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日記: 3月24日(2016年)

 忘れえぬ本たち。

 がある。未だ忘れられない、子供の頃の愛読書の数々だ。そのほとんどは既に失われていて、正確なタイトルもわからないものもあるけど、私という人間を形成する上で、大いに影響のあった本たちだ。

 それらをいくつか紹介したい。

 1.おべんとうをつくろう! (こどものりょうりえほん3):幼稚園~小学校低学年

 この日記を書くにあたって、タイトルが思い出せなくて検索したら、なんとAmazonで売られているのに引っかかった。これだよ、これ! この絵! まじか! 今売ってるのか!

 おそらく姉用に買われたこの絵本なんだけど、幼少期の私は毎日毎日飽きもせず眺めていた記憶がある。当時私は非常に食の細い子供で、白米を満足に食うようになったのが小学校4年くらいという具合だったんだけど、そのくせこんな料理本が好きだったんだよなぁ。

 この中にある「きじやきべんとう」は未だに私の好物として実家でレシピを保存してあるのでした。

 2.西遊記(講談社青い鳥文庫):小学校低学年

 3000000回くらい読んだ。枕元に置いて、寝るまで読んだ。おかげでよだれでべろんべろんになったけど、それでも読んだ。これまでの人生でもここまで再読した本はない。そのくらい読んだ。私のファンタジー観、物語観の原点はここにある。究極にして至高。

 青い鳥文庫という子供向けのレーベルの本とはいえ、内容は小学校低学年には少し難しい本だった。だから元々私に直に読ませるつもりはなく買った本だったらしい。買ってもらってからしばらくは、父が読み聞かせてくれていた。

 が、その父がちっとも読んでくれない。と少なくとも私は感じた。今思えば子供と大人の時間間隔の違いだったのだろうが、数日に1回ではぜんぜん少ないのだ。退屈を嫌う子供の要求は、最低半日に1回、である。

 結局父が読んでくれるのを待っていられなくなった私は、すぐに自力で読みはじめた。最初は漢字がまったく読めなかったのだが、子供の順応性は高く、すぐに漢字は障壁ではなくなって、上記のような「読みまくり」ということになった。当時の私の読書力を跳ね上げてくれた作品でもある。

 1つ付記したい。子供の時の話ではないことだけど、この松枝茂夫による訳文が大好きだ。長じてのち、いろいろな翻訳書を読んでみて、この訳者の抜群のセンスがよくわかった。水滸伝なども松枝訳版の少年文庫がとても分かり易く、爽快に楽しめる。

 3.疑問に答える系の本(タイトル不詳):小学校低学年

 世の中の「なぜ?」を教えてくれる系の本だ。タイトルがわからない。検索すると「なぜなに図鑑」という色物の本が引っかかるけど、これではない。もっと真摯で真面目な内容だった。少年期の私に知識と、科学的・論理的なものの見方とを与えてくれた、重要な本だ。

 覚えている内容は、「お風呂で天上からしずくが落ちてくるのはなぜ→湯気が水になって落ちる」とか「電車のレールの周りの石が赤いのはなぜ→ブレーキで散った鉄粉が錆びてる」というようなものだった。

 4.小学○年生の付録のことわざ慣用句辞典(タイトル不詳):小学校低学年

 小学○年生という雑誌の付録で、マンガのキャラクターがことわざや慣用句を1ページにつき1つ、マンガ形式で紹介するという小冊子だった。今知っていることわざや慣用句のうちの少なくないものをこれで学んだ、という気がする。B6くらいのサイズで、キャラクターはあさりちゃんだっただろうか。忘れえぬ本、ではあるんだけど細かい部分を覚えてないな。

 今思うと、小学生が「うーん、せいてはことをしそんじるなぁ」とか「これじゃもとのもくあみだ」とか言っていたのはシュールだったかもしれない。

日記: 3月11日(2016年)

 あの震災から5年が経った。

 あの頃の私はどうしていたのだろう。そういうことを思うとき、定期的に日記を書いているのは大きな強みになる。過去ログを調べてみると、簡単に当時の様子をうかがい知ることができた

 ああ、確かにこんなことしてたな。帰宅直後の室内の様子とか、断片的に覚えていたこともあったけど、発生が金曜日だったこととか、だから翌日~翌々日に実家に走ったこととかは、すっかり忘れていた。確かに、ガソリンでおびえてもいたなぁ。

 ともあれ5年だ。長いようで短い。