月別アーカイブ: 2010年8月

日記: 8月31日(2010年)

 【シーン0:らくやきおじさんの店】

 先週末のキャンプツーリングをきっかけとした思い出話。

 我が家は昔、夏になると、毎年のように蓼科高原に行っていたということは、先日のツーリング記録の冒頭で述べた。

 そんな我が家が毎年逗留していたのは、プール平という奇妙な地名の場所だった。

 そこは、大昔は蓼科観光の中心地だったらしいんだけど、私が子供の頃の時点ですでにかなり寂れつつある地域だった。それでも往時はホテルの2、3軒ほどは立ち並び、浴衣姿の観光客がカランコロンとつっかけの音を響かせていたのだけど、平成に入る頃にはすでに時代遅れの観光地になっていた。

 そんなプール平に、今回のツーリングでも立ち寄ったのだけど、寂れゆく流れを食い止めるどころか、もう行き着くところまで行ったというような、寂れきった様相を呈していた。かつてあったホテル群は全滅して、ただの更地と化し、いまやわざわざ立ち寄るほどの観光地ではなく、トイレ休憩のついでにみやげ物でも見る程度のドライブイン、という規模の場所に成り下がっていた。

 でもそんなプール平こそが、私にとっての蓼科であり、茅野市であり、長野県であり、甲信地方なのだ。願わくば再興を期待したい。

 さて、そのプール平にかつて、「らくやき」の店があった。

 らくやきというものは、陶器に色を塗って焼いてもらうという遊び。毎年我が家は蓼科旅行に行くたびに、このらくやきの店に行き、らくやきをして、その自分の作品を手に東京に帰っていくのがしきたりとなっていた。

 このらくやきの店の主人は、私にとっては「らくやきのおじさん」であってそれ以上でもそれ以下でもない人物だった。いつも赤熱した焼き釜の前にいて、アジシオの瓶に入った謎の液体や、たっぷりの上薬がはいった桶を操っている姿は、なんとなく世捨て人のような雰囲気を匂わせていて、正直子供心に「この人はきっとアウトローなんだ」とか失礼なことを思っていた。

 でも、そんな年一回のらくやきと、らくやきのおじさんとの接触は、私の子供時代の大切な思い出で、今振り返れば、それは宝物のような時間だった。

 しかし、そのらくやきの店がなくなった。厳密にいえば、なくなったことを知ったのは、2007年のツーリングの時なんだけども、今回訪れてみても、やっぱりあるはずの場所に、らくやきの店はなかった。らくやきの店の跡地がなんでもない空き地(少し整理されて公園のようになっていた)になっているのは、それはとても空しい風景だった。

 さて、今回のツーリングでそのことがとても気になって、帰宅後になんとなしにインターネットでこの「らくやきの店」について調べたら、驚いた。

 なんとあの「らくやきのおじさん」は実は陶芸界では大人物だったらしいのだ。今や海外の国立美術館に招待されるほどの人だったらしい。でも、らくやきの店ではただの「らくやきのおじさん」で通して、子供に純粋に楽しんでもらうために、そういうことはおくびにも出していなかったとか。そして今でもまだご健在で、別の場所で自分の作品に打ち込んでいるのだそうだ。

 勝手に「らくやきのおじさんは死んじゃったのかな」とか「やっていけないくらい貧乏だったのかな」とか、悪い想像ばかりしていてごめんなさい! 大人物だったこと、今でも作品作りを頑張っていること、そして、らくやきのおじさん時代の心意気を知って、なんか、もう、どうしようもなくうれしく幸せな気分になってしまったので、勢いで私にしかわからない感動を記録しておいた!

 らくやきのおじさんのご多幸をお祈りしております。

FF14: 8月30日(2010年)

 FF14のオープンβテストが9月1日からスタートらしい。

 ってことで、あんまりクローズドもできなかったけど、オープンにむけて主に自分が気になる情報を整理しておこう。ソースは伝聞と想像。

 1.サーバー

 Shadowlordというところが日本人というか、FF11プレイヤーの流れる先として有力らしい。私がCBTを遊んだExdeathもそこそこ日本人に人気と聞いた。私はそもそもFF14はほとんど日本人なのかと思っていたので、「日本人の多いサーバー」などを考慮する必要があること自体、考えてなかったよ。

 私の行く先は未定。今のところExdeathしか選択肢はないけど、それはこれからの皆さんの動向如何。

 2.生産の選択肢

 テスターサイトの簡易マニュアルに、簡単な選択肢の意味が書いてありやがった。しらんかった。下の動画もしらんかった頃のもの。

 3.ファイターの違い

 いまだに良くわからないんだけども・・・。

  剣:タンク
  斧:範囲アタッカー
  槍:補助アタッカー
  弓:遠隔アタッカー
  格:単体アタッカー

 なのだろうか? うーん、いまひとつパーティ内での役割に差別化がない気がするよ。特に槍、弓、格の間に差がなさそうなんだけど、どうなのかね。また斧にしても、同じく範囲アタッカーくさい呪術師との差別化が疑問だ。

 その辺が見えないので、いまいち確固たる「よし、このクラスにするぞ!」も見えない。むーん。

 4.おまけ動画

 あんまり作る気はなかったんだけど、素材があったし、OBT前にしかタイミングもなかったので、作って公開した。やっつけ。私のキャラクターを壊したソフトシモ付き。うへうへ。

日記: 8月29日(2010年)


行程図

 久しぶりのキャンプツーリングに行ってきた。

 今回の目的地は、ビーナスラインを走破しての蓼科高原周辺だ。幼少の頃、我が家の夏のリゾートといえば、毎年蓼科高原というのがお定まりになっていたので、私にとっては親しみ深い土地。もうバイクに乗るようになってからも、その前の車の免許しかない時からも、何度も行っているところだけど、何度行ってもいいところだ。

 でもそんな蓼科高原も、キャンプ道具を担いでいくのは初めて。実に楽しみにして出発した。

 【シーン1: 出発】


愛車の旅装2010

 トップケースを導入して以来、初めてのキャンプツーリングのパッキングは、こんな感じになった。

 衣食住のうちの、「住」の部分、すなわち、テント、チェア、テーブル、マット、シュラフ、といったものが防水ザックの中に入っていて、それ以外の「衣:着替え」「食:ストーブ、コッヘル等」はすべてトップケースというような住み分けになっている。

 サイドケースよりもパッキングしやすい上に大容量。それもいいんだけど、何より安心なのは防水性能だ。過去のキャンプツーリングで、わりと雨に祟られてきた私にとって、この構成の防水性が実に心強かった(今回は雨に降られなかったけど)。

 また、キャンプ場での「簡易金庫」になるのも少し安心感があった。今までは「鍵のかかる空間」が全くなかったから、トイレ一つ行くにも少し安心度が増した。いいこと尽くめだ。

 【シーン2: 朝食カフェ「キャボット・コーヴ」】


キャボット・コーヴ

 以前偶然目にしたドライブ記事で紹介されていた、「軽井沢の朝食専門カフェ」なるものが気になっていた。

 とはいっても、もちろんこんなオサレな店そのものには、そんなに興味はない。ただ、供されるメニューの中に、エッグベネディクトがあるってのに強く惹かれた。

 おなじみ「エッグマックマフィン」の原型であるところのエッグベネディクトは、ユアン・マクレガーの世界一周ツーリングの終盤で、ついに北米大陸に入った彼が朝食として頼んだ食事として、強く記憶に残っている。それまでの過酷な状況を乗り越え、馴染み深い欧米文化に触れたことの象徴のようなメニューだった。それ以来エッグベネディクトは、「ツーリングの朝に食うのはイカス」というメニューだと思うようになってしまったのだ。

 ってことで、そんなエッグ・ベネディクトを食って始まるツーリングは良かろう、と思ってここに早朝から向かったんだけども・・・。まぁ、カッコツケだけのためにいくには、少々過酷だったかな。

 まず朝8時につくために、東京発が6時前だったこと。そして8時前についたのに、すでに10人以上並んでいたこと。最後に、シャレオツな店なので、カッポーが多く、ソロツーでいくにはちょっと悲しかったこと。そんな点を思うと、まぁ、私には朝マックが分相応だったかもしれないな。トホホ。

 でも、店自体の雰囲気や、エッグ・ベネディクトの出来は良かったよ。ティーもポットできてがぶがぶ飲めたし。家族や恋人と来るなら、そしてその中に「待つ」ことができない人がいないなら、お勧めできると思う。

 【シーン3: ビーナスライン】


この先が行き止まりだったとは…

 信州ツーリングのハイライトといえば、いうまでもなくビーナスライン縦走だ。

 東京からのビーナスラインツーリングといえば、中央道でアプローチし、小淵沢や諏訪南で降り、ビーナスラインを北上し、霧が峰→美ヶ原→霧が峰、と往復するように走るのが常。でも、正直私の走り好き度や体力からすると、往復するのはちと厳しいんだよね。なので今回は、行程図にもあるような周遊コースとして、同じ道を往復しないようにした。

 朝カフェの軽井沢から、上田へむかい、そこから美ヶ原高原まで一気に駆け上る。そこからがビーナスラインだ。

 ここでちょっと道を間違えて、行き止まりに行き当たったりもしてしまったんだけど(行き止まりの茶屋のおばちゃん「ちがうよ、うん、1時間くらい戻りな」)、そんなトラブルを楽しみつつ、ビーナスラインを南下。和田峠、八島湿原、車山、白樺湖を経て、これまたツーリングの定番道路、メルヘン街道に行き当たるまで、途中何度かの休憩を挟みながらも走りぬいた。

 少し曇り空だったのが残念だったけど、天空を走っているかのような道は、さすがにビーナスラインだった。午前中にビーナスラインを南下する人は少ないのか、対向車線よりも交通量も少なく、実に快適に走ることが出来た。

 【シーン4: 巨大かき揚げの店「利休庵」】


かき揚げ天ざるそば

 巨大なかき揚げ丼を出す店として有名な和食屋「利休庵」で」昼食をとった。

 私が頼んだのは、有名なかき揚げ丼ではなく、かき揚げ天ざるそば。かき揚げ丼ほどのインパクトはないものの、それでもざるそばについてきたかき揚げは巨大で、なかなかの壮観だった。

 食べてみると、見た目の割りに大味ではなく、中までしっかりサクサクの良質なかき揚げだった。惜しむらくは、1本だけ乗っかっている小ぶりな海老を除けば、それ以外の具材はすべて野菜ということで、その辺が少し物足りなくもあった。でも、それを差し引いても、揚げたてでサクサクとした野菜天は、ボリューム十分でおいしかったよ。

 そばのほうは10割そばだったのかな? かき揚げに気をとられてあんまし気にしてなかったけど、10割だけにぼそぼそと短いそばだったけど、これはこれでおいしかった。ボリュームが少し少なかったけどね。

 話題性を抜きにすれば、そばを割り増しにして、かき揚げを割り減らすのが、バランスはよさそうだけど、まぁ、この店でそれを言うのは野暮ですな。

 【シーン5: 松原湖高原オートキャンプ場】


本日のホテル

 ビーナスラインを抜け、さらにメルヘン街道で麦草峠を越えて、今回の野営地である松原湖高原オートキャンプ場に到着した。

 サイトは大きく4つのサイトに区切られている広いキャンプ場。全サイトが林間サイトで、夏場のキャンプをするには、日差しが少なくて助かる。

 値段はバイクなら840円と安く、バイク乗り入れ可、直火可、ゴミ袋支給あり、トイレそこそこ綺麗、そんなに混んでない、至近に温泉施設あり、と申し分のないシチュエーションだった。プロキャンパー的には、そろいすぎていてダメだダメだ!ってことになるのかもしれないけど、そうではない大多数のヌルキャンパーにとっては、絶好のキャンプ場のように思えた。

 ってことで、サイトを見回って、よさげな場所にテントを設営。本陣とした。

 テント張りや、その時の注意点なんかもわかってきて、落ち着いて場所を選ぶことができたよ。以前はなぜかあせって場所を決めてしまって、ちょっと失敗感があったこともあったからね。いいぞいいぞ。

 【シーン6: 八峰の湯】


ヤッホーの湯

 キャンプ場とおそらく同じ経営母体(小海市?)が運営している温泉施設、八峰の湯

 源泉かけ流しの湯船をはじめ、露天風呂、岩盤浴、土産物屋に食事処などがそろっている施設。ここで今回はツーリングでかいた汗を流してきた。

 露天風呂からは八ヶ岳の峰峰が一望できて、なかなかよい気分。湯船に入ったり、ほてった体を夕暮れ時の風で冷ましたりといったことを繰り返して、ゆっくりと温泉浴を楽しんだ。

 この温泉の存在は、キャンプ場の価値を高めるね。私は普段、こういう共同浴場がおちつかなくて、あんまり好きじゃないんだけど、ツーリングの時だけは楽しめるんだよなぁ。きっと普段嫌っている原因にある潔癖観念が、ツーリングをしているとなくなるからだな。我ながらめんどくさい精神構造だけども。

 【シーン7: 一人BBQ】


火は飽きない

 いつもどおりの焼肉ディナー。

 ・・・はあっさりと終わった。

 送風機がなぜか壊れていて、火熾しのときに少し苦戦をしたものの、まぁ普通に炭火焼肉を楽しむことができた。でも、もはや新鮮味もないので、今回は詳細は述べない。しかし炭火があると、1本30円のスーパーの安い焼き鳥すらも美味になるなぁ。うまし!

 また、前回のツーリングで飲みすぎたためにひどい目にあったことを教訓にして、お酒は控えめにしておいた。ウィスキーをシングル程度だけ舐め、それだけ。あとはミネラルウォーターで済ませた。ま、のんべえではないし、特に不満もないな。

 で、その後やることもないので飽きるまで火遊び。林間サイトなだけあって、燃料となる木の枝はいくらでもある。その辺に落ちている枝を拾ってはくべ、拾ってはくべているうちに、夜もふけてきたので、眠りについた。

 【シーン8: さらば信州】


八ヶ岳連峰を背に

 翌朝。

 今回はついに雨にたたられることもなく、頭痛に襲われることもなく、至極快調に次の日を迎えられた。

 飯を炊き、レトルトカレーで腹を満たし、さっさとテントをたたんで、さぁ帰ろう。

 いつも私は、夜が明けて翌朝になると、妙に満足してしまって、てきぱきと帰り支度になってしまうんだよね。「帰る」という残りの仕事を片付けることに、一心不乱になってしまう。

 そんなわけで朝5時におきた私は、7時過ぎにはキャンプ場をあとにして、一路帰路に着いたのだった。

 写真は帰り道にみえた山々。朝の澄んだ空気の中で、あまりにも綺麗だったもんでついついバイクを止めて撮影してしまったんだけど、この先数十キロにわたって、このクラスの景色が続こうとは、この時はまだ気がついていなかったのであった。

 ※行程図の「らくやきおじさんの店」については、後日述べたい。

日記: 8月25日(2010年)

 こまごまとしたネタ:その他入手したもの編。

 【飲んだもの:氷晶シャーペットグレープ】

 暑い中スーパーへ買い物へ行ったら、変なペットボトルが冷凍食品に混じって売られていたので、買ってみた。それがこの「氷晶シャーペットグレープ(サンガリア)」だ。

 ペットボトルに入ったシャーベットで、ペットボトルの上からグニグニと潰し砕いて飲めという品らしい。クーリッシュのシャーベット版に違いない。スーパーの外の暑さを思うと、これはおいしいかもしれない。そう思って買ったら、これが大失敗だった。

 失敗の理由は簡単で、「グニグニと潰し砕く」ことができないからだ。こういう食い方が喧伝されているのだから、「潰しやすくなる添加剤」がなんらか加えられていて、凍っていても容易に指で潰せるものとばかり思っていた。しかしいざこれを購入し、早速飲んでみようとすると、カチンコチンに固まったシャーベットは鋼鉄の如くで、砕ける気配は微塵もない。仕方がないので、少しずつ融けてくる液体をチビチビとすするようにして、なんとか飲み進めていくのだけど、そんなことをちんたらとやっている間に、冷えに冷えたこのペットボトルはすぐに結露を生み、デスク上をびしょぬれにしていく。

 結局、これを完全に飲みきることができたのは、購入後2時間ほどが経過した頃だった。その頃には、帰宅直後の体の火照りもすっかり冷房により冷め、爽快感は微塵もない。デスクに洪水事件を発生させた凶悪犯を、責任を持って始末せねば、というようないわば使命感だけで飲みきった。うーん、これは、ダメだ。

 あえて企業をかばうならば、売り場の冷凍温度が適切ではなかったのかもしれないけど、そんな想像可能な誤差の範疇で、簡単に成立しなくなるような商品は、やっぱりダメだな。うむうむ。

 【導入したもの:Evernote】

 Evernoteを送ればせながら使いはじめてみた。ざっくりといってしまえば、これは「自分にだけ送れるメール」という感じのものだね。

 もともと私は情報やアイデアを、自分のウェブメールアドレスに自分でメールを送って、それをフォルダ分けして管理する、ということをしてきたので、この思想には違和感があまりなかった。ただそれだけに、逆に言ってしまうと、もともと使っていたウェブメールによる情報管理から、Evernoteによるそれに移行する意味も少ないんだよなぁ。各端末に専用アプリを入れておけば、アクセスするのにかかる時間が短い、てのが利点と言えば利点かな。

 逆に不利な点はその裏返しで、クライアントのインストールが必要になる、ということのように思う。自宅、実家、仕事、スマートフォン、と自分の管理する端末からならどこでも繋がるけど、出先の他人の端末からではつなぎにくい。その点、アクセスまでの画面遷移が少し多いにせよ、ブラウザさえあればどこからでも繋がるウェブメールは強い。

 もう少し無理やり使ってみて、使えそうなら使うし、ダメそうなら臨時のクラウドHDD代わりにしてしまおう。

日記: 8月24日(2010年)

 こまごまとしたネタ:買ったもの編。

 【買ったもの:靴下】

 アウトドア活動用に、高機能(?)な靴下を買ってみた。せっかく買ったカメレオン3を、よりよい条件で使いたいという一心だ。専用品の靴には、専用品の靴下がふさわしい。

 しかし、「靴下なんざぁ5足で1000円」という生活をしている私にとって(みんなそうだろう?)、1足で1000円以上するハイキング・トレッキング用靴下を購入するのは、相当に勇気の要る行為だった。でも、実際にはいてみたら、思っていた以上にいいものだった。

 高いクッション性と、速乾性を備えた靴下は、分厚い見た目から想像されるほどには拘束感も蒸れもなく、自然かつ快適に履いていられるものだった。しかも、歩行時の衝撃は大幅にやわらげてくれるので、多少硬い歩行感をもつカメレオン3との相性は抜群だ。専用品、あなどれん。

 これはアウトドアのみならず、歩行時間が長くなる旅行時や、案外足を使うツーリング時など、疲労を軽減したいさまざまな局面で良さそうだ。

 【買ったもの:折りたたみ傘】

 長年愛用してきた折りたたみ傘を引退させて、新しい折りたたみ傘を購入した。

 購入した傘は、骨が5つ折りもになる傘で、収納時のコンパクトさが売りのもの。収納時のサイズはわずか15cm。今まで愛用していた3つ折りの傘の半分程度の長さだ。これはすごい。その反面、耐久性や畳みにくさ、それにサイズの制限に伴う防滴力の低さがデメリットとしてありそうだけど、今回は携帯性を重視して選択した。

 しかし、今まで愛用してきた傘も、2000年の中国旅行に持っていくために買ったもので、それから10年以上苦楽をともにしてきた、本当に愛着のある一品。この10年間における私の人生の重要な局面に、常に同行してきた仲間だ。だから、もう全く撥水性はなくなり、カバーと骨をつなぐ糸はところどころ切れ、まさに満身創痍な老傘なんだけども、次の傘に移行するのは少し名残惜しくもあるなぁ。

 押入れの隅で、しばらく静かな余生を過ごしてもらおう。