日記: 11月17日(2015年)

 「この人痴漢です!」

 ・・・と言うシチュエーションに、人生で初めて遭遇してしまった。

 いやいやいやいや。もちろん「この人」は私じゃないですよ!

 発言したのは女子高校生。「この人」と言われたのは、電車内でこの女子高校生の背後に立っていたおじさんだ。

 そのときの私の立ち位置は、そのおじさんのさらに他人を2人挟んでの斜め後ろ。どんなに手を伸ばしても、件の女子高生には届かない。とりあえず自分は安全圏にいたので、純粋に第三者だったのが幸いだった。

 その直後に到着した駅で、おじさんと女子高校生は下車した。その駅は私の降車駅でもあったので、一緒に下車したものの、朝から野次馬をする時間などあるはずもなく、そのまま改札口に向かって移動してしまったので、その後の顛末はわからない。

 とりあえず最後に通りすがりに一瞥した様子では、おじさんは「やれやれ、困ったなぁ」というような顔で、無罪を主張しているようではあった。

 こういう光景、今のご時勢だと複雑な心境になってしまう。これが20年前だったら、私も問答無用でおじさんを犯人だとみなしてしまっていただろう。でも昨今では、どうしても痴漢冤罪問題が頭をよぎってしまう。どちらかというと、おじさんのほうに感情移入してしまう。

 果たして本当にあのおじさんはクロだったのだろうか。

 事件当時の状況からすると、はっきりいって当事者以外には、痴漢行為を立証できそうにない環境だった。

 その電車は遅延で大混雑していた。自分の顔面が、前に立つ人の後頭部に触れて髪の毛でむずがゆい、というレベルの密度で人間が押しこまれていた。なんとか自分と前の人との間にカバンと肘とを入れ込み、呼吸をする空間を確保するのが精一杯。それ以上は身動きひとつ取れなかった。

 そんな状況だから、前後左右の人の手の動きなんて、他人にはわかるはずもない。

 こういう場合に、被害者側が「やられた」といったら、それがそのまま裁判で通ってしまった、というような話をよく聞く。推定無罪は通らない。考えれば考えるほど、満員電車に潜む、人生を終わらせかねないリスクに思い至り、恐しさが増してる。

 もちろん今回の件に関しては、シロかクロかはわからない。だから別にどちらに肩入れをするつもりもないけど、目の前でこんな事件に遭遇することで、今更ながら「私もいつ冤罪被害者になるかわからないんだなぁ」という実感を覚えたのでしたとさ。

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