ちょっと暗く重く中学生の悩みにも似た話。面白くはないと思う。
私の学生時代に、当時通っていた学校の国語の教諭が、在任中に亡くなった。亡くなった年は、私の学年の担当ではなかったものの、かつて1年間指導を受けたことのある先生だった。
当時の私はどうしようもなく幼くて、人の死などというものは果てしなく遠くにあるらしい、しかし自分とはまるで無関係のものだと思っていたし、だからその先生の死も、実感として当時の私の心に何らかの影響を与えることは、ついになかった。先生とは個人的に親しかったというわけでもなく、ただ1年間、週に4、5時間の教えを受けていただけの関係に過ぎなかったというのも、もちろんある。でも当時の無関心さを説明できるもっとも大きな理由は、やはり人の死に関する意識が希薄だったためだろう。
死因は肝臓がんだった。発見された時点で既に末期だったらしく、検査入院のためその年の2月途中から学校に来なくなったあと、1度も学校に姿を見せることなく、5月に亡くなった。あまりにもあっけなかった。
その先生は生真面目な国語の教諭で、国文学や日本の古来からの思想を研究することに生涯をささげ、なおかつキリスト教徒でもあったという、今にして思えば非常に興味深い人生を選択した人だった。専門分野である日本の文化や風俗と、自らの信じるキリスト教とを、主観的客観的に比較・考察するのがお家芸で、私たちの教壇に立った1年間も、たびたびそんな話に及んでは、生徒を心地よい眠りに誘っていた。そういった考察の数々は、誰に見せるでもなく(いや、見せていたのかもしれないが、私にはわからない)、ライフワークとして膨大な文章にまとめられていた。そして先生の死後、遺稿集という形で、その文章が製本されて、生徒全員に配布された。500ページを越える、軽めの辞書ほどもある大作だった。
しかし私は、その遺稿集を1ページたりとも読むことはなかった。胸が詰まって読めなかったとか、そういうことではない。残酷なことに、当時の私にはただ単に興味がなかったのだ。在任中に死亡した先生の、おそらくは一生分の無念と満足とが入り混じっている遺稿集は、直ちに部屋の片隅に放置され、忘れ去られた。
その遺稿集を、先週ふとしたときに本棚の片隅に発見した。そこで初めて読んでみた。
泣いた。号泣するようなことはなかったけど、じわっと目が潤む程度に泣いた。
遺稿集は大きく2部に分かれていて、第1部はがんの告知をされてから死に到るまでの数ヶ月間の日記であり、第2部はライフワークとして先生が書かれたさまざまな文章だった。そのうち第1部をよみ、圧倒された。
読み始めてすぐに気がついたのは、その文章の巧みさと知識の深さだった。検診での不穏な空気で生まれた疑念、がん告知、そして自分の確実な死を悟るにいたる心情を、豊かな表現力で切り出しつつ、同時に自己の心境を様々な文学や思想になぞらえながら、巧みに描写している。そこには真の恐怖と悲哀、そして人間の知の巨大な存在感があった。
当時は40文字程度の作文ですら面倒くさく、文章を書くなどという行為に一片の価値もおいていなかった私だけれども、今は違う。文章を書くほどにその難しさを痛感すればこそ、先生の文章の巧みさには目を見張るばかりだった。これほどのひとだったのか。いまさら、やっと、そう思えた。
やがて日が進み、病状が進むほどに、日記はそういった高尚な部分から、徐々に、より生々しい人間の描写が多くなっていった。すなわち、体調がよければ全世界に祝福を送りたいほど嬉しく、悪ければ全世界を呪いたくなるというような、素の感情を多く覗かせるようになる。リアルな実像として私の記憶にある、私の人生に僅かなりとも実際に形を遺した人物の記述だけに、その投影力は圧倒的だった。先生が激しい感情の渦に飲み込まれていく様が、限りない現実感をもって描かれると、人間というものの素晴らしさと悲しさを同時に痛感させられ、私の感情も同調するかのように大きなうねりに取り込まれていった。先生が死の恐怖に襲われれば、私も同時に戦慄し、先生が奥様の優しさに救われれば、同時に私も救われた。そして、泣いた。
日記は、死の2週間前の段階で途切れ、以降は淡々とした奥様による病状の変化の報告となり、先生の死をもって幕を閉じた。
読み終わって一息ついた。なぜか真っ先に、先生と同じ状況に陥る親の姿を連想した。激しい恐ろしさに襲われると同時に、それを乗り越えた先生という存在に救いを見た気がした。自分の往生際に、このような貴重なものを生徒に書き遺こせる先生を、深く尊敬した。
I先生。いまさら言う資格もないけど、私のことなど覚えてもいないだろうけど、ご冥福をお祈りします。
いつに無くシリアスなnezさん。
それほどの本を遺せたのだから先生も満足しているんではないかな。
死は安らぎと悲しみを残すもの。恐怖を感じる人はやり残した事が有ると言うことなのさ。
何気に死に掛けたことのあるvさんでしたマル。
まれに唐突にいつもと違うノリを覗かせるのがFlyDukedomの魅力です。