面目な国語の教諭で、国文学や日本の古来からの思想を研究することに生涯をささげ、なおかつキリスト教徒でもあったという、今にして思えば非常に興味深い人生を選択した人だった。専門分野である日本の文化や風俗と、自らの信じるキリスト教とを、主観的客観的に比較・考察するのがお家芸で、私たちの教壇に立った1年間も、たびたびそんな話に及んでは、生徒を心地よい眠りに誘っていた。そういった考察の数々は、誰に見せるでもなく(いや、見せていたのかもしれないが、私にはわからない)、ライフワークとして膨大な文章にまとめられていた。そして先生の死後、遺稿集という形で、その文章が製本されて、生徒全員に配布された。500ページを越える、軽めの辞書ほどもある大作だった。

 しかし私は、その遺稿集を1ページたりとも読むことはなかった。胸が詰まって読めなかったとか、そういうことではない。残酷なことに、当時の私にはただ単に興味がなかったのだ。在任中に死亡した先生の、おそらくは一生分の無念と満足とが入り混じっている遺稿集は、直ちに部屋の片隅に放置され、忘れ去られた。

 その遺稿集を、先週ふとしたときに本棚の片隅に発見した。そこで初めて読んでみた。

 泣いた。号泣するようなことはなかったけど、じわっと目が潤む程度に泣いた。

 遺稿集は大きく2部に分かれていて、第1部はがんの告知をされてから死に到るまでの数ヶ月間の日記であり、第2部はライフワークとして先生が書かれたさまざまな文章だった。そのうち第1部をよみ、圧倒された。

 読み始めてすぐに気がついたのは、その文章の巧みさと知識の深さだった。検診での不穏な空気で生まれた疑念、がん告知、そして自分の確実な死を悟るにいたる心情を、豊かな表現力で切り出しつつ、同時に自己の心境を様々な文学や思想になぞらえながら、巧みに描写している。そこには真の恐怖と悲哀、そして人間の知の巨大な存在感があった。

 当時は40文字程度の作文ですら面倒くさく、文章を書くなどという行為に一片の価値もおいていなかった私だけれども、今は違う。文章を書くほどにその難しさを痛感すればこそ、先生の文章の巧みさには目を見張るばかりだった。これほどのひとだったのか。いまさら、やっと、そう思えた。

 やがて日が進み、病状が進むほどに、日記はそういった高尚な部分から、徐々に、より生々しい人間の描写が多くなっていった。すなわち、体調がよければ全世界に祝福を送りたいほど嬉しく、悪ければ全世界を呪いたくなるというような、素の感情を多く覗かせるようになる。リアルな実像として私の記憶にある、私の人生に僅かなりとも実際に形を遺した人物の記述だけに、その投影力は圧倒的だった。先生が激しい感情の渦に飲み込まれていく様が、限りない現実感をもって描かれると、人間というものの素晴らしさと悲しさを同時に痛感させられ、私の感情も同調するかのように大きなうねりに取り込まれていった。先生が死の恐怖に襲われれば、私も同時に戦慄し、先生が奥様の優しさに救われれば、同時に私も救われた。そして、泣いた。

 日記は、死の2週間前の段階で途切れ、以降は淡々とした奥様による病状の変化の報告となり、先生の死をもって幕を閉じた。

 読み終わって一息ついた。なぜか真っ先に、先生と同じ状況に陥る親の姿を連想した。激しい恐ろしさに襲われると同時に、それを乗り越えた先生という存在に救いを見た気がした。自分の往生際に、このような貴重なものを生徒に書き遺こせる先生を、深く尊敬した。

 I先生。いまさら言う資格もないけど、私のことなど覚えてもいないだろうけど、ご冥福をお祈りします。

日記: 8月17日(2008年)

 またまたMHP2Gなんだけども、週末になんと通算5人もの知人と、かわるがわるKaiでマルチプレイができた。そしてついに、集会所上級の最終クエスト、アカムなんとかの討伐クエストをコンプリートしてしまった! 次からはG級クエストだ。ヤホウ。

 さてアカム討伐は、私の力30%、知人の力70%というような感じの、他力本願な討伐だったわけなんだけども、一応自分的な縛りであるところの太刀オンリーでここまで来れたので、かなり満足だ。アカム戦は、マルチで2敗し、さらに実はソロでも2回ほど、挑んでは負け、挑んでは負けしていたので、勝利を収めた回には、だいぶ慣れた状態で挑むことができた。その甲斐あってか、本戦では死亡することなく完全勝利。こうやって、死を重ねながら、ヘボスケでもいずれ慣れていけるのが、MHシリーズのよいところだし、醍醐味だよなぁ。

 しかし・・・前述したようにHR6以降は未知の領域なんだけど、未知の領域になったことで、ガンランスがだいぶ恋しくなってきたよ。今までの相手は、「ガンランスでも倒せた敵を太刀で倒そう」だったんだけど、ここからは「ガンランスでは倒したことがない」になってしまう。なんだかんだでガンランス好きな私は、それはそれでなんか複雑なのだ。

 太刀はかなり爽快で楽しいけども、そろそろガンランス用の装備でもあつめるかなー。それはそれで面倒だなー。ふむ。

日記: 8月13日(2008年)

 MHP2Gの話。

 悲劇的なデータの消滅から3週間。折りよくKaiを導入したB氏とヘタレチームを結成し、不定期週数回程度のペースで、ちまちまとキークエをこなし続け、やっと集会所上位の難関、「異常震域」をクリアすることができた。

 ただでさえ凶悪なティガレックスを2匹倒さねばならないこのクエ。武器としてはガンランスが相性がよいとされているらしく、キャラ消去前のガンランス時代は確かに、ダメージ出力が低い以外は、それなりにうまくいった覚えがある。

 しかし今回は太刀縛り。いや、別に縛りでもなんでもなくて、なんなら持ち替えてもいいんだけど、どの相手だって別に太刀で倒せないってわけでもなかろうし、それならできるだけ太刀でいこうと思っているのだ。

 で太刀 vs ティガなんだけど・・・案外いけるな。というか、何度も負けているうちにいけるようになったといったほうがいいかもしれない。無論、ソロでははるかにきついだろうし、僚機B氏の援護あっての勝利だけども、ひたすら逃げ回るでもなく、しっかり太刀で戦って、しかも死亡回数ゼロで勝利を収めることができたのは、実に達成感があった。

 ってことで、やっと集会所クエストの進度では、データ消滅前まで戻ったMHP2G。この先は未知の領域だけど、挫折する前に、G級のつかみだけでも見られるといいなぁ。

日記: 8月9日(2008年)

  早朝に家を出て、釣りツーリングなんぞに行ってきた。私は釣りなんてしたことがなかったんだけど、幹事曰く、「釣堀に毛が生えたような管理釣り場」で釣るらしいから、どうにでもなることだろうとタカをくくって出発した。

 さすがに早朝に家を出ただけあって、道はそれなりにすいていた。だけど、お盆休み・夏期休暇のはしりだけあって、やっぱり普段の早朝よりは多少混み気味。特に中央道は事故かなんかで大渋滞みたいだった。私は下道コースを選んだおかげで何とかさしたる影響は受けずにすんだけど、上を通っていたらどうなっていたことやら・・・。

 目的地は、結構な狭い山道を越えた先にあって、「この道でいいのか?」と内心不安になってしまうようなところにあった。バイクナビのおかげで特に迷うことなくたどり着くことは出来たものの、ナビがなかったら相当迷うハメになっていた気がするよ。つくづくナビは偉大だな。やはり時代はオートマッピングですよ。

 で、釣った。釣り場は、川の中に岩石で仕切りを作って、その仕切りと仕切りの間に放流された魚を釣るという、「ほぼ釣堀」みたいなところ。もう目視で魚がうようよ泳いでいるのが見えるような状態なので、餌をつけて、見えている魚の上に糸を垂らせば、もれなく釣れる。超余裕。

 でもそんな余裕さが、お手軽レジャーにはちょうどいいね。たぶんこういう場では、主目的は釣りというよりも、その後のバーベキューとかにあるわけで、場のテンションを維持できる程度にコンスタントにつれたほうが、アウトドアレジャーを楽しむカジュアル層には気楽でいいに違いない。

 で、都合30匹近く釣ったところで、さばく。都会育ちの私は、実は人生で初めて直面した、生きた魚をさばくという状況に、「そんなことまでやるのかよー」と正直最初は引いた。だけど、頑なに拒絶するのもさぶいとおもって、平静を装いながら、やり方を聞きつつ素直にさばきまくった。

 半死半生の魚の肛門にナイフを入れ、腹を一閃。内臓からエラまで、ぶちぶちぶちっと引きちぎって、爪でゴリゴリと血合いを削いで、腹の中を水で洗って、全体を塩でぬめぬめやってフィニッシュ。・・・うむ、やり始めちゃえば作業でしかないな。黙々と残虐ファイトを続け、うまそうな焼き魚のモトが大量に完成した。

 で、焼いて食う。おお、うまい。多分ニジマスだとおもうんだけど、実にうまいな。取り立ててうまい魚じゃないと思うんだけど、たとえば鮎なんかと比べると少し落ちるとおもうんだけど、でも自分で釣って殺して捌いた後の一かじりは、どうしようもなくうまかった。ちょっと骨が強くて食いにくかったけどね。

 その後、鉄板焼きで肉やら焼きそばやらを食って帰ってきたんだけど、まぁその辺は別にどうということもないので割愛する。

 一通りの食料を始末し、腹も膨れたところで、天候も崩れてきたので解散して帰ってきた。うむ、釣りなんていう、私の今までの人生ではまるっきり縁のなかったことを、管理釣り場とはいえ体験できて楽しかったよ。

 しかし・・・手が生臭くなるのが嫌だな! 家に帰ってから、5,6回手を洗って、ようやくなんとか臭わなくなったよ。しかしバイクのグローブは・・・トホホ。