日記: 3月14日(2011年)

 2011年3月11日の東日本大震災で、多くの人々の生活が一変した。最も甚大な被害をこうむっている被災地の方々が、1人でも多く幸せを取り戻すことを願わずにはいられない。

 そんな方々とは比べ物にならないほど小さな損害しかこうむっていない私も、しかしやはり11日以前とはだいぶ異なる環境に身をおくことになっている。首都圏下の多くの人たちと同じく、交通網の混乱、輪番停電、原発事故の不安などの困難が大きなストレスとなり、陰に陽に日々の円満な生活を阻害している。

 また仕事の上でも、物資調達や協力会社の動向なども不安定になっているし、長期的に見て、そもそも業務自体の継続がどうなるのかということすら、正直不透明な状況になっている。1年後の自分が確固としては予想もできない状態になりかけている。この潜在的な不安が最も大きなストレスとして圧し掛かっている。

 でも、悪い想像をすればきりがない。今はできることをできるだけ「普通」にこなして、無理や強制や期待や不安や興奮や誤認や扇動や不寛容や気負いやストレスからフリーになるような生活を心がけて、水平よりもほんの少しだけ上をみて生活していこうとおもう。

 以下は、11日から14日までの私のタイムライン(Twitterにあらず)だ。1年後にこれを笑って見返していたい。

 【3/10:震災前日】
  米が切れる。11日の帰りに買って帰ろうと思う

 【3/11:震災当日。午後はひっきりなしに揺れた】
  14:50 社屋2Fで強い揺れ。社内騒然
  15:10 業務停止。一時屋外退避
  16:00 交通機関の状況把握。絶望的
  16:15 徒歩帰宅可能だったので帰宅
  16:20 途中、スーパー等は閉店していた
  16:30 立ち食いそばを食べておく
  16:45 帰宅。自宅内はひどい状況
  16:50 TVで事態把握。恐ろしい映像
  17:30 自宅内の整理完了
  17:40 RIFTにログイン。ギルドメンバー3名
  21:00 RIFTにログイン者合計10名ほど?
  21:00 いろいろな情報交換。揺れる度に各自報告
  22:00 やっと実家にTELがつながる。無事を確認

 【3/12:震災翌日。相変わらず揺れる】
  11:00 実家に向けてバイクで移動
  11:15 一般道はいつもの混み合い
  11:30 高速道路は近年まれに見るスムーズな流れ
  12:00 実家の無事を確認。自宅より被害小
  13:00 実家周辺を昼食を兼ねて散策
  14:00 飲食店はほぼ営業していた
  23:00 実家泊

 【3/13:震災翌々日。まだゆれる】
  19:00 実家発。ガソリンが残り1ゲージ
  19:10 ガソリンスタンドが営業していない
  19:20 営業しているところは長蛇の列
  19:30 一世一代の燃費走行で進む
  20:00 なんとか帰宅。道はスムーズ

 【3/14:あまり揺れない。地震より原発が怖い】
  8:30 普段どおり徒歩通勤
  9:00 出勤率60%ほど
  12:00 出勤率80%ほど
  19:00 帰宅。スーパーに寄るが米は売り切れ
  19:15 噂の買占め族を多数視認。重そう
  19:30 冷凍ポテトを揚げて食う。ウマイ

日記: 3月14日(2011年)」への3件のフィードバック

  1. Nez/蝿

    米もパンもパスタもないスーパーで、
    私に残された最後の炭水化物はこれでした。

    返信
  2. ピンバック: 日記: 3月11日(2016年) | Fly!

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