カテゴリー別アーカイブ: 日記: 2015年02月

日記: 2月25日(2015年)

 オートバイ人生の危機、きたる。

 いやー、まいった。計算がずれた。まさかこういうことだったとは・・・。

 昨年7月に現在の住居に転居してから約半年が経過した。転居したマンションは、契約時点で「バイク駐車場3台有(現在空き無し)」という表記のされかたをされている物件だった。

 この記載を見た私は、「今現在は、3台のスペースに対して、3人の契約者がいるため、この3人のうちの誰かが契約を解除するまでは、自分はここには停められないんだろうな。しかし、長い目でみれば、いつかは自分のバイクをここに停められそうだな」と判断した。無理のない、普通の想像だったと思う。

 即時的に空きがないのは残念だったけど、いつの日か敷地内にバイクをおけるであろう、ということは、物件の選択において大きなプラス材料になった。

 しかし、それから半年。3台分のスペースがあり、空きがない、という現況であるはずのバイク置き場には、いつ見ても1台のバイクしか停まっていない、という状況が続いていた。転居直後は、「残り2台は、早朝に出て深夜に帰ってくるから、なかなか目にできないのだろう」などとのんきに思っていたものの、いくらなんでも長期にわたって目にしなすぎだと感じるようになってきた。

 これは怪しい。

 ってことで、マンションの管理会社に、バイク置き場の現況について問い合わせたところ、衝撃の事実が発覚した。

 「今現在ご契約されている方を最後に、新規契約は受け付けないことになってるんですよ」

 えぇっ!? ということは、契約時の正確な状況は、「バイク駐車場1台(永遠に空き無し。ただし昔は3台だった)」ってこと?

 「はい、そのとおりです・・・」

 うーん、これはかなり危機的状況だ。おぼろげに思い描いていた、「マンションの敷地内にバイクを置いてのバイクライフ」という未来は、限りなく実現不可能に近い状態になったといわざるを得ないようだ。

 ちなみにバイク置き場の削減は、どういった理由かはわからないけど、管理組合の決定、つまり近隣住民の総意で決まったことらしい。契約時の記載には限りなく虚偽に近いものがあった、という憤りは感じるものの、ここでそれを盾にして無理を通し、近隣住民のヘイトを稼ぐのが賢いとも思えない。

 これはやられたな・・・。かなり心が萎えてしまったよ。10数年続いた「一応バイクを持っていて、たまに乗っている人」というステータスを外す、いい潮時なのかもしれないな、とすら思い始めてしまった。実家に置いておいてもなかなか乗れないし、バイクの処置を含め、じっくりと今後の方策を考えていかなければならないようだ。

 やれやれ。

日記: 2月24日(2015年)

 ゲーム(特にオンラインゲーム)の対戦の様子を、配信者がシュービジネスとして放送し、観戦者はそれを視聴して楽しむ、ということが、日本でも少しずつではあるものの、文化として定着しつつある。

 サッカーや野球のようなメジャースポーツとくらべると、まだまだその規模は小さいものの、これからも確実にその規模は拡大していくに違いない。いちゲームファンとして、自分の趣味世界の認知度や一般性が拡大していくこの流れは、うれしい限りだ。

 今はまだ、「ゲームを観戦する」という行為自体に奇異なイメージがあるから、ゲーマーの中にすら、ゲーム観戦者を見下すような、残念な風潮がありさえする。とはいえ、これは時間が解決することだろう。サッカープレイヤーがサッカー観戦者をバカにしないように、やがてゲーマーもゲーム観戦者をバカにしないようになっていくことは疑いない。

 さて、そんなゲーム観戦の日本での広がりだけども、現段階でまがりなりにも、ゲーム観戦がショービジネスとして成立しているのは、おそらくスパ4とLoLの2タイトルではないかとおもう。

 先陣を切ったのは、スパ4だ。過去数回おこなわれてきたTOPANGAリーグは、「継続的に有料でゲームの試合配信を観せる」ということを、日本で最初に商業規模で成功させた例のように思われる。

 次に続いたのが、LoLだ。昨年から続いている日本のLoLのリーグ戦であるLJリーグは、試合配信自体はフリーであるものの、スポンサーをつけて運営することで財源を確保し、優勝賞金や本格的な配信形式など、個人運営の配信とは、一線を画す仕上がりになっている。後に振り返った時に、日本でのゲームショービジネスの基礎のひとつはLJリーグだった、と認識されることは疑いない。

 もちろんこれら以前にも、単発的には特定のタイトルや大会が放送、配信されることはあった。でもそれはあくまでも突発イベントであって継続性に乏しく、文化としてのゲーム観戦を定着させるような流れを生むものではなかった。それが近年になって、急速に文化として定着するような、継続的かつ商業的な配信が増加してきている。

 先日話題になった、プロゲーマー養成専門学校、なんてものはモラトリアムしている若者から金を吸い取るための、しょーもない機関でしかないと思うけど、それでもこの話題もまた、ゲーム観戦文化の急速な定着を示す現象のひとつと捉えられなくもない。

 いつの日かゲーム観戦文化が歴史として語られるようになったとき、大きな分岐点とされるタイミングは、去年あるいは今年なのかもしれない。

 ゲーム観戦元年。

 そんな単語を思い浮かべながら、若者がゲームをする姿をTVに映しつつ、夕食をいただくのでした。

日記: 2月2日(2015年)

 暇。です。助けて。

 オンラインゲーム依存症の重度患者としては、「今猛烈にはまっているオンラインゲーム」がない期間は、人生に張り合いがなくて困るなぁ。なんでもいいから、なにか新しい風を吹き込ませたいところだ。

 DA:Iはまだ終わっていなくて、チマチマと進めているんだけど、いまひとつ猛烈にはまるって感じにはなってないんだよね。感想については以前述べた通りで、「他人という張り合い」がないオンラインゲームのソロクエストという感じ。頑張れない。

 では何をしているかというと、オンラインゲームでいえば結局LoLなんだけど、これもはまっているというよりは、やることがないので惰性で遊んでいる、というのが正しい。やることがないからテレビを眺めている、に近い感覚。一旦遊びはじめれば、まだやっぱり熱いんだけどね。でも例えば「LoLしたいから飲み会断った」とかいうレベルにははまってない。

 こう暇になると、どうでもいいことを試しにいろいろやりたくなってしまって、前回述べたラーメンスープもそうだけど、そういう奇行に走ってしまう。

 先日試したのは配信。完全に奇行。別にいわゆる生主になりたいわけではないんだけど、配信技術というか、そういうものが常日頃から気になっていたので、Twitchのアカウントを取って、配信ソフトウェアを入れて、配信してみたりした。その昔Ustreamで試した頃に比べると、ものすごく簡単に配信できるようになっていて、環境の進歩を感じ取ることができた。どうやって我が配信にたどり着いたのかは知らないけど、いきなりきてくれた見知らぬ数名のコメントにお答えしつつ、LoLで遊んでみたりと、それはそれで不思議で面白い体験だった。1日で止めたけど。

 今ちょっと検討しているのはNASの導入かな。1つしかPCのない我が家には、まったく必要のないデバイスのはずなんだけど、そういう設備投資に従事しているあいだは、時間を無駄にしていないと錯覚できるので、無意味な買い物に手を出しかけている。強いてメリットを挙げれば、スマホ―PC間のデータ移動が簡単になるとか、貴重なデータの対障害性があがるかもしれんとか、挙げられなくはないけど、基本的には大枚はたいて暇を潰そうというダメ思想だ。これもいわば奇行。

 かといって過去のオンラインゲームに復帰しても、やっぱりそれも奇行。

 はてさて。