カテゴリー別アーカイブ: 日記: 2006年10月

日記: 10月16日 (2006年)

 今日の昼飯はサンドイッチ。

 このところ、昼食はソバ屋、または中華料理屋というパターンが続いていたんだけど、さすがに飽きてきた。そこで、いつも通る道沿いにある、サンドイッチ屋さんでサンドイッチを買い、それを食うというパターンを織り交ぜることにしたのだ。

 サンドイッチ屋さんを営むは、齢70に届こうかという老夫婦。その老夫婦が朝も早くから、20種ほどのサンドイッチを用意し、鬻いでいるのだから、がんばれとしか言いようがない。まぁ、老人は朝に強いものかもしれないけど。

 丸顔で優しい顔立ちをしたお婆さんのほうが、主に売り子をしているんだけど、買うたびに「ありがとう。いってらっしゃい」と、顔をしわくちゃにして笑いながら言ってくれる。失礼ながら黄色い声援とはいいがたいので、「うおー、やるぜ!」っていうテンションにはなれないけど、この一言でなにか暖かい気分になり、「ま、マイペースでいきますか」というゆったりとした気分にしてもらえる。悪くない。

 連日サンドイッチじゃ飽きるけど、ちょくちょく買いにいこうと思う私なのでした。

日記: 10月14日 (2006年)

 床屋のにーちゃん(ネットゲーマー)との会話。

 ―PSUそろそろ買おうかとか思ったんですけど、どーですかね?

 「やめたほうがいいよ」

 終了。

 ってなわけで、こんばんは。久々に(?)軽いノリのバーチャルネットゲーマー蝿14歳です。

 DDO関連のエントリーで書いたように、DDOのマイキャラがレベルキャップであるLv10に到達した。そこで例によって根性の足らない私は、持ち前の浮気心を存分に発揮して、次期主力ゲームの発掘に当たったんだけど、ものの見事に撃沈してしまった。うへうへ。

 次にくるのが、Vanguardになるか、Warhammerになるか、Hellgateになるか、はたまたまだ見ぬ伏兵になるか、そのへんはわからないんだけど、そこまでDDOが持つのかが、大変不安な今日この頃なのだ。というか、確実に持たない。

 で、EQ2やりなおしてみようかな、とか、NWNを定期的にやるってのはどうだ、とか考えまくってる今日この頃なんだけど、時間ないし疲れる、とか、どうせスケジュール合わなくて面倒くさくなるな、とか考えてボツっている。そこでPSUですよ、と思ったんだけど、上のような次第で。

 EQ2は割とまだ、未練があるんだけどね。時間が腐るほどあったらやりたいものだ。

 BF21XX(数字忘れた)はどーなのかなぁ?

日記: 10月12日 (2006年)

 最近読んだ本。

 「管仲(宮城谷昌光:文春文庫)」

 春秋戦国時代の名宰相、管仲を主人公にした歴史小説。管仲は、春秋五覇の筆頭格である斉の桓公を覇者たらしめたことと、親友鮑叔との「管鮑の交わり」の故事ともなった友情とで有名。

 歴史小説としてみると、著者の創作の苦労がそこかしこに見える。あとがきで著者本人も言っているように、管仲には歴史的資料の裏づけのある逸話が少なく、そのためエピソードの大半が推測に基づいた創作でできているように思われる。なので、どうしても歴史小説と架空戦記小説の中間のような印象を与えてしまう。歴史小説はその創作部分も楽しみの1つではあるんだけど、この作品はその比重が極めて大きいので、「マジメな」歴史小説好きにはオススメできないかもしれない。

 歴史小説という括りを脱して、普通に物語としてみてみると、まぁまぁの佳作、ってところかな。

 話の内容を大雑把にいえば、「大才の士が、雌伏の期間を経て、苦労の末、覇者の宰相として、天下の経営者となる」…という内容なわけなんだけど、その雌伏の期間の小説全体に占めるボリュームが大きく、その割に起伏に乏しいのがつらい。また雌伏の期間と言っても、最終的な地位を宰相と定めるから雌伏といえるんだけど、その実態は、客分扱いだったり、商人だったり、公子の教育係だったりと、結構なお身分であることが多く、少なくとも食うに困るほどのレベルではないので、どうも「人一倍苦労した」という感じがせず、読んでいても管仲の応援に身が入らない。「人並みに苦労した」と見るのがせいぜいなのだ。そのため、耐えて耐えて耐えて、一気に爆発して成功、というような場合に感じるカタルシスがすくない。サクセスストーリーとしては、致命的なように思われる。

 とはいえ、クライマックスの鮑叔との世継ぎをめぐる戦い、敗北、友情、栄達、という怒涛の展開は、さすがに爽快感でいっぱいだった。また、この部分は、歴史的事実を相当忠実に反映しているので、すでに知っている事実へと話が収束していく、安定感・安心感も大いにプラスに作用した。無論、歴史的事実を知らなくても、それはそれでむしろ面白いに違いない。数千年にわたって語り継がれている逸話なので、その面白さは保証付だ。

 トータル的に見ると、文庫本2冊を一気に読みきれるだけの面白さは十分にある。ただ、同じ作者の作品の「楽毅」あたりに比べると、私的にはやや劣る感じを否めない。決定的な差は、作者の力量とか、小説そのものの面白さではなくて、題材にした人物の良し悪しなんだと思う。

 「晩成」した大人物の、「謎」の少壮期。この辺がウィークポイントなのだと思われる。謎の少壮期に才能を描写しなければならないのに、謎の少壮期に成功させてはいけない。そのため、本文分量の大半の部分で、才能があるようなのに成功しないもどかしさ、過程と結果が釣り合わないちぐはぐさを感じさせられて、釈然としない。予定調和の弊害とでもいおうか、まぁ、難しい題材だわ。

 この題材にしては「良くやった」。
 この作者にしては「まあまあ」。

日記: 10月11日 (2006年)

 予定通り、10月10日にFZ-6Sの’07モデルが発表になった。

 (2007モデル発表サイト)こちら
 (参考:2006モデル)こちら

 しつこく巡回しまくって監視し続けた感じだと、YAMAHA USAで最初に発表されて、少し遅れて日本やEuroのサイトでも発表になったようだ。

 ’06→’07の変更点で、私が一番好印象を抱いた変更点は、シートの変更かな。硬いシートがツーリングユースにはつらいという欠点が克服されている上に、足つき性も向上。すばらしい。その他の変更点も、変更点全てが改善に見え、改悪と思われる部分がまるで見られない。評価が主観でわかれるデザインの変更も、私的には高評価だ。いやー、いいね。ますますFZ-6S改めFZ6 Fazerが欲しくなったよ。でも・・・

 まずは免許だろ>私。

※そうそう。今までここで、FZ-6S、FZ-6Sと言っていたんだけど、FZ-6Sという名称ではなくなったみたいだ。従来のFZ-6Nがカウルなし、FZ-6Sがカウルありという名称ではなく、FZ6がカウルなし、FZ6 Fazerがカウルありという風になったらしい。うーん、日記等で呼称するのが面倒くさくなったな。

日記: 10月10日 (2006年)

 事故の過失割合をめぐる話し合いが平行線のまま進展しないので、お互いの保険会社が、第三者機関に調査を依頼して、その調査結果をもとに過失割合を決定することになった。甲のいうことも、乙のいうこともあてにならねーから、丙に意見を求めよう。というわけ。

 ってなわけで、駅前のファミレスにて調査機関の調査員と面会し、事故の状況を説明してきた。

 やってきた調査員は、齢70を越えるおじいさん。相当に耳が遠く、かなり大きな声で話さないと聞き取ってくれない。できるだけ私の信じる真実を伝えようと、懸命に大声で説明をしたものの、「車に吹っ飛ばされました」とか「後続車がいたら死んでましたね」とかいう話を、ファミレス内で大声で話さねばならないのは、いろいろな意味で結構つらかった。

 しかし、どんなに説明しても、「・・・・あ? あっ、ああ、ああ」というテンポのずれた反応ばかりで、こちらの話がわかってるんだかわかってないんだか非常に怪しい。「聞こえてないけど、推測で理解してうなずいている」という気がしてならないのだ。おじいさんには悪いんだけど、調査報告に信頼が置けない気持ちでいっぱいである。うーん、大丈夫かなぁ。

 私の主張が全て通れば、悪くても6:4、良ければ4:6だと見てる。だけど、相手方の主張が10:0(アホかー)というすさまじいもので、そのための事実無根のデッチ上げをしまくっているらしいから、状況は厳しそうだなぁ。こちらも負けずにデッチ上げればいいのかもしれないけど、私の人生美学的には、そういう胸を張って太陽の下を歩けないような行為は断じてできないし。

 ってなわけで、調査員には真実を見抜く目を期待したかったんだけど、目どころか真実を聞く耳すらもあったか怪しかった、というのが現実。ま、しゃーないかなぁ。