日記: 2月27日(2018年)

 電子コミックスの売り上げ、紙コミックスを初めて上回る

 電子書籍が徐々に浸透してきている。電子書籍を黎明期から支持し、購入してきた私としては、望ましい世界が広がっている。

 でも、いまだに電子書籍に対する誤解は多い。その辺をただただ思うままに述べたい。

 誤解1: 価格が高い

 この誤解はすごく多い。紙という物質がないのだから、「かなり安く」なるはずだ、と思っている層が非常に多くいることには驚かされる。

 本の流通に詳しいわけではない私でも、ちょっと考えれば以下のようなことはわかる。

 まず、本の価格=内容を作る価格+内容を出力する価格+流通の価格、だ。

 内容を作る価格というのは、作家や編集者が受け取るお金だ。これは電子だろうと、紙の冊子だろうと変わらない。まったくもって、「かなり安く」はならない。

 内容を出力する価格というのは、電子書籍ならPDFや類似の形式に変換する価格、紙の冊子なら印刷をする価格だ。用紙代もここにかかる。これはおそらく電子書籍のほうが安いだろう。ただ、前者のほうが後者より技術的にこなれていないぶん、携わる技術者の人件費は高いだろうな、ということも推測はできる。だから結局は劇的な価格差はないんじゃないの? と思う。おそらく、「かなり安く」はならない。

 流通の価格、というのは電子書籍ならサーバー保守代金とか、DRMの技術的な問題とか、アカウント管理とか、決済システムとか、そういうもの全般の価格だ。紙の冊子の場合、在庫を置いておく倉庫の費用と店舗に運ぶ運搬の費用などになるだろう。ここでまた直感と現実の差を想像しないといけないんだけど、たぶん物理的に作って、置いて、運ぶほうが、今の世の中では安い。技術的に難しそうなこと、のほうが高給取りが関与しているからだ。だから少なくとも、「かなり安く」はならない。

 そんなこんなでトータルすると、結局電子書籍は「そんなに安くならない」と想像できる。

 世の中のコモンセンスとして、電子書籍を作り、流通を維持するコストへのリスペクトが、もう少しあっていいように思う。少なくとも、紙の冊子の流通と同程度には。

 誤解2: いつ消えてもおかしくない

 これは、確かにそう。

 じゃぁ誤解じゃないじゃん、と思うかもしれないけど、そうじゃない。この部分で言いたい誤解は、紙の冊子だっていつ消えてもおかしくない、ということだ。

 紙の冊子の場合、プラットフォームがサービスを終了したせいで読めなくなる、というようなリスクはない。でもその一方で、汚れ、折れ、破れ、濡れ、燃え、紛失する可能性がある。本の完全性を損ねる、という点でどちらのリスクのほうが大きいかといえば、せいぜい五分五分だと思う。

 あんまり話が膨らまなかったけど、あとの特徴に関しては個人の好みという話が多い。

 例えば蔵書が趣味、という人はいる。読むことよりも、読んだ本が部屋の本棚を埋めていくことに幸せを感じる人。そういう人には紙の冊子しかないだろう。

 また高精細な表現を求める人も、今の解像度では電子書籍では満足しないだろう。読めればいい、というのが今の電子書籍のクオリティなので、綺麗さを求められるとつらい。

 単純に電子書籍はよくわからない、という人たちも高齢者を中心にまだまだ多くいるだろう。

 でも、そういう人以外にとっては、電子書籍は有利なことが、本当は多いはずだ。

 いまだにAmazonでも電子化されていない本が山ほどある。権利の問題もあるのだと思うけど、電子版を作るだけのリターンが少ないから、あえて着手されていない本も多いのだろう。でも、私はありとあらゆる本を、電子で読みたいのだ。

 だからみんな、電子書籍に親しんでいこう。リターンの期待できるメディアにしていこう。

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