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ヘルニア闘病記: 15.おわりに

 退院後しばらくは、いろいろと不便があった。むやみに走ると、衝撃が背骨に響くし(背骨に響くって感覚、わかるかな? たぶんわかるまい)、コルセットは夏場暑いし、リハビリだるいし。

 でも、歩けるというのはとてもすばらしいことだった。スーパーで物を選びながら買い物ができる。買うものを先に決めておいて、脚が痛くなる前にそれらを迅速に拾い集めるというようなタイムレースを自主開催しなくていい。

 電車の中で30分でも1時間でも立ってられるというのは、なんて自由なんだろう。末期の頃は10分と立っていられなかったから、電車に10分乗って、席に座れなかったら降りて駅のベンチで休んで、また乗って、10分くらいで降りて、というふうにしか電車に乗れなかった。

 優先席の有り難味がわかったし、しかし実際には滅多に優先されないということもわかった。優先されるべき人物かどうかなんて、老人か妊婦か以外では、外見上判断できないのだから当たり前だ。そして優先席は「譲られる」より「空いている」のほうが、はるかに嬉しいということもわかった。ヘルニア克服後、健常であるうちは「絶対に優先席には座らん」は私のルールになった。

 あれから10年が経った。再発する人、完全治癒しない人、そういう人も世の中にはいるらしいけど、私には今のところそういった気配はない。理想的な術後経過だと思う。季節の変わり目に、一瞬疼痛がする瞬間があるけど、気にもならない程度のことだ。

 もう先生の顔も、看護婦さんたちの顔も、3バカトリオの仲間の顔も覚えていない。でも、ヘルニア時代の不便さ、手術のつらさ、術後5日間の苦しさ、その後の入院生活の暇さ、退院時のうれしさなどは克明に覚えている。当時支えてくれた人たちへの感謝の気持ちは、筆舌に尽くしがたい。

 だからそんな感謝の気持ちを、伝えきれないまでも伝えることで、このシリーズの締めとしたい。

 ありがとう。

ヘルニア闘病記: 14.入院22日目/手術17日後

 いつもの不味い朝飯を食い、最後の検診をして異常なし。

 荷物をまとめ、長く世話になったベッドまわりのスペースに別れを告げ、度数の余ったTVカードを3バカトリオの仲間に託し、看護婦さんたちに挨拶をし、母の持ってきた菓子折りを渡し、各種の手続きをして退院した。

 呼んであったタクシーに乗り込み、家の前まで乗り付けた。

 タクシーを降りると、そこは3週間ぶりの我が家だった。

 家を見たら感動で泣くんじゃないか。とか思っていたんだけど、案外どうって事はなかった。一歩一歩、脚は痛くないか、腰には響かないか、確認するように歩を進めた。

 大丈夫だ。歩ける。そんなことは脱走時に証明済みではあるんだけど、正規に退院して歩くのとは意味が違う。大丈夫だ。歩ける。もう少し慣れれば、自由にどこへでもいけるし、なんだってできるようになる。

 過剰に未来の自分を評価しながら、ドアノブに手をかけ、ドアを開き、家に入った。

 ただいま。

ヘルニア闘病記: 13.入院21日目/手術16日後

 もう入院している必要はないんじゃないだろうか。そんなことを考えるようになった。

 点滴が必要なほど衰弱しているわけでもないし、歩けるし、食えるし、脱走だってできる。リハビリも特別な器具を使っているわけではないから、家でだってできる。当初入院期間は1ヶ月と聞かされていたんだけど、これ以上入院しても、入院費用がかさむだけだ。1ヶ月は最長の期間であって、私のような若く回復力のある患者なら、3週間でも退院できるはずだ。

 よし、退院しよう。決めた。

 ちょうどこの日の午前に、執刀してくれた院長先生の回診があったので、おもむろに切り出してみた。

 ―もう退院できそうな気がしてるんですけどどうでしょう
 「そうですね、明日で退院しますか」

 院長先生判断早ええええ。もう少し説得が必要になるかと、いろいろと屁理屈を用意していたのに拍子抜けだ。

 ともあれ、そんなわけで急遽退院が決定した。

 この日の昼過ぎ、お見舞いに来た母にその旨を伝えると、母のほうは大慌て。退院を迎えに来る時間はどうするだとか、帰りのタクシーを呼ぶことだとか、明日の夕食は何がいいかだとか、そんなことをまくし立てながら、打ち合わせをすると、急で困るだのなんだのと悪態をつきながら、この日は帰っていった。

 その目は少し潤んでいた。

ヘルニア闘病記: 12.入院20日目/手術15日後

 同じ病室に、同じ椎間板ヘルニアの入院患者が2人いた。それに加えて私の3人は、同じ苦労を乗り越えた仲間ということで、よく話をする仲になった。

 そんなある日、この3バカトリオは満を持して計画を実行した。

 「脱走」だ。

 全員術後の経過もよく、順調ではあるが暇なリハビリ生活をもてあましていた。そこで、夜病室を抜け出して、シャバの空気を吸おうと思い立ったのだ。

 午後7時半。そろりそろりと病室を抜け出し、病院の非常口をでて、道路に降り立った。

 ・・・嗚呼、3週間ぶりの病院外の空気だ! 3人3様に感動をかみ締めながら、計画の目的地であるコンビニへと向かった。

 別に何がしたかったわけでもないので、病院を出た時点で目的は達成されている。コンビニでなんとなくお菓子を買ったり、立ち読みしたりして、ひとしきり病院外ライフを堪能した我々は、さっさと病院に帰った。

 特に計画がばれた様子もなく、すんなりと各自のベッドに帰り着き、脱走作戦は成功裏に終わった。終わってみればなんて事のない計画だったけど、その日の夜は、暗闇の中でにんまりとしながら眠りについた。たぶん、他の2人もそうだったと思う。

ヘルニア闘病記: 11.入院11~19日目/手術6~14日後

 歩けるようになった次の日から、リハビリ生活が始まった。

 リハビリの内容は大きく分けて2種類で、1つは腰まわりの筋力の強化。筋肉を天然のコルセットとすることで、手術部位の保護と再発の防止を図る。もう1つは脚まわりの柔軟で、長いこと稼動していなかった左の足や脚の関節をほぐす。

 ワタクシ、自慢ではございませんが筋トレのたぐいが大嫌い。なので、結構このリハビリ生活はつらかった。「ゆっくり途中まで上げる腹筋を5回」とかいう程度の運動量だったと思うんだけど、なまった体ではそれすらも最初は苦痛だったのを覚えている。

 でも、1日1時間程度のリハビリと、1日1時間の点滴の時間以外は基本的に何もすることがない入院生活では、リハビリの時間はやることが明確なだけ、まだしもマシだった。それ以外の時間は自由ではあるんだけど、やることもないので、とても暇な日々だった。