日記: 7月23日(2016年)

 先日、日本でもリリースされたポケモンGO、すごいな!

 ・・・はい、やってないですけども。

 一応言っておくと、私がポケモンGOに手を出していないのは、別にひねくれてるわけでもなければ、スペックが足りないわけでもなくて、単純に好みのゲームではないからだ。私は物欲という部分では、完全な一点突破主義らしく、コレクション欲というものが、ゲームでもリアルでもあまりない。1つのものを愛でるほうが好みだ。だから、こういうゲームにはさして食指が動かないのだ。

 でも、そんな私の好みはどうでもいい。私の好むと好まざるとにかかわらず、ひとつのエポックメイキングなゲームであるということは疑いない。のちの歴史において、必ず触れられることになるであろう作品だ。だから、少なくともこのゲームがリリースされたときに、プレイはしないまでもその事件をちゃんと目にしてはいたのだ、という記録くらいは残しておくべく、記事にしてみた次第だ。

 プレイもせずにのたまうのもどうかと思うけども、このゲームのすごいところは、本当の意味での「拡張現実」を体現してくれたってことだろう、と思う。

 何の変哲もないスポットが、バーチャルによって、何の変哲もなくないスポットに変わる。変えることができる。実際に変わっている。ある種感動的な光景だ。

 こういう拡張現実的なものは、スマホの普及し始めたころから、発想自体はいくつもあった。試験的な商品も一時は多くリリースされていた。でもそれらは、一部の技術オタクによるニッチな文化、という域をなかなか出ていなかった。失敗に近い例が多数でたのち、ある意味ブームが去りつつあった感すらあった。

 そんな停滞していた拡張現実の流れを、一瞬にして引き戻し、一般層の域にまで到達させたことは、「偉業」と言っても差し支えはないだろう。情報技術の次のステップだな、という大げさな感慨すらある。

 ネガティブなことを言えば、ポケモンGOにまつわるさまざまなカオス的な状況は、秩序を好む私からすると、大嫌いな状況でもある。リアルでは違法なことを、法整備されていないバーチャルの世界との境界線で行うことで、悪くいえば脱法行為をしているような印象は、いまだにぬぐえない。街に繰り出し、そこかしこに人々が群がっている光景は、電車マニアが写真撮影のため駅のホームに群がっている光景と、まったく同じ印象を受ける。よそさまに迷惑をかけぬよう育てられた私としては、このような反社会的行為を惹起するようなゲームは、プレイしないことが正義である、というような大いなる使命感を覚えたりもする(・・・と言う理由でプレイしていないわけではないのは上述のとおりだが)。

 でも、そういうネガティブさを大きく上回る、拡張現実の可能性こそが、やっぱりこのポケモンGO騒動に対して、第一に感じるイメージだ。よくやった、と素直に感心するし、こういったものが第一に我らが日本から発信されたということも、実に誇らしい。

 ってなわけで、Fly!ではポケモンGOは未プレイだけどそこそこ応援しています。

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