続・疲弊中。
追伸:目が痛い
続・疲弊中。
追伸:目が痛い
都内JR某駅にて、自宅へと帰る電車を待っていたところ、私の隣に、同じように電車待ちをしている小洒落た男性が立った。
男性は、ひとめでブランドものとわかるスーツに身を包み、ブランドもののバッグを小脇に抱えている。いかにも「えぐぜくてぃぶ」って感じの、伊達男だ。
ところが、その男性がそこでとった行動には、あまりにも見た目とのギャップがありすぎて、度肝を抜かれてしまった。
男性はおもむろにバッグに手を伸ばすと、中からナイロン製の財布大の大きさの包みを取りだした。服装に似合わない、安っぽい黒の包みだ。ぱっと見、彼の持ち物と言うよりむしろ、「10代の子が持っている財布」といった印象を受ける品である。この段階ですでに、多少変な感じがしたのだが、次の展開までは予想できなかった。
そして、次の瞬間、私は我が目を疑った。
男性がその包みを開けると、中からは携帯ゲーム機が出てきたのだ。たぶん、ゲームボーイだと思うが、あいにく私はPC以外のゲーム機に疎いので、よくわからない。とにかく、その包みは「ゲーム機ケース」だったようなのである。
男性は、よどみない「えぐぜくてぃぶ」らしい余裕ある仕草で、ナイロンの包みにはいったままのゲーム機を起動し、電車に乗ってからも一心不乱に遊び続けていた。
・・・いやー、ゲーム機もこんなに世間に浸透し、一流企業のサラリーマン(推定)が、公衆の面前で颯爽とプレイする時代になったんだと思うと、多少「ゲームが好き」ということに後ろめたさを感じざるをえなかった、我々ゲーマーにとっては、喜ばしい限りですなあ。彼は我々の希望の星と言っても過言ではない!
非常にかっこわるかったけど。
疲弊中。
早朝3時50分。おもむろに私のベッドの枕元にある目覚まし時計が鳴りだす。
私の目覚まし時計は、時計上部に設置された金属製のベルを、ハンマー打ち鳴らすことで目覚ましの用を為すという、昔ながらの目覚まし時計だ。単純な機構だけに、その音量、及び覚醒効果は尋常ではなく、なおかつ音量の調節は不可能である。
そのためこのような異常な時間に鳴らす場合、自分の覚醒如何よりもまず、周囲の家族や隣人が目覚める前に目覚ましをとめねば、という道徳心が優先されてしまう。結果として、この道徳心が、より強い覚醒効果をもたらしめ、私は問題なくこの時間に目覚めることができた。
さて、こんな時間に起きたのは言うまでもなく、ユーロ2004のオランダxチェコ戦を見るためである。死のDグループのドイツxオランダ戦に続く注目カードだ(ドイツxオランダを放映しなかったTBSは万死に値するといっていい)。
数日前に同じ時間帯で放映された、フランスxイングランド戦は、ラストが劇的だったとはいえ、フランスの動きが悪かったこと、やや過剰に期待していたこと、そしてなによりも早朝に無理に起きてまで見たこともあって、正直いまいち感をぬぐい去れない試合だった。要するに、「早朝に起きてまで見たのに!この程度かよ!」という、一種の被害者意識を感じてしまったのだ。
っていうか、イングランドを応援してたのに、ぎりぎりで負けやがったし・・・。
そんなわけで今試合。ハーフタイムをはさんで、ぶっとーしで見ること90分強。途中の経過は省くけど、感想としては非常に見応えのある試合だった。素人なので点がばかばか入ればまずおもしろいし、前半と後半の明暗のギャップ、何度もTV画面に向かって身を乗り出さざるを得なかった両チームのパフォーマンス、痛すぎたレッドカード、そしてサッカー漫画のような劇的な展開。うーん、すばらしい。
今回は、「早朝起きてまで見て良かった!」
古い書類を探して、古い引き出しをあさっていたところ、おもしろいものを発見した。
それは、下敷き、である。ものを書く際に紙の下に敷く、ぺらぺらのプラスティックでできた下敷き。学生が夏に、ウチワのかわりに使う、あの下敷きだ。
もちろんただの下敷きではない。その下敷きは、私の通っていた小学校が、創立三十五周年を記念して作り、生徒に配布したものでなのである。
その下敷きには二種類あり、一方には全校生徒が校庭で作った、人文字の空撮写真が。もう一方には、学校を中心とした学区全体の空撮写真が、それぞれプリントされている。人文字の下敷きも、その中の一ドットが自分なだけあって、それなりに興味深いのであるが、私の興味をより強く引いたのは、学区全体の空撮写真のほうだ。
その学区のある街には、私は現在住んでおらず、頻繁には赴くこともない街なのだけど、それでも年に数回、車やバイクで通りがかることもある街、という遠くも近くもない距離感を抱いている。しかし、その下敷きに描かれている街は、私の最新の記憶の中にあるこの街ではなかった。下敷きの中のこの街は、幼い頃の私が、毎日かけずり回って警察ごっこや、缶蹴りをしていた、心の中の故郷ともいうべき、あの街並みを完全に残していたのだ。
「あー、この忠実屋よくカーチャンといったなぁ。今はマンションになってるけど」
「おー、ここ、M田の住んでたアパートじゃん」
「このK商店でよく駄菓子の買い食いしたなぁ」
「この交差点で、チャリで車につっこみかけたよ。死ぬかとおもった」
下敷きの中の街に想像上の自分を歩かせ、しばし幼い日の思い出に浸る。
あのころより人口も増えたあの街。しかしもう存在しない街。そんな街をにわかに思い出し、なにやらニヤニヤしてしまう私なのであった。うーん、老人趣味だな・・・。
余談ながら、探していた古い書類は発見できなかった。困ったな。