カテゴリー別アーカイブ: 日記: 2006年09月

日記: 9月11日 (2006年)

 忘れていたというよりも、DDOが楽しかったから、覚えていたけど触れてなかっただけなんだけど、PSUが発売されてしばらくがたった。久々に、ちょっと気になったので調べてみたんだけど・・・これまた、すこぶる評判がよくないではないか。

 どうもネットワーク関係が、近年まれに見るウンコっぷりらしい。曰く、まともにゲームできない、ゲームできても部屋から出れない、キャラワイプ、有料βテスト・・・そんな話ばかりが聞こえてくる。オンラインゲーム黎明期ならともかく、今時こんなことで、これほどまでにトラブるとは。しかも一応仮にもネームバリューのある大メーカーがこの体たらくとは。うーむ、本当に日本のオンラインゲーム界は暗い。

 ただでさえ、腐臭が漂いつつある「Diablo方程式」まんまなゲームなんだから、プレイにストレスがないのは前提条件の、さらに前の前くらいの課題だろうに。そのうえで、デザイン、システム等をとてつもなく頑張って、ほかとの差別化を図ると、やっとこさ「良くできた二番煎じ」になる。そのくらい気合を入れないとダメなジャンルだと思うんだけどね、もやはこのジャンルは。

 おかげで、ゲームそのものについてのレビューが、ゲーム以前の問題のレビューに埋もれてしまっていて、まったくもって評価を類推するすべがない。なんとなーく、それとなーく、「良く言えばPSOどおり、悪く言えば進化していない」というような評価が支配的だということはわかった。だけど、それ以上の細かいレビュー(アクションはここがこう、協力プレイはこう、ストーリーはこう…etc)については、圧倒的な量を誇る「ゲーム以前の問題についてのレビュー」に埋もれていて探すに難く、私においては探すのをやめた。とりあえず、あわてて買わなくて良かった、ということだけは間違いないようだ。

 mixiでも何人かが買ったようなんだけど、買った、という報告以降、やはりろくにレビューらしきものがないのは、察してくださいということなのかな?

 私はそれでもまだ少し期待していて、サーバーが落ち着いた頃に買おうとは思ってるんだけど、だんだんそれさえも不安になってきたなぁ。

日記: 9月10日 (2006年)

 修理が終わる予定の頃を見計らって、バイク屋へ行ってきた。

 ―こんにちはー。修理終わりましたか?

 「いやー、注文するカウルの左右が間違って届いちゃって」

 ―あらら。じゃ、今週末は無理ですね。

 ということで、来週末はバイク屋にいけないので、再来週末までお預け。発注ミスなのか受注ミスなのかわからんけど、勘弁してくれよー。

 とはいえ、どうせ今週受け取っても、しばらく乗れる機会はないし、乗れる頃には暑さも緩んでるかもしれないし、ちょうどいいかな?

日記: 9月7日 (2006年)

 バイク屋から電話アリ。早ければ週末にも修理が終わるとか。あまりに早い展開に驚く。古いバイクだけに、部品の調達さえも難航するんじゃないかと、実は心配していたんだけど、やるなバイク屋。

 見積もり額は、車両引取り代や工賃含めて6万円強。安いとはいえないけど、10万強を想像していたので思わず、「え?それで全部ですか?」と聞き返してしまった。値引き交渉に向いていない、貴族体質の私バンザイ。

 でも、最初にもらった保険屋向けの見積もりの単価を、必要パーツぶんだけ抽出しても、どう考えても10万以内に収まりそうになかったんだけどなぁ。本当に「ただ走れるだけ」という、無残な状態でないといいけど、その辺はバイク屋で実車を見ながら相談せねば。

 今週末に間に合わなければ、来週末は旅に出る予定なので、再来週末か。いずれにしても、あと最長で2週間ほどで、mixiの写真を悲しいものから交換できる(?)わけだ。善き哉、善き哉。

日記: 9月6日 (2006年)

 紀子さま男子ご出産。このニュースで今日は持ちきりだった。

 街頭インタビューで名人がでたりするという、神の采配があったりもしたわけだけど、このニュースを想うとき、どうしても私の精神を占めてしまうのは、雅子様のことだ。

 この人にとってこのニュースは、「よかった」なのだろうか? それとも「肩の荷が下りた」なのだろうか? おそらくそれだけではないだろう。無論、そういった感情ももちろんあるだろうけど、最も懸念されるのは、無力感を感じて打ちのめされているのではないか、ということだ。

 以下、想像で話を進める。

 彼女のような、いわゆるキャリアウーマンは、「役に立つと思われたい」という意識が強い傾向がある。自立心が強く、依存心を堕落と捉える。であるにもかかわらず、外交的な活躍の場を奪われたりしたことで、役に立つ機会を喪失したことに、強いショックを感じていたということは、過去のマスコミ報道でも再三あったとおりだ。「いるだけ」という存在である(という思い込み)ことに対する恐怖心が強い、といってもいい。

 そんな彼女にとって、最後の、そして最高の「役に立つ」手段こそが、「跡継ぎの出産」であったはずだ。にもかかわらず、その役目をも義妹に奪われてしまったのだ。自分より能力的に劣り(語弊があるけど、流してください)、何のプレッシャーもなく、平穏で幸せそうな義妹が、自分の最後の砦をあっけなく陥落させて、自分よりも「役に立つ」存在となったのだ。祝福の気分ももちろんあるだろうけど、無力感を感じていないわけが無い。

 ・・・という想像をめぐらしてしまう。

 皇室、王家の跡継ぎ問題は、実に重要かつ冷徹だ。過去、世界の歴史上でこのような複雑な感情を抱き、泣いていった女性は数多くいる。跡継ぎ問題を背景にした骨肉の争い、陰謀、暗殺のエピソードは、それこそ枚挙に暇が無い。

 現代社会で、過去にあったような凄惨な事件が発生することは考えにくいとはいえ、同じような感情のうねりは、必ずあるはずだ。まぁ、実権力が比較にならないほど小さいぶん、その感情の波の振れ幅も比較にならないほど小さいだろうけど。

 そういった観点で、外野から勝手に皇室の人間模様を想像してみると、過去から一貫している、人間の営みの恒常性というようなものが見えるような気がして、実に興味深い。現代を通して、過去を垣間見る楽しみがある。

 我々は今、歴史を見ているのだ。

日記: 9月5日 (2006年)

 某“ちょっと前に成型肉事件を起こした”ステーキチェーン店でひどい目にあった。

 まず入店直後のこと。入店した我々から、やや離れたカウンターの中にウェイターがいた。通常なら、ここでウェイターが歩み寄ってきて、「いらっしゃいませ。おタバコはお吸いになられますか?」というような口上があり、席に案内されるというプロセスを経る。・・・はずのだが、今回は違った。

 そのウェイターはあえて目をあわさないかのような姿勢を続けたまま、顔を上げようとしない。でもまぁ、声をかけるには、やや遠すぎる位置だったし、突っ立ってれば、そのうちこっちの存在に気がついて、こっちにくるだろう。そう思って、ぼーっと待つこと約1分。やはり一向にウェイターはこちらを見ようとしない。うーん、ここは勝手に席につくのではなく、案内されて席に着くシステムだったと思ったが・・・まぁ、案内してくれないなら自分で座っちゃおう。我々はぞろぞろと店内に入り、適当な窓際の席に陣取った。

 少し経って、勝手に席に着いた我々の卓に、ウェイトレスが到着した。開口一番、勝手に座った我々をとがめるような口調で「こちらは禁煙席になりますがよろしいでしょうか?」。おいおい、言うことが違うだろう、とは思ったが、我々をシカトした店員は彼女ではなかったので、大目に見ることにした。ウェイターに声をかけず(繰り返すが、声をかけるにはちょっと遠かったのだけど)、勝手に座ることを選択したなかった我々も最善の行動をとったとは思えなかったしね。でも、バイトの教育がなってないな。

 で、注文して、料理を食う。

 この店は例の事件以後、全体的に価格設定を引き下げたようで、注文時には入店直後の怒りも忘れて喜んでたんだけど、料理を口にした瞬間に、その喜びはあっという間に消え去った。事件以前にきた最後の記憶と比べて、明らかに肉のランクが2回りほど劣っていたからだ。

 鉄板の上に乗ったサーロインステーキの中央には、巨大なスジが横切っていた。肉と脂身の間、ではなく、肉と肉の間に、だ。どう考えても、ステーキにしてそのまま出す部位ではない。別にこの種の店に、すごく質のいい肉を期待してはいないけど、かといって払う価格を大幅に下回る質のものを出されては、納得がいかない。ファミレスとはいえ、一食の値段としては決して安くはないのだ。値段相応のものを期待するのが当然というもの。同じ値段を出して、スーパーで肉を買って食ったら、はるかに質のいい肉を、倍量食うことができるだろう。

 とはいえ、さすがに肉の質が悪い、とか言ってゴネるほどにはクレーマーになれないので、黙って食った。けど、入店時の対応の悪さも含めて、もうこの時点で、2度とこの店には来ないと固く誓っていた。例の事件以降、この店は誇りを失ったのだろう。つい1年ほど前は、かなりいい印象の店だったのに、残念だ。店長でも変わったのだろうか?

 だが、悪夢はまだ終わらなかった。最後に最悪な事件が発生したのだ。

 私は、メインディッシュに、ライスまたはパンと、好きなドリンクがついてくるというドリンクセットで料理を注文し、ドリンクは、食後にレモンティーを持ってきてもらうようにしていた。

 そして食後。ひどい肉をあらかた食べ終わったので、口をすっきりさせるべく、レモンティーを持ってくるように要求した。しかし、10分近く待っても来ないので、再度語気を強めて要求した。すると、やっとレモンティーが届いた。

 ・・・のだけど、そこに添えられていたレモンが、「皮だけ」というひどいものだった。わかりやすく天体にたとえて言うと、それはレモンの赤道付近を輪切りにしたものではなく、極付近を輪切りにしたものだったのだ。リング状ではなく、皿状のレモン。表面はレモンの果肉ではない白い部分だけで構成され、裏面はレモンの皮だけで構成されている。1ミクロンも果肉が無い。

 おいおいおい、普通こんな部位をつけないだろう。

 ここまでの小さな不満が溜まっていたこともあり、さすがに苦情を述べた。バイトではなく社員ぽい年配のウェイターを呼び、お説教。年下の客にうるさく言われて、さぞ社員もウザかっただろうが、私も金を支払う客だ。すでに支払う金額に見合うサービスを受けることができていないと感じていたところに、トドメのこれでは黙っていられない。早急にレモンは交換させたが、憤りでそのレモンティーは、まるで味などしなかった。

 ・・・で、これで終わりと思うでしょ? 私の見苦しい怒りもここまでと思うでしょ?

 そうだったらまぁ、ちょっと劣悪な店とクレーマーの話、で終わるんだけど、なんともう一撃が残っていた。いやぁ、正直油断したよ。

 レモンティーの苦情のあと、こそこそっとウェイトレスがやってきて、無言で伝票を持っていった。しばらくして、再び無言でこそこそっと伝票を置いていった。いかにも怪しい行動だ。

 さて、この伝票になにが起きたでしょう?

 ・・・そう。ムシのいい考えだといわれようとも、「迷惑をおかけしましたので、ドリンクはサービスさせていただきました」的な展開だと思いますよね。全品配膳し終わっている伝票に、さらになにか処理を入れるとなったら、それ以外思いつきませんよね。
 
 はい、甘かった。その伝票には、このような内容が追加されていたのだ。

 追加 レモンティー ¥340

 おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおい、おーーーーーーーーーい!!!

 レモンティーは注文したんじゃなくて、すでに加算されているドリンクセットのドリンクだろうがああああぁぁぁぁっっっ!!!!!!

 もうね、怒りを通り越して、呆れてモノがいえないわけですよ。店自体に怒るよりも、こんな店を選んでしまった自分が情けなくなってくるわけですよ。怒りたくないのに怒らされていることが、悲しいわけですよ。

 レジで他の客の視線を感じながら、レモンティーは単品注文ではなく、ドリンクセットの一部であること、それによって料金が二重取りになっていること、気がつかなかったらどうなると思っているのだということを、「頭の悪い生徒に教える先生」の態度で理詰めで説明し、「無い頭で一生懸命考えて理解できたなら正確な金額を請求しろ」という態度で正しい請求を受け、料金を支払って店を出た。

 あー、胸糞悪いぜ!