カテゴリー別アーカイブ: 椎間板ヘルニア闘病記

ヘルニア闘病記: 05.入院2日目/手術2日前

 朝起きると、前日の尿と便の回数を聞かれた。聞かれるなんて知らなかったので数えてもいなかった。今後は数えよう、とこの時は思ったが、結局退院まで適当にそれらしい回数を言い続け、ちゃんと数えたことはなかった。

 この日は特に何もない。手術日は週に2日しかないので、それまでは安静にして待つだけの日となる。

 テレビを見たり、本を読んだりしてダラダラ過ごした。

ヘルニア闘病記: 04.入院1日目/手術3日前

 入院した。

 私にあてがわれたのは四人部屋の中の1つのベッドと、その周辺のスペース。ベッドを含めて3畳弱か。これから1ヶ月私の城はここになると思うと、狭いながらも愛着がわいてきた。

 私の入院時に付き添った母は、やややつれていた。このとき別の病院に母方の祖母が、つまり母の母が入院中だった。末期の膵臓癌で、余命数ヶ月を宣告されていた。

 「毎日お見舞いに来るからね」

 そういった母は憔悴しきった顔で帰っていった。次は祖母の病院に行くようだ。祖母の病室は希望のない病室だ。私の病室は希望のある病室にしなければならない。

 退院するまで一言たりとも、母に泣き言や弱音は聞かすまい。密かにそう誓った。

 初日から注射ラッシュだった。

 まず、この日腰に打つ予定の造影剤というものにアレルギー反応が出ないかのテスト注射をした。造影剤というのは、神経の流れをレントゲンで写すために、神経の通り道にレントゲンに写る液体を流し込むというものだ。

 アレルギーが出ないことが確認されると、腰に麻酔注射を打ってから造影剤を打つ。造影剤を打ったところですかさずレントゲンを撮った。

 レントゲンを取り終わると、早速レントゲンが現像され、それを見せてもらいながら、もう何度も聞いた手術の説明を院長先生に聞かされた。レントゲンに写る私の神経の流れは、腰の一部分で急激に狭まり収束していた。ここを圧迫している椎間板を切除するのだ。

 この後、4時間は飯も食えずに完全に安静に。8時間はトイレにだけ行ってよし。16時間はできるだけ安静に。という、暇で無為な時を強要された。動き回ると造影剤が体内を循環して、頭痛や吐き気を催すためだそうだ。

 あー暇。

ヘルニア闘病記: 03.入院まで

 「よくこんなになるまで放っておいたね」

 MRI写真を診た先生は開口一番そう言った。自分でも今ではそう思う。

 「手術しかないね」

 結論として、もうブロック注射のような保存的な方法は難しく、外科的な手段で切除してしまうのが良いという話をされた。

 背中を切り開き、腰椎の神経の至近にある軟骨を切除する。とても怖い手術のように思えるのだけど、このときの私にはあまり恐怖心がなく、自分のことだとも思えず、淡々とその事実を受け入れて、手術に向けた準備を進めることにした。

 帰宅し、親に「手術をすることにした」という旨を伝えると、親は青い顔をして「他の手段はないのか」というような反応を示した。「いい病院を探したのか」「内視鏡は」「レーザーは」・・・etc。でも私はもう手術をする気でいたし、自分の中での問題は「手術をするかしないか」ではなく、「手術をするための準備をどうするか」になっていたので、話は早々に打ち切って、自分の準備に取り掛かった。両親がなにを狼狽しているのか理解できなかった。

 入院中に使いそうな日用品。暇つぶしになりそうな携帯用ゲーム(ワンダースワンのスパロボ)、本(坂の上の雲、功名が辻)。それに手術中、手術直後は、入院用の浴衣のようなものを着るらしいので、そういうものも買った。

 全ての準備が整って、あとは入院日を待つのみ。

 そういう状況になって初めて不安が襲ってきた。インターネットで「ヘルニア 手術 失敗」などというキーワードで検索したり、「入院日記」のようなものを読んだりと、安心の材料を探した。結果わかったことは、「大失敗の事例はあんまりない」ということと、「手術後の1週間はしんどい」ということだ。

 これから襲ってくる苦難を嘆いて、1回だけ1人で泣いた記憶がある。「なんで俺が・・・」というような事をつぶやいていたかもしれない。両親が狼狽したのと同じ気持ちに、やっとたどり着いた。

 でもすぐに大したことではないと思うことにした。私が不安になるわけにはいかない理由があった。

ヘルニア闘病記: 02.検査

 立てない。歩けない。

 座っているとなんでもないのだけど、立っているとすぐに左脚の内部に鈍痛が牙をむき、立っていられなくなる。座ると、それまで痛かったのが嘘のように、スーッと痛みが引いていく。これは寝ているときも同様で、横向きに腰を曲げて寝ていれば痛くないんだけど、体を伸ばして仰向けやうつ伏せに寝ていると、脚が痛くなる。

 病院嫌いの私は、ここへきてやっと受診を決意した。今にして思えば遅すぎる決断なんだけど、もはや後の祭りだ。

 検査では問診の内容からすぐに椎間板ヘルニアが疑われた。私もインターネットで飽きるほど自分の症状は調べていたから、きっとそうだろうとこの頃には思うようになっていたので、驚きはしなかったし、それがどんな病気なのかもわかっていた。

 レントゲンでは椎間板ヘルニアを示すような確固たる画像は得られなかったが、続いて撮ったMRIではしっかりと椎間板ヘルニアを示す画像が得られた。MRI写真では私の腰椎の中を通る神経を、私の椎間板が圧迫しているのが、素人目でもハッキリとわかった。それほどに、大きく歪んで露出した椎間板がそこにはあった。

 私は椎間板ヘルニアにかかったのだ。

ヘルニア闘病記: 01.予兆

 最初の違和感はかかとだった。

 左足のふくらはぎからかかとにかけてが硬い。凍ってしまったように感じる。つま先を上げることが難しい。無理やり屈伸をしたりしてほぐせば、硬さはすぐに和らぐが、歩いたり立ったりしていると、またすぐに硬くなる。

 これが結局、椎間板ヘルニアの初期症状だったんだけど、このときはまだ筋肉の異常、つまりただの運動不足によるものだとか、就寝中に緊張していて固まっているせいだとか、そういうものだと思っていた。

 しかしそんな見立てに冷水を浴びせるように、3ヶ月ほどで脚の異常は次のステップに進み、それはもう少し暴力的なものになっていた。

 立ち歩いていると、左足のひざの裏側からふくらはぎにかけての、脚の内部が痛むようになった。痛む箇所が「脚の中」という感覚で、「骨をつねられている」という表現がしっくりくるような痛みだ。脚の表面をさすったり圧迫したりしても、到底届かない場所が痛く、慰みにならない。神経に病因があるのだな、ということは直感的にわかった。

 でも、我慢できない痛みではなかったし、少し座っているとすぐに痛まなくなるものだったので、そのまま放置していた。そのうち治るだろう、と高をくくっていた。ちなみに中国旅行に行ったときは、この状態だった。

 だが、一向にこの症状は改善しなかった。脚の痛みをごまかす生活は、時間がたつほどに悪化していって、やがて私は10分と歩けない体になっていた。