FSの現在の戦績が、ちょうどキリよく200勝140敗になった。このうち、多分100勝50敗くらいが固定チームの戦績で、100勝90敗くらいが野良チームでの戦績だ。固定とそうでないのとでは、勝率がずいぶん違う。私の下手(と仲間の上手)が象徴的なようで、微妙な気分だ。
とは言っても、私の組む固定というのは単に、知り合いが入ってきたら誘う、というくらいのもので、しかも、私も、その数人の知り合いも、うまいほうかどうかというと、せいぜい少しうまい~中くらいのレベルだと思われる。それでも、味方にいわゆる「爆弾」を引く確立が、1人誘えば(自分と知り合いが「爆弾」でないなら、だけど)単純に半分に、2人誘えばゼロになるわけで、やはり勝率は格段に上がってしまう。
ところが、この高勝率を生みやすい固定チームには、なにかと非難の声が尽きないらしいのだ。特に、部屋名に「固定です」と明記しない仮面固定に対しては、非難の声が一層高く、曰く「狩りだ」「勝って当然」「固定なら固定と名乗れ」等々と、言われ放題のご様子。割と頻繁に、しかも悪意なく仮面固定で遊んでいた私としては、激しい世論の論調に、ひたすら驚く次第だ。
では友達とワイワイやりたい場合、どうすればいいのかといえば、「チームは青」「部屋名に固定と明記」が最低限必須らしく、さらには「自分より強いチームと挑戦する意欲」「低レベルの人には退席願う等の配慮」「結果よりも内容を重視する態度」をも要求する向きまである。友達とワイワイ遊ぶために、厳格な職人の如き気構えが必要とは一体…。
確かに固定チームは、前述したように不利を被る可能性が減ぜられているため、相対的に有利になる可能性が高く、しかも部屋主であるがゆえに、HOME(先攻)を優先的に選択可能であるという有利さも持っている(先攻有利のルールはどう考えても製作者の設計ミス、しかも容易に改善可能な問題だと思うけど)。そういったトータル的な安定感を、はじめから備えている固定側に、多少の不利を要求するのは、わからないでもない。
だから、「チームは青」や「部屋名に固定と明記」までは、絶対条件ではないものの、要求としてはアリかな、と思う(これに応じても応じなくても、プレイヤー価値に高低が生じるほどの、重大な問題とも思わないけど)。
でも、さすがにこれに加えて、「自分より強いチームと挑戦する意欲」「低レベルの人には退席願う等の配慮」「結果よりも内容を重視する態度」のような、ゲームに挑む姿勢まで、友達とチームを組みたいというだけの動機に強制的に付与するのは、どう考えてもいきすぎだ。たかがゲーム、という言い方は大嫌いだけど、「自分の相手が固定かどうか」なんてことが、そんな思想的問題に昇華させるほどに重要な問題だとは、とても思えないのだ。この域に達すると、意見は意見でなく、すでにして文句、愚痴、言いがかりのレベルに堕していると感じられる。少なくとも、他人に対してこれらの厳格な態度を、平気な顔で要求できるような人間が、これらの厳格な態度をもって試合に望んでいる場面は、どうしても想像できない。
AoE、AoK等の例に漏れず、プレイヤー自治によって、マッチメイクの公平化が自然となされ、それを乱すことがモラルに欠けた行為となるような、清廉なゲームコミュニティが形成されることは、とても望ましいことだと思う。でも、それを行うときには、例えば「固定の排除」というような、迂遠にして理不尽な、感情論の発露だと勘繰りたくなるような手段に拠るべきでは断じてなく、あくまでも「プレイヤースキル/キャラクターレベルで区分け」というような、公正な手段をもって行っていくべきなのだ。
それにはまず、固定が有利になりがちな現状の根源的な原因は、固定だからという部分よりもむしろ、能力による住み分けがなされていないことを背景にした、野良側の不安定なメンバー選出にあるという点を、感情で目を曇らせることなく、冷静に見る視点を持つことが必要だ。要するに、多くの場合「固定が強いから勝つ」のではなく「野良が弱いと負ける」だけの話であって、ここで固定に強者の美学を押し付け、枷をはめようというのは、暴論というほかない。今、論者諸氏が叫ぶべきことは、「固定の弱体化」ではなく「野良の安定化」であるべきだと思うのだ。
叩きやすい方ではなく、叩くべき方を叩く、健全なコミュニティの形成を、他力本願に願ってやまない私なのでした。
うーん。AoE、AoK等の実力別パブチャンネルを作った人たちは偉大だ。