日記: 9月6日 (2006年)

 紀子さま男子ご出産。このニュースで今日は持ちきりだった。

 街頭インタビューで名人がでたりするという、神の采配があったりもしたわけだけど、このニュースを想うとき、どうしても私の精神を占めてしまうのは、雅子様のことだ。

 この人にとってこのニュースは、「よかった」なのだろうか? それとも「肩の荷が下りた」なのだろうか? おそらくそれだけではないだろう。無論、そういった感情ももちろんあるだろうけど、最も懸念されるのは、無力感を感じて打ちのめされているのではないか、ということだ。

 以下、想像で話を進める。

 彼女のような、いわゆるキャリアウーマンは、「役に立つと思われたい」という意識が強い傾向がある。自立心が強く、依存心を堕落と捉える。であるにもかかわらず、外交的な活躍の場を奪われたりしたことで、役に立つ機会を喪失したことに、強いショックを感じていたということは、過去のマスコミ報道でも再三あったとおりだ。「いるだけ」という存在である(という思い込み)ことに対する恐怖心が強い、といってもいい。

 そんな彼女にとって、最後の、そして最高の「役に立つ」手段こそが、「跡継ぎの出産」であったはずだ。にもかかわらず、その役目をも義妹に奪われてしまったのだ。自分より能力的に劣り(語弊があるけど、流してください)、何のプレッシャーもなく、平穏で幸せそうな義妹が、自分の最後の砦をあっけなく陥落させて、自分よりも「役に立つ」存在となったのだ。祝福の気分ももちろんあるだろうけど、無力感を感じていないわけが無い。

 ・・・という想像をめぐらしてしまう。

 皇室、王家の跡継ぎ問題は、実に重要かつ冷徹だ。過去、世界の歴史上でこのような複雑な感情を抱き、泣いていった女性は数多くいる。跡継ぎ問題を背景にした骨肉の争い、陰謀、暗殺のエピソードは、それこそ枚挙に暇が無い。

 現代社会で、過去にあったような凄惨な事件が発生することは考えにくいとはいえ、同じような感情のうねりは、必ずあるはずだ。まぁ、実権力が比較にならないほど小さいぶん、その感情の波の振れ幅も比較にならないほど小さいだろうけど。

 そういった観点で、外野から勝手に皇室の人間模様を想像してみると、過去から一貫している、人間の営みの恒常性というようなものが見えるような気がして、実に興味深い。現代を通して、過去を垣間見る楽しみがある。

 我々は今、歴史を見ているのだ。

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