日記: 1月28日(2020年)

 なにも調べていないし裏付けもない、ただの思い付き、妄想を述べるだけの回。

 ゲーム界にちょっとした衝撃をもたらした、「香川県のネット・ゲーム依存症対策条例」について、一応ゲーム関係っぽいブログのはしくれとして、私もだらだらと連想していきたい。

 これね、すごくわかる。私は「本当に依存症になるんだったら」規制したほうがいい、という立場だ。基本的に人間はアホだと思っているので、アホを制限するための縛りは、秩序ある社会には必要だという考え方をするのだ。性悪説だ。法家思想だ。

 だから、ドラッグを規制するのと同じロジックで、依存性が高く人生を壊すドラッグがダメなら、依存性が高く人生を壊すゲームもまたダメなはずだ、とは思っている。

 そう、「『本当に必ず絶対誰もが』依存症になり人生を壊す」ならね

 ただ実際のところは、依存症にならないケースが多すぎる・・・と思う(ソースはない)。ゲームを1日1時間以上やってる人なんて、それこそ若年ゲーム人口の大多数がそうだと思うんだけど(んなことない?)、そのうちどれだけが重篤な「依存症」とやらになっているのか。これはかなりごく一部なんじゃないかな。

 そんな現状にもかかわらず、画一的に広範な対象にわたって規制するというのは、ちょっと施策としては的外れだな、と思わざるを得ない。目的に対する手段がピンポイントではないのだ。

 ってことで、香川県の施策は、発想そのものはナシではないけど、対象や方法がダメだな、っていう意味で反対の立ち位置だ。

 ・・・で、だ。

 じゃあもし仮に蝿市長が爆誕したら、本法案をどうするのか。その辺の所信表明をしたい。

 よりピンポイントに規制を考えるなら、まずジャンルだね。

 コアゲーマーをもって任じる身からすると、スマホのSRだSSRだいってるだけで中身のないゲームと、PS4のシミュレーションとは名ばかりのアニメ絵アイドルを愛でるのが目的のこっ恥ずかしいゲームと、PCの巨万の開発費に裏付けされた重厚な世界で繰り広げられる血沸き肉躍るサーガを自由に堪能できる偉大なる本格オープンワールドゲーム様とを同列に語って欲しくないわけ(※架空の例)。十把一からげにゲームでくくるなと。これらはまったく別のエンターテインメントなんだぞと。スポーツ観戦と、読書と、観劇くらい違うものなんだぞと。サッカーと、ダーツと、ビリヤードくらい違うんだぞと。そういいたいわけ。

 こういったジャンルのうち、どういうジャンルが中毒性が高く、依存症に発展しやすいのか。そういったことを分析したいわけ。

 そのうえでさらに、そのジャンルのどういう部分が中毒性を生むのか、どういう部分が社会問題化するのか、そういう切り分けをしたいわけ。

 そしてスマホのSRだSSRだいってるだけで中身のないゲームと、PS4のシミュレーションとは名ばかりのアニメ絵アイドルを愛でるのが目的のこっ恥ずかしいゲームと、あとついでにパチンコやらパチスロやらも興味がないからついでに槍玉にあげることにして、この辺(※架空の例)を危険因子として規制すれば、ああスッキリ。

 で、ゲーム関係の開発リソースは挙国一致で私の好きなジャンルに回しましょう。

 これが蝿市長の公約になります。

 ご清聴ありがとうございました。

 ※本稿で特定のゲームジャンル、およびその愛好者の方に不快感を及ぼす可能性のある表現があることをお詫びします

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