カテゴリー別アーカイブ: 椎間板ヘルニア闘病記

ヘルニア闘病記: 10.入院10日目/手術5日後

 手術部位の回復具合を確認し、問題がないと判断されたため、3度目の羞恥プレイを迎えることなく、手術後5日目にして、いよいよ自立を許された。待ちに待った瞬間だった。

 が、長らく寝たきり生活だったため、筋肉が弱ってしまい、すぐに自立することは出来ないらしい。そこで車輪つきの歩行器が用意されての、ものものしい自立となった。どうやらただ立って歩くだけでも大仕事らしい。

 しかし、自分的には少しこのものものしさに違和感を感じていた。正直、「普通に立って歩けるよ」と思っていた。

 先生に言われるがままに、ベッドの上で上半身を起こしてみる。「どう?気分悪くない?」などと聞かれるが、気分が悪いわけがない。夢にまで見た直立の世界だ。東京タワーの上からみるよりもいい眺めだった。サイコーの気分だ。

 全然余裕であることを伝えると、今度はゆっくりと床に立ってみよう、と言うことになった。まずは手術前に採寸し、私の胴の形にフィットするように作られたコルセットを装着する。そして足を床に下ろして、ベッドに腰掛ける形になる。問題ない。さっとそこへ歩行器が用意されるが、そんなものが必要とは思えなかった。

 すくっと立ち上がる。まるっきりふつうに立てた。「あれ?大丈夫?歩ける?」などといわれたので歩いてみるが、当然のように歩ける。そして・・・脚が痛くない。すばらしい。もう有頂天だ。

 調子に乗ってすたすた歩く。あわてて歩行器を引きずって看護婦が付いてくるが、そんなものは要らない。感動に水を差すな。ひとしきり歩いて、先生の下へ戻った。

 先生は少し意外そうに私をみて「普通はいきなりそんなに歩けないんだけどね」と不思議そうに言った。でもなんとなく私には、私が歩ける理由がわかる気がした。要するに、私にはもともと落ちる筋肉がさほどなかったのだ。だから普段から少ない筋肉で歩くテクニックが身についていたに違いない。多少筋肉が落ちたところで普段通りなのだ。筋力10の人が3に落ちれば大変だろうが、もともと筋力4しかなければ3になってもギャップが少ない。情けない気もするけど、たぶんそういうことだと思った。だって、ここ半年くらい10分と歩けない体だったのだから。

 そして満を持して、自力でトイレに入り、心ゆくまで排便をした。洋式トイレの個室が、帝国ホテルのスウィート・ルームのリビングに思えた。

 入院は山を越えようとしていた。

ヘルニア闘病記: 09.入院7~9日目/手術2~4日後

 動けない生活はつらい。飯は不味いし、テレビは横にしか見えないし、気がつけば「やだねったら、やだね」と箱根八里の半次郎を自嘲気味に口ずさんでいた。

 そんな動けない生活で一番つらかったのは、言うまでもなく大便だ。汚い話で恐縮だけど、看護婦さんに自分の恥ずかしいところと、そこから出てきた戦果との、両方を処理してもらわなければならない。これは極めて屈辱的な行為になる。だから椎間板ヘルニアくらいの拘束期間の場合、自力で動けるようになるまで大便を我慢し続ける人もいるようだ。

 が、私は悟りを開いていたので、なんにも気にせず(いや、したけど)、2度ほどベッドの上での排便と言う、羞恥プレイを堪能することになった。

 手順はこうだ。

 まず排便したい旨を伝える。するとチリトリ状の容器が寝ている私の尻の下に挿入される。このとき掛け布団はかけたままだ。そしてその状態で排便する。行為が終わったら、その旨を伝えると、容器ごと便が持ち去られる。看護婦さんが尻を拭いてくれる。病室にはしばらく大便の香りが充満する。

 うわああああああ。思い出すだけで恥ずかしいわ!

ヘルニア闘病記: 08.入院6日目/手術1日後

 昨日は昼過ぎに病室に戻ったらしい。断片的には覚えているが、あまり覚えていない。

 母が言うには、「真っ青な顔をして帰ってきた」とのことで、やはり手術というのは患者の体力を相当に損耗させるもののようだ。

 しばらく「痛い痛い」と言っていたらしいが、全然記憶にない。痛かった記憶さえないのだから都合がいい脳みそだ。そのまま座薬の鎮痛剤を挿入されて、半ば寝たような、半ば起きたような意識のまま、気がつけば完全に寝入って翌朝を迎えた。

 しかしこの話を聞いて内心舌打ちをした。母に泣き言は聞かせないと誓ったのに、知らない間にあっさりと誓いが破られてしまった。だからこの日以降は、努めて「全然余裕」と振舞った。

 実際この段階で、もう手術部位の痛みはあまりなかった。ただやはり肌が突っ張っているような違和感があった。

 さらに見回すと、局部がおかしい。私のホースの先端から、ゴムのホースが伸びている。こ、これが噂の尿道カテーテルか。知らない間に局部をいじられていたと思うと、少し恥ずかしい気分にもなったが、この頃にはもう「どうにでもしてくれ」と腹をくくっていたので、すぐに気にならなくなった。

 カテーテルの先はベッドの下に消えていっているので、体を起こすことも出来ない自分では、その先がどうなっているのかは確認できなかった。後ほど看護婦(この頃はまだ看護師とかいう言い方はなかった気がする)に聞いたところ、単純に尿を溜める袋があるだけとのことだった。ふむ。

 こうして寝たまま微動だにできず、そのまま飯を食い、テレビを見たり本を読んだりして、ひたすら時が過ぎて回復するのを待つ生活が始まった。

ヘルニア闘病記: 07.入院5日目/手術当日

 いよいよ手術日。あまり怖くはなかった。

 私の手術はこの日の手術患者の中で一番目なので、朝起きたらすぐに手術着に着替えた。手術着の下にはT字帯という、いわゆるフンドシしかつけていない。

 8時30分。ストレッチャー(車輪のついた患者を寝かせたまま運ぶベッド)にのせられて、レントゲン室へ連れていかれた。ここでレントゲン写真を見ながら、腰に針金を槌で打ち込むのだ。どこを切るかという目印に針金を打つらしい。

 麻酔をしているので痛くはないが、槌を打つ度に背骨全体に直に衝撃が伝わってきた。こういう衝撃は未だ体験したことがないので気持ちが悪い。しかし、繰り返すが痛みはないし、自分で見ることもできなかったので、自分の腰に針金が刺さっていると言う事実は、どこか真実味のない話だった。

 針金の打ち込みが終わると、そのままストレッチャーで手術室へ運ばれた。私の背中には何本かの針金が刺さっていて、ハリネズミのようになっていただろう。針金があるため仰向けにはなれないので、横向きに丸まるように寝た体勢で横たわっていた。

 手術室の様子はテレビドラマで見るような手術室と変わらず、中にいる人々は皆一様に、深緑色のオペ着を来て、深緑色の帽子をかぶり、深緑色のマスクをしていた。表情の隠された執刀医やその他の人々の、帽子とマスクの間からのぞく目が妙に無機質に感じられ、ストレッチャーに横たわる私を見下ろす姿が、やけに冷たく感じられた。

 その無表情を収斂したような雰囲気に、入院して初めて軽い恐怖を感じ、少し緊張してきた。

 しかし、緊張を膨らませるより先に、口にマスクをあてがわれ、麻酔を吸引すると、すぐに私の意識は白濁し、暗転した。

ヘルニア闘病記: 06.入院3日目/手術1日前

 手術前日。

 昨日とはうってかわって、いろいろいろいろとイベントがあった。以下、書き連ねる。

 心電図。
 肺機能検査。
 血液検査。
 点滴のアレルギー検査。

 さらに、

 術後使用するコルセット(腰椎補強器)の採寸。
 点滴針の打ち込み。二度も失敗されて痛かった。

 そして寝る前に、

 座薬を入れて排便を促した。
 睡眠薬を飲んでぐっすりと睡眠。