作成者別アーカイブ: Nez/蝿

日記: 11月7日(2016年)

 性懲りもなくCiv6。

 はまれない、とか言ってた割には、楽しめつつあるのかもしれない。まんまとやられたか? 案外楽しんでいるな。

 今回は難易度を王子から王に1段階上げてクリアをしたので記録しておこう。

 正直王子と王の違いはよくわからなかったな。今回も運がよかったのか、序盤から武力で圧倒して、あっという間(といっても1300年くらい)に制覇寸前にまでいってしまった。

 そこでふと、また制覇で終わるのも味気ないな、と思って、宗教勝利に切り替えることにした。

 対抗勢力最後の首都ロンドンを略奪の限りを尽くした挙句に軍隊で包囲したまま生き殺しにして、おもむろに宗教施設を乱立開始。せっせと聖職者をロンドンに送り込み続けて、宗教勝利を得た次第だ。実質は制覇勝利なんだけど宗教勝利。実績も解除できてよかったよかった。

 同じセーブデータで頑張れば、科学勝利や文化勝利もできそうな気がするな。ライバルがいないわけだからして。でも完全に作業にしかならないし、実績解除にはあまり興味がないから、やらないとは思うけどね。

日記: 11月5日(2016年)

 職場の人(おっさん)にワールドトリガーというジャンプマンガが面白いといわれたので、借りて読んだ。

 まあまあ面白いかな。くらいの感じだった。

 詳細内容は、実際にマンガを読んでもらうなり、Wikipediaあたりで把握するなりしてもらいたいんだけども、面白いと思ったのは対戦ゲームの攻略みたいな要素が強いところだ。戦闘のルールがゲーム的で、単純な力勝負ではなく戦術要素をふんだんに盛り込もうとしているのが、ジャンプマンガにしては凝っていた。たぶんこういう要素が、職場のおっさんにしては新鮮だったのだろう。

 私としては、こういう戦術的な要素を楽しむということは、何年も続けてきたオンラインゲームという趣味の中で、ごく自然のものになっているので、職場のおっさんほどには新鮮を感じなかった。ただ、なじみがある感覚だったので、やはり好意的な印象だった。

 いまいちだな、と思うのはジャンルをSFと捕らえてしまうと設定がヌル過ぎるというところだ。

 この辺は週刊少年ジャンプという媒体の限界かな。世界観をリアリティより魅力重視で構築するのは、少年マンガの手法としては正解だと思うし、描写しても面白くない部分を省略したりするのもわかるんだけど、やっぱり一応大人の身としては、ついつい読んでいてそういう箇所に突っ込みを入れたくなってしまって、興が殺がれてしまった。

 1000人規模で民間人が死傷する事件の対策に市町村単位で対応しているとか、対応組織の運営規模が異様に小さいとか、避難規模が異様に小さいとか、つまりリスクマネージメントの見積もりがおかしいとか、異世界の住民と普通に会話ができるとか、会話も行き来もできるのに戦争以外の交流が薄すぎるとか、物理法則の説明が足りないとか、そういう非合理な部分が気になった。

 そう思いつつ読んでるときにトドメになったのは、「遅行性SF」というキャッチコピーだった。

 いやいやいやいや、さすがにこれはSFじゃないでしょ。ファンタジーでしょ。読者の学生がSFだと思う、というくらいならともかく、制作サイドが喜んでSFを自称してドヤったらアカンでしょ。うおおおおお、モヤモヤするわああああ。と、不満の表明を我慢できなくなってしまった。

 と、まぁ、その辺が「まあまあ」という感想におちついた所以だ。

 いや、これはジャンプマンガだからね。こういうことは言うだけ野暮だってことはわかってるよ。ちゃんと面白かったし。どちらかというと気に入ったし。続きも気になっているし。

 ただ、やっぱりこの作品の面白さは、友情・努力・勝利的なヒロイックさ、荒唐無稽であっても一見格好よさげに見える設定、というような少年マンガの少年マンガたるシンプルなところにあるわけで、決して本格SFといわれるものと同種のものではない、むしろそういうエッセンスは「皆無」とだけは、はっきりさせておきたかったのだ。

 なぜって? いやー、職場のおっさんはこれを「設定の練られた本格SFだ。ジャンプマンガの革新だ」みたいに上げてくる訳なんですよ。深い、深い、と。でも、それに対して面と向かって「その幼い見解には同意できません。浅瀬です」とはいえないわけですよ。なので、ここで言わせてください。はい。

 Fly!はワールドトリガーを応援しています。

日記: 10月31日(2016年)

 Civ6とりあえず初クリア!

 モチベーションを下げつつも、なんとか購入したぶんを取り戻さんとして、しがみつくようにプレイした結果だ。めでたい。

 難易度は王子(デフォルト)。選んだ君主(?)はサラディンにした。

 君主選択に理由は特になく、強いて言えばビジュアルが悪くなかったから、という程度のことだった。オジサンオバサンばかりの君主たちのなかで、サラディンの容貌は、個人的にはまぁ許せる感じだったのだ。日本も格好良くてよかったんだけど、日本は初プレイ時に選択して紀元前に滅んだので、2回目は趣向を変えた次第だ。

 私のような適当プレイだと、このゲームは割と運に左右されるな、ということがわかった。初プレイ時に日本であっさり詰んだときには、すさまじく難しいゲームだな、と思ったものだけど、今回のプレイでは、ほとんど難しいと思う局面を迎えないまま、順調に並み居る隣国をなぎ倒して終了した。イージーモードだった。

 文明の感触でいうと、マムルークが強かったかもしれない。行動しても回復するので、使い勝手がよかった。AoKのサラセンの遠隔ラクダ騎兵を思い出して楽しくもあった。その他の文明の特徴は狙って使うようなレベルには、私の腕では達しなかった。

 今回は制覇による勝利だったので、いつの日か科学や信仰による勝利もしてみたいものだけど、モチベーションもクリアによってさらに低減しつつある。さて、どうなることやら。

日記: 10月27日(2016年)

 私のTwitterのフォロワーの方は聞き知っているかもしれないけども、シヴィライゼーション6(Civ6)を衝動的に買ってしまった。「休日昼間の暇さ加減」という魔力にやられた形だ。

 で、ここ数日かけて遊んでみたんだけども・・・。

 うーん、やっぱり合わなかったかも。

 この手のゲームが好みのジャンルではないとわかってはいたんだけども、ひょっとしたらCiv6をきっかけにして、魅力がわかるようになるかも、と都合のいいことを考えていた。でも、そううまくはいかなかったようだ。同じようなことは、過去にシムシティでも感じたような記憶がある。

 そんなわけで、通算10時間ほどプレイしたところで、パタとプレイが止まってしまっている。早くも帰宅してから起動するゲーム群から洩れてしまっている。億劫になってしまっている。

 なにがダメなのか、と聞かれると難しいんだけど、たぶん私にとって、こういう真面目なシミュレーションゲームは、「大人のゲーム」過ぎるんだろう。緻密なデータに基づいた運営者、というのはヒーロー像としてはあまりにシビアで、疑似体験したいという欲求に、なかなか駆られないようだ。シビアなのは現実社会だけでおなかいっぱいなのだ。もっと男の子心をくすぐるような、シンプルに格好よく、血湧き肉踊る、ヒロイックな疑似体験がないと、遊んでいる自分に陶酔できない。

 ってなわけでCiv6。もう少し触るだろうとは思うけど、1度も勝利せずに終わるエンドまで見えてきているよ。ほほほ。

日記: 10月20日(2016年)

 Twitterで聞き知ったレースゲームのiRacingというのが、なかなかすごいと感心してしまった。いや、そんなもんじゃないな。

 ガツンとやられた、と言っていい。

 Steamのレビューを読んだだけで、実際に遊んでいるわけではないから、すべてが正確かどうかはわからないけど、私の理解の範囲では以下のような要素を持ったレースゲームらしい。

  • 会費制
  • 実名制
  • ランク制
  • 成績による月間報酬(リアルマネー)あり

 うーん、実車によるランキング争いレースを、バーチャルで完全に再現しようという意気込みを、これでもかと感じる。ツールが実際の車ではなく、PCとソフトウェアとハンコンとであるというだけで、やっていることは実際のレース大会そのものだ。悪く言っても草レース大会そのものだ。ゲーム、と呼ぶのがためらわれてしまう。

 実名制、というのがひとつのキーのように思える。これで一気に、「ゲームで遊ぶ」感覚から「道具がゲームである競技」という感覚になる。よく揶揄される「遊びじゃねえんだ真面目にやれ」が現実になる。よくも実名制に踏み切ったな、と感嘆するしかない。この辺はFacebookのような実名制のSNSが先行して存在したことが、成功に一役買ったのだろう。

 そして集めた会費から、成績上位者への報酬というバックがあるというのも面白い。単純にして明快なモチベーションコントロールだ。

 これこそが未来のe-Sportだよな、という気さえする。

 ここまでやられると、私個人としてはレースへの情熱が足りないため、逆に怖気づいてしまって、まったくもって参加する気は起きないんだけど、でも、カーレースが好きで、憧れてて、でも実車でレースができるような恵まれた境遇ではなくて、だからそれを体験したくてゲームで我慢している、という種類の人にとっては、このゲームが天恵であることは容易に想像できる。

 願わくば自分の好きなジャンルのゲームで、こういうものがあればいいのになぁ、とうらやましく思える限りだ。

 今この時代が、e-Sportsというジャンルの勃興期である、という点については異論のないことだと思う。いろいろなゲームで、それをe-Sports化していく取り組みが行われていて、一部のタイトルでは商業的に成功している。

 でもその成功の大半は、運営側の努力というか、バーチャルの外の「リアル」な活動による、大規模なプロモーションによるもので、バーチャル内で競技と個人と報酬とが、シームレスに連結されている例は少ない。

 大胆に言ってしまえば、e-Sportsというものは本質的に「バーチャル」でありながら、成功のためには「リアル」以外のアプローチがほとんどない、というのが現状だ。

 そこへ別のアプローチ、「バーチャルで完結する」という形式を打ち立てたのは、非常に大きな意味を持つと感じた。

 オンラインということで、チートや遅延など、解決すべき問題も多い。それでもiRacingのような形式を洗練させていくことで、レースに限らずいろいろなスポーツや競技が、世界中の物理的な制約を越えて、健全なシーンを生み出す、という未来の可能性に思いを馳せると、胸が熱くなるものがある。

 今後も、e-Sportsの大規模なイベントなどでは「リアル」の介入は不可欠だろう。でも、それ以外の小規模で日常的なゲームシーンにも、e-Sportsという属性を波及させることができるとしたら、それはこういう方式がひとつの解答になるのかもしれない。