カテゴリー別アーカイブ: 日記: 2006年10月

日記: 10月31日 (2006年)

 今日はハロウィン。

 年に1回訪れるネタゆえに、以下の話に類似した話を、過去9年のWeb日記歴の中で書いたかもしれないけど、肝心の書き手である私に覚えがないので、書いてしまうことにする。もし似た話を見た覚えがある古参読者諸兄がおられましたら、静かに黙殺するように。

 ハロウィンといえば、日本では謎の仮想パーティーだったり、商業的なシンボルだったりはするものの、本来の行事であるところの、「家庭訪問の上『お菓子かイタズラか』の選択を強いる恐喝・窃盗行為」を実際に行っている地域は少ないのではないかと思う。しかし、私の幼少期のハロウィンは、この「本来のハロウィン」によって彩られており、そのイメージが鮮烈に焼きついている。

 その最大の理由は、当時住んでいた土地にある。私が幼少期を過ごした住居は、道路を挟んで向かい側が米軍居住区だったのだ。

 居住区内の芝生で覆われた広大な土地の中には、贅沢な配置で幅広の道路と家が建てられていた。フェンスのこちらには、1坪たりとも無駄にしないように林立した日本の住宅群。かたやフェンスの向こう側には、アメリカのカントリードラマで見られるような、優雅なアメリカ建築。人口密度比は10:1でも効かなかっただろうと思われる。特に印象的だったのは、その空だ。米軍居住区内の住宅は、土地がいくらでもあったため、どの建物も高層化せず、そのため空が本当に広かった。鮮やかなコントラストで天地に広がる芝生と青空を、「わずか30センチ先の外国」に眺めながら、子供心に憧憬と嫉妬の念を感じたことを、今でも昨日のことのように思い出すことができる。

 (ただし、数年前に久しぶりに訪れたとき、居住区内の人口密度は大幅に増加したらしく、土地当たりの戸数が増え、高層化されてもいた。ざまあみろというか、もったいないというか)

 その米軍居住区内の子供たちと、我々周辺住民の子供たちとは、しばしばフェンスを挟んで投石合戦(普通に流血していた)を行うなど、いさかいが絶えなかった。だけど大人同士では交友を結ぶ例も多く、私の母も居住区内の家庭と仲良くなり、英会話を教わったりしていた(今でも年数回の文通のようなことを行っているようだ)。

 その縁もあり、毎年ハロウィンになると、夜な夜な友達と米軍居住区に入り、その家々を訪問しては、意味もわからずに魔法の言葉「とりっくおあとりーと」を唱え、お菓子をもらう、ということを年中行事としていた。

 米軍居住区内の家々は、ハロウィンやクリスマスの季節になると、隣家と競い合うようにして、電飾で家を飾りだす。そのため、これらの季節の夜に、フェンス越しに米軍居住区を覗くと、キラキラ輝いていてとても美しかった。家ごとに飾り付けにも個性があって、色とりどりの家から、シルバーしか使わない家、グラデーションにしている家などなど、さまざまな飾りを楽しむことができたのだ。

 そんな夢の国とでもいうべきエレクトリカルパレード状態の居住区内を、ちびっ子ハロウィン隊はゆく。電飾がついているといっても、家から少し離れれば真っ暗だ。なまじ家と家の間隔が広いせいで、暗いところは本当に暗い。電飾の家と電飾の家の間を、点と点を線で結ぶようにして、恐る恐る、でも、だからこそ冒険気分で進んでいった。

 ちびっ子隊はそれぞれが、前の日にみんなで集まって造った、ダンボール製のちゃちな仮装をしていた。だけど所詮は子供のやっつけ仕事のシロモノで、ゴミをつけているようにしか見えなかったのはご愛嬌だ。ところが、たまにすれ違った、居住区の本家ちびっ子隊は、市販品と思われる出来のいい魔女や骸骨の仮装をしていた。当時、日本ではハロウィンなんて知名度もほとんどなく、だからハロウィン用の子供仮装グッズなどというものも、簡単には手に入らなかった。だから出来のいい仮装を見て、ちょっぴりコンプレックスを感じたりもしたんだけど、それも今ではいい思い出だ。

 闇夜の中、輝く家を目印に、ダンボールの仮装と魔法の言葉を武器にして、お菓子という宝を求めて歩き回った一夜の冒険。

 今では当時のような冒険はできないけど、その思い出だけで、この時期少しやわらかい気分に浸ることが出来る。

 日本での曲解されたハロウィンの盛り上がり方、商業主義的なアプローチに対しては、もうお決まりの我が国のお家芸なので、特にいうことはない。けどその盛り上がりのおかげで、年1回、このハロウィンの思い出を思い出すことができ、そういう意味ではこの不思議な盛り上がりも、私には案外重宝しているのかもしれないなぁ、なんて思ったりするのであった。

 なお、舶来の菓子は、総じてまずかった。

日記: 10月29日 (2006年)

 というわけで、ちゃんとしたカメラで、明るい状態でのケースの様子を。

 まずはケースホルダーだけの姿。これが案外、単なるキャリアとして使えそうな形だ。ケースホルダーには「耐加重5kg」って書いてあったけど、これはトップケースの重量を含むのか、そうでないのか良くわからないなあ。含むとすると、ケース自体が案外重いから、中身を入れたらとても5kgでもちそうもないんだけどね。

 ケース付の姿。さすがにずいぶん高く後方の位置になった。でも、後ろのほうになるおかげで、気をつければ、乗り降りの際に足が引っかかるというようなことはなさそうだし、ミラーの視界の邪魔になるようなこともほとんどなさそうだ。幅もハンドル幅を超えるようなことはなさそうだから、すり抜け(あんまりしないけど)の邪魔にもならなそうかな。

 ルックスは想像したとおり、青系色ベースの車体には、赤いリフレクター付のものより、銀・黒のカラーがクールに見えて気に入った。それでもトップケースというものそのものが、どうしても浮いた感じがしてしまうけど、まぁそれは箱モノの宿命かな。よりツアラー色が増した、とポジティブに考えるのが健全かもしれない。

 箱の中はこのくらいの広さ。フルフェイスヘルメットに、レインスーツを入れても、まだ余裕がある。うほー、各地の名産品買い放題だ。そんな金はないけど!

 つーわけで、珍しく写真頼りの文章を放棄したエントリーでした。

 ああ、旅に出たくなってキタキタ。

日記: 10月28日 (2006年)

 ってなわけではるばる海を越えてやってきたトップケースにご対面。

 居間に鎮座していたドデカいダンボール箱をあけると、中にはやはりドデカいトップケースが入っていた。バイクにくっついているのを見るとたいした大きさに見えないんだけど、単体で見るとずいぶんと大きい。まぁ、42リットルということは牛乳パックが42本分なんだから当たり前か。

 そのトップケースを開けてみると、中にはCB500S用のケースホルダーが入っていた。ケースホルダーはどこだろうと思っていたら、中に入れて梱包してあったわけですな。

 CB500Sのケースホルダーの説明書を見てみると、ゼルビスに似たバイクにケースホルダーが取り付けられている写真が載っていた。ぱっと見、ゼルビスにもつきそうな写真だ。ちょっと安心。が、説明書そのものは、ドイツ語でかれている上に、説明が大雑把過ぎてまったく役に立たないものだった。うーん、これは頼りは完成写真と、あるパーツをどう使えばその完成写真になるかという想像力、ということになりそうだ。

 ってなわけで、取り付けを開始する。

 完成予想図を見ると、タンデムバーの接合部と、荷掛けフックの接合部のネジ穴、それぞれ左右の4点でケースホルダーを固定するようだ。パーツと完成写真を見比べて、念入りに工程を考える。ジグソーパズル状態。・・・うむ、これでいけるはずだ。

 説明書によれば、まずシートをはずせ、というように書いてあるけど、私の思い描いた工程が正しければ、はずさなくてもいけるはずだ。

 タンデムバーをはずし、さらにリアカウルをはずす。うむうむ、いけるいける。リアカウルがなくなり寒そうな姿になった愛車を、おもむろに記念撮影してみたりもする。カメラを撮ってくるのがかったるかったので、携帯でカシャ。

 うーん、寒々しい。

 さらに、荷掛けフックのネジをはずし、いよいよケースホルダーの固定を開始する。

 軽くケースホルダーをあてがって、サイズを確認してみると、ケースホルダーのネジ穴の位置と、車体のネジ穴の位置は、ちゃんと合っていた。CB500S用でちゃんと付きそうだぞ。

 そして固定。振動で緩むのが怖いので、念入りに閉める。加工が雑で、穴の位置が致命的に合わない、というようなトラブルもなく、しっかりと固定することができた。さすがドイツ製品、といったところか。でも脱落が怖いから、今度ネジの接着剤(なんつーんだ、あれ)も買ってこなきゃなぁ。

 作業は、こうして文章に書くと単純そうだけど、慎重にやっていたし、ネジが固いわ、サイズの合う工具がなくて買いにいくわ、そもそもリアカウルはずすのも初めてだわで、かなーり時間を食ってしまった。もっと単純なポン付けだから、さくさく終わると思ってたんだけど、計算外だったなぁ。

 結局、作業終了の時点では完全に日が暮れてしまっていて、最後の数作業は懐中電灯を駆使した、過酷な作業になってしまった。おかげで一回、ガリっとケースホルダーを工具で引っかいてしまって、新品の塗装をいきなり傷つけてしまったよ。トホホ。

 とりあえず、完成図を写真に収めたけど・・・フラッシュなしの携帯カメラではなんにもみえないな、これは。

 明るいところでの検分は、明日にお預けとしよう。

日記: 10月27日 (2006年)

 ふっふっふ。ついに買ってしまった大人のおもちゃ。その名も・・・

 トップケース。

 わからない人のために説明すると、トップケースというのは、バイクのケツにくっつける、樹脂製またはアルミ製の箱のことだ。リアケース、パニアケース、トップボックスなどともいったりするが、ここではトップケースに統一したい。街中では割と、スクーターにつけられている例が多い。

 利便性と高価格と格好悪さで評されるこのパーツ。利便性の魅力に負けた人が、ほかのデメリットを黙殺して入手にいたるケースが多いわけだけど、私の場合は少し違った。私が購入に踏み切ったのは、利便性に着目したという点も大いにあるけど、それよりも「トップケースを体験してみたい」という、興味本位の動機が最大だった。

 実際、そんなに過酷なロングツーリングをするわけではない私にとって、積載性という点では、箱などを用いなくても、ゼルビス単体が持つ大いなる積載力(と、ネットやザック)で十二分に間に合ってはいたのだ。雨の日も基本的には避ける(の割に今年は降られまくったが)ので、トップケースの防水性も、さして魅力ではない。

 ではなぜ購入に至ったかと考えれば、結局のところ、ただ単に所有してみたかった、という子供じみた理由に過ぎないようだ。でも、だからこそ純粋に所有欲を満たせるともいえる。役に立たなくてもガッカリ感が薄いからね。

 さて、トップケースといっても、いろいろな種類がある。有名なGIVIやクラウザーから、ホームセンターで売ってそうな謎のメーカー品までさまざまだ。その中で私がチョイスしたのは、Hepco&Beckerジャーニートップケース TC42だ。

 白状しますけど、選んだ理由は堅牢性でも防水性でも利便性でもなくて、「見た目」だ。黒に赤いリフレクター、というトップケースにありがちな見た目ではない、銀・黒ツートンな見た目が気に入ったのだ。完全にそれだけの理由によるチョイス。まぁ、趣味アイテムなんてそんなもののはずだ。

 あわせて、CB500S(ゼルビスと同じフレームを使用している欧州向けバイク)用のケースホルダー、要するにバイクとケースを繋ぐ金具、も注文。これがないと、トップケースも役立たずなのだ。CB500S向けのケースホルダーが、果たしてゼルビスにちゃんとつくのか、微量に不安だったけど、あんまり悩まずにさくっと購入。つかなかったらそのとき悩めばよかろう。うえっへっへ。

 そして今日。実家に注文していたブツが届いたらしいとの連絡を受ける。よーしよし。どんなものが届いたか楽しみだ・・・。

 たぶん続く。

日記: 10月17日 (2006年)

 PCについて悩んでいる。

 現在のPC構成は、2004年の年末に変更してから変わっていない。当時の新マシンが自宅、旧マシンが実家に置かれているという状況が、2年間続いている。

 悩んでいるのは、実家マシンのスペックだ。

 あの当時よりも、最近は実家に帰ることが多くなっていて、週末は実家マシンを使ってゲームに興じることが多い。そのため最も集中して遊ぶ週末に、スペックギリギリの旧型機で遊んでいる状況なのだ。せっかく新マシンに投資をしたというのに、最近ではその甲斐がなくなってきている。

 もともとは、この先、自宅マシンが劣化してきたら、また同じように自宅マシンを新調し、自宅マシンを実家マシンに、実家マシンを粗大ゴミに、というシフトを行うつもりでいた。なのだけど、最近どうもPC界の進化がゆるやかで、自宅マシンに対して一向に不満が出ないんだよね。だから、全然このシフトを行う気がわかない。費用対効果という面で、かける金額ほどの進化を遂げられそうにないのだ。

 加えて、自宅マシンと実家マシンの主従が曖昧になっているのも悩みどころだ。実家マシンが「時代遅れの不自由なもの」であり続けることに対する不安があるのだ。

 自宅マシンにはグレードアップさせるだけの動機を持たない。なので、シフトも起こらない。しかし、もう実家マシンは限界に近づいている。シフトが発生するまで待つことが困難になってきた。

 シフトさせずに実家用として組むかなぁ。
 そもそも組むのめんどくさいから既製品買うかなぁ。
 データ移行がかったるいなぁ。

 悩みは尽きない。