カテゴリー別アーカイブ: 日記: 2018年10月

日記: 10月26日(2018年)

 2018年10月26日(金)~28日(日)の3日間で、安曇野・黒部ダム方面へ旅行に行ってきたので、その辺のお話をしばらくしたい。

 1日目の話(1)。

 初日は往路日。なので移動の話。っていうか車の話から始めよう(旅行記でもなんでもない)。

 移動手段はバイク・・・ではなく、ミニ・・・でもなく、実家のデミオだった。

 購入時に両親に請われて試乗したことを除けば、ほとんど初めてのデミオ。だから自分の中で楽しくレビューしながら乗ったんだけど、いやー、さすがに今の時代の車だ。廉価車といえども、バイクはおろか、ミニと比べても格段に快適。ハンドルが軽い。ブレーキも軽い。静か、かつ、揺れない。Bluetoothでスマホとつながる。バックモニター完備。すげえ。

 でもこれ、さして早くはないね。加速感とか最高速度域はクラシックミニと大差ない。

 調べてみると、デミオは排気量1.5L、馬力81PS、車両重量1,050kg。クラシックミニは排気量1.3L、馬力53PS、車両重量730kg。

 パワーウェイトレシオをみると、デミオはおよそ12.96kg/PS、クラシックミニは13.77kg/PS。デミオのほうがわずかに数値がいい(値が小さいほど加速がいい)けど、大差ない印象なのもうなずける程度の数値だ。

 ちなみに実家の1世代前の車だったアクセラスポーツ(2009年式)は、150PSの1,340kgで、パワーウェイトレシオは8.93kg/PS。アクセラに比べるとミニは遅いなぁ、とはっきり思っていたけど、そらそうだ、というだけの数値差があった。

 とはいえデミオも、普通に高速道路を移動するのには、なんら困ることもない性能だ。クラシックミニとパワーこそ大して変わらないとはいえ、燃費は格段に違うし、頑張って回してもさほどうるさくもないから、同じような走り方でも、はるかに安心感がある。車好き以外の人ならこのクラスで必要十分だろうな。

 この車に難点があったとすれば、自動的にサポートする機能の数々に戸惑った、ということだった。

 まずよくわからない警報が出る。車線をまたぐと「ピピッ」。シートベルトを外すと「ピピッ」。そのほか、なんかよくわからない理由で「ピピッ」。どういう状況で警報が鳴るのかわからないから、突然警報が鳴るたびにビクッさせられてしまった。

 もう1つはライト。勝手にハイビームになったりロービームになったりする。法則がわからない。おかげでハイ(ロー)ビームにしたいのにならない! とかいう状況が多発。操作と結果とが想像通りに一致しない、というのは、大いなるストレスだった。

 いずれもちゃんと把握して使えば便利なんだろうけどね。借り受けた車でそれを把握するのは難しかった。これは個人的な事情なので、この点をもってデミオの評価を下げるのはフェアではないだろうけどね。主観的な印象の記録ということで。

 ともあれ、そんなデミオで東京から安曇野までのおよそ200kmを進み、軽く観光をして、その日の宿に落ち着いた。その辺の話は、また次の話。

日記: 10月19日(2018年)

 さて、先日人間ドックで「コレステロールを意識した食生活」を指導された私。

 その代表的な方法は、「肉を魚にする」ということのようだ。

 かくいう私はもとより魚が好き。特に焼き魚が好きで、なおかつコレステロール対策に良いとされる、サバやサンマのような青魚が大好物。だからこの方法は、別に何の抵抗もないはず。

 ・・・なのだけど、では普段から魚をよく食べるかというと、食べない。

 理由は簡単で、家が汚れるからだ。匂うからだ。

 今の家に引っ越して早4年以上が経つけど、これまで1度たりともコンロ備え付けの魚焼きグリルをつかったことはない。使えば掃除が大変だとわかっているからだ。

 今まで住んできた数々の家で、魚焼きグリルを使い、掃除が面倒になり、やがて汚いまま放置されはじめ、そして不可触不可侵な領域に変貌させるという、悲しい歴史を繰り返してきた。もうこの愚は犯したくない。

 この家では魚焼きグリルは使うまい。そう4年数カ月前のあの日誓ったのだ。

 ・・・とはいえ、さすがにもう肉食一辺倒の生活も問題があるようだ。どうしよう。

 ってことで今回試してみたのが写真の商品。フライパン用クッキングシートだ。

 これを使って、極力周囲への魚の匂いのダメージを軽減しつつ、焼き魚を堪能してみよう、という作戦だ。

 【ケース0:魚焼きグリルの場合】

 一応基準値として魚焼きグリルの場合を評点しておく。簡単度は、料理と後片付けの簡便さ。美味度は、そのまま魚の焼け具合。汚染度は、匂いやキッチンの汚れの度合いの指標だ。

 簡単度: ★
 美味度: ★★★★★
 汚染度: ★★★★★

 【ケース1:サバの文化干しをシートにオン】

 まずは最も匂う魚、そして最もうまい魚であるサバ君だ。

 フライパンの上にクッキングシートを引いて焼いてみた。

 普通に焼けた。焦げ目もちゃんとつく。しかし普通にキッチンが匂った。2日くらいほのかにキッチンにサバ臭が残存。洗うべきポイントがフライパンくらいなのは楽だけど、密閉空間じゃないから匂いは相当拡散するなこれは。

 簡単度: ★★★★
 美味度: ★★★★
 汚染度: ★★★★

 【ケース2:シマホッケをシートにオンにフタをオン】

 あまり匂わない魚、シマホッケ君登場。

 今回はフライパンの上にクッキングシートを引いて、なおかつ焼くときにフライパンの上から蓋をして焼いてみた。

 これもまた普通に焼けた。焦げ目もちゃんとつく。ただ、フタのせいで水分が蒸発しにくく、若干蒸し焼きのようなふっくらしつつも香ばしさの減じた焼け具合になった。匂いに関してはサバの時ほどにはキッチンに残らなかった。ただ、これはフタの恩恵もあると思うけど、そもそも魚の種類の差もあるかもしれない。洗い物がフタのぶん増えた。

 簡単度: ★★★
 美味度: ★★★☆
 汚染度: ★★

 【ケース3:サンマをシートにインにフタをオン】

 真打、秋の味覚の代表サンマ君、満を持してご出馬。

 絶対に断固として匂わせないぞ、という意気込みで、クッキングシートでサンマを完全にくるんだうえで、さらにフタも併用して焼いてみた。

 予想通りの結果なんだけど、完全に蒸し焼きになった。サンマの蒸し焼きって初めて食べたよママン。ただ、皮目の香ばしさがなかったとはいえ、十分美味しい範疇ではあったかな。食えないかというと、全然食える。そして匂い。まったく出ない。これはすげく気が楽。魚を焼くことの面倒くささや抵抗感が皆無になる。フライパンやフタへの匂い移りすらほとんどなし。

 簡単度: ★★★★★
 美味度: ★★★
 汚染度: ★

 【まとめ】

 ハレの日の調理ならケース0や1で美味しく焼きたい。でも毎日のように魚を食べるなら、ケース3がメンテナンス性が高くて楽かもしれない。多少なりとも味は落ちるけど、許容範囲。かな。

日記: 10月12日(2018年)

 先日、人生で初めての人間ドックなるものに行ってきた。職場の規定で行かなければならなかったからだ。

 ただそういう職場からの強制イベントなので、基本コース部分だけなら、費用は全負担してもらえる。追加でオプションをつけると、そこは自己負担になる(たぶん)。当然私は嫌々行ってきた立場なので、基本コースだけで受診してきた。

 ドックをおこなったのは、大きな大学病院。病棟ビル内にはレストランあり、オープンカフェあり、コンビニありと、とてもきれいでデパートのようだった。これなら患者も心地よかろう、という思いと、儲けてやがるな、という思いがないまぜになる。

 そのビルのはずれのほうにある、人間ドックのための一角で受診をしてきた。外来受付は大混雑だったけど、ここはそういう外界から隔絶されていて、完全予約制なこともあってガラガラ。落ち着いた雰囲気の中で受診することができた。

 しかし検査内容は、オプションをつけなかったこともあって、通常の健康診断(職場に車両が来て年次で受けるやつ)と大差なかった。正直かなり拍子抜けだ。身体計測、レントゲン、心電図、視力聴力、聴診・・・いつものヤツやんけ。

 健康診断になくて人間ドック(オプションなし)にあったのは、超音波ぐりぐり、肺活量みたいなやつ、眼底眼圧、くらいだっただろうか。超音波ぐりぐりの女医さんが、スーパードSな雰囲気のクールビューティーでゾクゾクしたことだけをよく覚えている。

 で、全部検査が終わったら、健康食のお昼ごはん。健康食って不味いんだろう? と思っていたけど、思ったよりは美味しかった。

 食後は最後のイベントとなる、お説教の時間だ。食事をしている間に、ざっくりとした診断結果が用意されていて、それをもとにした健康指導が行われた。というか、この診断結果を出すための時間稼ぎに、食事タイムが設けられているようだ。

 そこで、怒られた。

 コレステロール値が高い。日頃なに食ってんだボケェ。とのことだ。

 どうも私の好物であるところの、玉子、魚卵、肉の脂身、揚げ物、がダメらしい。知ってた。それを控えろ。食うな。と言われた。代わりに魚を食え。納豆を食え。とのことだ。いや、魚も納豆も嫌いではないけど、全然代わりにはならないんだけどな・・・。

 ともあれ、ちょっと食生活を見直す必要がありそうだ。

 ってなわけで、人間ドック受診は終わった。午前9時30分スタートで、午後2時前に終了。なんてことはなかったな。ちょっと物足りないくらいだ。まだ何年後かに受診するときには、オプションをつけてみてもいいのかもしれない。

日記: 10月8日(2018年)

 テレビのコマーシャルで気になっていたパスタソースを購入し、試してみた。

 かねふく本格パスタソースたらこ/明太子

 だ。

 氷川きよしが、(おそらく狙い通りに)ダサく踊り、歌う姿がインパクトのあるコマーシャルに、まんまと吸い寄せられた形だ。

 早速たらこと明太子の2種類を作り、食べてみたので感想を述べると・・・なかなかうまかった。

 家庭用のたらこ/明太子パスタソースというと、ほかにはエスビーの安いものしか食べた経験がないので、競合製品との比較はあまりできないんだけど、かねふくのものは少なくとも値段相応以上の美味しいものだった。

 エスビーのものを食べた時と比べると、まずたらこ/明太子そのものの量が違う。値段が違うから当然といえば当然だけど、たらこ/明太子の粒のついたパスタ(エスビー)、と、たらこ/明太子の和えられたパスタ(かねふく)、くらいの印象の差は感じられた。

 そしてエスビーのほうは、おそらくすべて「焼き」たらこ/明太子だったのに比べて、かねふくのものは「焼き」に加え、「生」たらこ/明太子が含まれているのが大きな違いだった。そのため、かねふくのパスタソースは要冷蔵で日持ちもしないんだけど、そのことが逆にクオリティの高さに感じられて好印象だった。

 ただ、じゃぁ自分でたらこ/明太子を買ってきて作ったり、店で食べたりするのと比べるとどうかというと、それはやっぱりちょっと劣るかな。「お店の味」とまではちょっと言えないかもしれない。もう少しボリュームがあればあるいは・・・とは思うけどね。そうなると日持ちがしない分、「常備できない」というのが、ほかのパスタソースに比べてネックになりえる。帯に短したすきに長し感がある。

 ともあれ、かねふく本格パスタソースたらこ/明太子。家でたらこ/明太子パスタを手軽に食いたいときには、まぁ悪くないかな。

日記: 10月1日(2018年)

ググるだけでは欲しい情報にたどり着かない? 「最近のネット検索、欲しい情報手に入らなくなってる説」に反響

 どうだろう。個人的にはあまりそうは思わないかな。

 確かにまとめサイトや、アフィリエイト目的の内容が薄いサイトが増えた結果、情報のノイズは増えたと思う。だけど、そもそも情報の母数が昔と今とでは全然違う。だから欲しい情報は、昔よりも格段に容易に手に入るようになった、という印象のほうが強い。

 例示したらきりがないけど、例えば災害情報や交通情報。昔はそんなものは、そもそもリアルタイムにインターネットで手に入りはしなかった。スマホをはじめとするデバイスやインフラそのものの進化も大きい。

 レビュー関係。今は商品に飲食店、国内外のホテルや観光地まで、ありとあらゆるものがオープンにレビューされている。インターネットでレビューされる、ということが、あらゆる商取引で当然の文化になっている。「昔の濃い個人サイトの単一的なレビュー」よりも、「薄いが大量のレビューの集合」のほうが私は信用できる(鵜呑みにするというわけではなくて、自分の判断の材料になる)。

 そんなわけでトータル的に言えば、15年前より今のほうがずっといい、と私は思う。

 ただ共感できる部分もある。それは古き良き個人サイトが壊滅している、それが寂しい、ということだ。

 個人の自己満足100%で運営されているウェブサイト、なんの意味もない趣味100%のウェブサイト、「取るに足らない一個人」が透けてみえるウェブサイト、つまり「ここ」のようなウェブサイトが、ほとんど存在しなくなっている。

 ただ、これは仕方がないかな、という気もする。私だって、今現在からインターネットをスタートしていたら、ウェブサイト開設などという、面倒くさく、かつ非効率な情報発信はしていない。もうインターネットインフラは完全に、「私的発信用のSNS」と「公的発信用のウェブサイト」という住み分けになっている。その流れに抗う必要はどこにもないのだ。

 いや、でも、まぁ、本心を言えば、寂しい。ウェブサイト仲間が欲しい。長文で知り合いの日記や意見を読みたい。そういう文化を残したい。

 でも、これもレビュー記事なんかと同じで、濃いものは減ったけど、薄いものの集合で総数は増えた、と思って自分を納得させている。プラスマイナスで言えば、プラスだと思うことはできている。

 ずらずらとブログで長文の意見を述べてくれる知り合いは、ほとんど壊滅した。ゲーム日記を書いてくれる知り合いも、もうほとんどいない。

 でも、そのかわりに毎日のように誰かがTwitterでつぶやいている。考えや近況の断片を垣間見れる。

 この人たちが、Twitterがなかったら、ブログで記事を書いていたかというと、書いていなかっただろう。つまり少数のウェブサイトを失ったが、多数のTwitterを得た、というのが私の周囲で起こったことなのだ。

 これはインターネット全体でも当てはまる。濃厚難解なメディアのユーザーが減った代わりに、簡潔簡単なメディアのユーザーが、それを補って余りあるほど増えた。適者生存の法則に則り、よりアクセスしやすいメディアが、多くのユーザーのアウトプット場として選択された。それはレビューインフラであったり、SNSであったりした。そしてその結果、情報の総量も激増した。

 この15年で起こったことは、そういうことのような気がするな。