カテゴリー別アーカイブ: 日記: 2004年01月

日記: 1月23日 (2004年)

 はい、理科の時間です。

 問い: 一年のうちで南中高度がもっとも低く、太陽が出ている時間がもっとも短いのは、いつでしょう?

 答え: 冬至。12月22日頃

 ま、当たり前のことなんですけど、「だったら12月22日前後が一年で一番寒いはずではないか」と思いませんか? だけど、実際は大気やら輻射と対流のタイムラグやらのせいで、一年で一番寒くなるのは大体1月~2月になる。

 でまぁ、なにが言いたいかというと、今日は寒かった、って話なわけです。いわゆる「この冬一番の冷え込み」というほどに寒かったように感じられたけど、どうだろう。今朝、台所の温度計を見たら、氷点下近くまで気温が下がってたから、たぶんそんな気がする。

 ではあるのだけど、昼になると、空気が冬特有の透明感を持っているのも相まって、太陽がキラキラとまぶしく、力強い光線を地上に放出していた。明らかに去年末の陽光とは、輝きの強さが違うのだ。あえて強引に言えば、陽光が「より黄色い」のだ。

 そんなわけで、気温はあいかわらず低いものの、太陽のパワーが明らかに上昇してきているのを感じて、早くも春の予感、などというフレーズが脳裏をよぎり、にんまりとしてしまうのであった。

 夏は嫌いだけど。


 (追記) わかる人にだけ書く。私はスケベではない。

日記: 1月22日 (2004年)

 駅の売店、おなじみのキヨスクが変わっていた。

 キヨスクと言えば、取り扱い全商品の値段を、どうみてもタダのおばさんにしか見えないような店員さんが完璧に(例外はあるが)記憶していることに、私としては率直に尊敬の念を持っていて(これ言うと毎回「仕事なんだから普通だろ」といわれるけど)、商品を取って見せた瞬間に「はい、○○円です」と言ってくれることの利便性、売買成立までに要する時間の短さを高く評価していた。いわば、駄菓子屋的利便性、とでもいうべき良き伝統。「パッ、サッ、パッ」のリズムでことが済むのである。

 ところが、今日駅へ行き、何気なくキヨスクをみると、こんなことが書かれたシールが貼られていた。

 「本日よりレジで会計を行います」

 記載の通り、キヨスクの狭い店内に、今まではなかったレジスターが置かれている。どうやらスーパーやコンビニのような、レジスターを使っての会計が、本当に行われるようだ。

 さて、しからばレジ会計なるものの効率や如何に、と思い、しばらく観察していると、新聞を買うサラリーマンや、ガムを買う青年が、いちいち商品を取って店員に見せ、店員がその価格を慣れない手つきでレジスターに打ち込み、しかるのちにやや慌てた表情を浮かべながら代金を受け取り、受取金額を再びのろのろとレジスターに打ち込み、必要に応じてはお釣りなどを計算し、ようやっとレジより吐き出されたお釣りとレシートを客に渡す、という今までの簡便・単純なる駄菓子屋的会計法とはうってかわった、非常に迂遠にして長大なる手順を経て、商取引を成立させているのだ。

 うぬぬ。こうした方法を採ることにより、一日の売上げの集計等が効率的になるのはわからんでもない。わからんでもないが、キヨスクの「パッ、サッ、パッ」のリズムを愛する私としては、少し残念というか、淋しいというか、そんな気分にさえなるのであった。

日記: 1月20日 (2004年)

 先日、うどんを食おうとおもって、乾麺のうどんをゆでたんだけど、乾麺の膨張率も計算に入れずにテキトーに目分量でゆでたら、大量にゆですぎてしまったらしく、これがまた、乾麺だけに増えるわ増えるわ、体積にして数倍に膨れ上がったうどんは、とてもではないが一食では食いきれない量になってしまった。しかたなく、食いきれない分は、タッパーウェアに入れて、冷蔵庫に保存しておくことにしたのだった。

 てなわけで、今日の夕飯は、このコシもなにもなくなっている、タッパーウェアの余ったうどんを食うことにした。

 とはいっても、そのまま食ってもうまいはずはなく、細長い小麦粉の固まりを食うかのごとき、不気味なる食感を得ることになるであろうことは想像に難くない。そこで、いっそのこと全く別の料理にしてしまおう、という発想のもとで今日の料理を開始した。

 料理の手順は以下の通り。

 1、多めの油を入れた中華鍋で、麺を焼く(と言うか、揚げる)
 2、香ばしくなったところで、麺を皿にあげる
 3、あまった油で、中華風炒り卵を作る
 4、麺の上に炒り卵をのせる
 5、さらに中華鍋に、金華ハムスープの素、水、水溶き片栗粉を入れ、あんを作る
 6、あんを炒り卵と麺の上にかける

 名付けて、「天津飯風かたやきそば風かたやきうどん」である。

 感想: うまかった

 その場の思いつきで、懲りもせず全て目分量で行った割には、今回は格別な物に仕上がったといえる。単に私が油味覚に汚染されていて、脂っこければとりあえずなんでもうまいと思ってしまう、と言う説もあるにはあるが、肝心の私本人が満足しているのであるからして、これはこれで大成功なのだ。

 というわけで、うどんを大量にゆですぎてしまい、ゆで上がった麺だけが大量に余ってしまうと言う、どの家庭でもありがちなこの状況になってしまったら、この料理を思い出していただきたいと思う次第です。

日記: 1月18日 (2004年)

 パーコーメン、なるものを食った。漢字で書くと、排骨麺。

 パーコーメンとは豚肉の唐揚げの乗った中華麺だ。骨を取り除いた麺、としか意味的には取りようのない「排骨麺」が、なぜ「豚唐揚げ乗せ麺」の意になるのかという、深遠なる中国数千年の謎は、私ごときには知るよしもない。とにかく、食ったのだ。

 感想: まあ、うまい

 いや、ラーメンもうまいし、唐揚げもうまかった。でも、なんというか、唐揚げは唐揚げで、白いご飯で食いたいかな、と思ってしまった。日本の食文化に毒されすぎですか?

 そんなわけで、ラーメンの具はやっぱりチャーシューとメンマだな、という既成概念を抜け出せない私的には、わざわざ高い金を払ってラーメンに豚の唐揚げを乗せようとは、今後は思わなそうなのであった。