猫好きの風潮が苦手だ。「猫」ではなく「猫好きの風潮」が苦手だ。
苦手というのは少し違うかな。私の抱いている感情を表すのに、なんという表現が適切か難しいんだけど、ここでは一応苦手といっておこう。
インターネットの共通認識として、猫好きは正義、というような風潮がある。猫を好きであることは当然であり、猫の写真に萌え、猫の動画に萌え、ペットの猫自慢にはいいねをつける。ゲーム世界でも野良猫に萌え、ペット化できるなら猫であり、猫系の種族はかわいく、猫系のNPCは素敵。反論は許さない。そして「ぬこ」とか言っちゃう。
というのに、ついていけない。
いや、猫が嫌いなわけじゃないよ。猫はかわいい個体はかわいいと思うよ。でもあらゆる動物の中で1番好きというわけではないし、1番かわいいとも思っていないし、どちらかというと不細工な猫も多い。猫なら無条件に賛美する、という気には残念ながらならない。
猫のかわいさを、「猫だからかわいい」という見方はできなくて、かわいいときもあればかわいくないときもある、というような一歩引いた視点で見てしまう。そしてそれが当然の立場だと思っている。
そう視点でいるせいか、「ねこー!ねこー!」というような場面に遭遇すると、「本当にそれがかわいいのか?」「猫だからと思考停止してるんじゃないのか?」「むしろ猫をかわいいといわないといけないというような強迫観念に襲われているんじゃないのか?」「猫をかわいいといってる自分に酔ってるんじゃないのか?」などと穿った見方までもしてしまう。
で、その直後に「とはいえまぁ、こういうのは乗ったもの勝ちだよな」「本人たちもわかっていて盛り上がっているのかもしれないな」と思い返して、あまり冷めたことを考えるのはやめよう、と思うんだけども、結局どこかもやもやし続けてしまう。
ので、猫好きの風潮が苦手なのだ。考えすぎマンは今日も平常運行です。