カテゴリー別アーカイブ: 日記: 2016年09月

日記: 9月6日(2016年)

 好きじゃないカスタム:第2回。

 今回槍玉に挙げるのは、灯火類のカスタム、特にヘッドランプの光度を上げる側のカスタムだ。これが大嫌い。

 表面的な理由はもちろん、まぶしいからだ。本質的には、改造者が身勝手だからだ。

 車両Aのヘッドランプのまぶしさを上げるとどうなるか。まず、車両Aのドライバーからの視界は良くなるかもしれない。次に車両Aが他の車両から知覚されやすくもなるかもしれない。いずれも「かもしれない」と書いたのは、明暗の差がくっきりしすぎると、逆に暗い部分が見えなくなるために、一概に見やすいとはいいがたいからだ。本音を言えば、トータル的には大差なかろう、と思っている。

 次に周囲にいる対向車Bや歩行者Cを考えよう。これらの視界はまぶしさでかなり悪くなる。知覚されやすさも、車両Aによって認識者が幻惑されるために、車両Aのランプ照射範囲外にいる限り悪くなる。完全にデメリットしかない。

 つまりヘッドランプの光度を過度に増すカスタムは、自分の見易さと見られ易さを上げる(かもしれない)代わりに、周囲の他人全員の見易さと見られ易さを下げるという、身勝手きわまる行為なのだ。

 こういうようなことをいうと、やれ標準ランプは暗いだの、やれ田舎道は暗いだの、なんだのかんだのと正当化する発言が出るんだけども、しゃらくさい。現行の車両の車検通過の光度で足りないということなんて、めったにない。ごくごく限られたレアな危ないケースでは、安全に徐行すればいいだけの話だ。

 どうしても漆黒の闇の中を通るのに光度が足りないというのなら、その車両で漆黒の闇以外を通るな。漆黒の闇の世界のための車は、人間の世界で生きるのには不向きだから、永遠に辺境の地に閉じこもっていろ。辺境専用車にしろ。人里に出てくるな。と、いいたい。

 このカスタムを嫌悪する根本的な思想は前回のナンバーの折り曲げと同じだ。「他人の迷惑を考えない身勝手な改造」だからだ。ナンバーの折り曲げは、迷惑の対象が主に公安だったのに対して、ヘッドランプの場合はすれ違うあらゆる他人、という点でより直接的な被害が大きい。性質が悪い。罪深い。

 車検だけではなくて、パーツの販売や改造請負などについても、もう少しこの分野は規制すべきじゃないかなぁ、と思うよ。人命に関る、と思う。

日記: 9月5日(2016年)

 肉のハナマサ製品を試そう、第2弾。

 今回はハナマサで揃えた食材を使って簡単にラーメンを食す、という安直なことをしてみた。

 購入したのは、写真のとおりの品々。

 中華麺。スープ。そして角煮。

 麺を茹で、スープを湯で溶かし、完成したラーメンに、温めておいた角煮を載せるだけの作業。

 で、食べる。

 うんうんうん。普通。

 普通なんだけど、悪くなかったな。

 麺とスープについていうと、麺に関しては特にいうことはない感じ。どこのブランドで買ってもスーパーで買えるこの手のものは大差はないと思う。強いて言えば、1玉50円くらいだったと思うので、コスパはいいかもしれない。

 スープはこれ、ハナマサブランドじゃないのかな。そういう記載がなかったかもしれないので、いよいよもってレビューする意味がないんだけど、これは私の好みの味だった。ちなみに塩味。

 で、よかったのは角煮。自分で作るほうが数倍おいしいし、赤みまでトロっとしているほどやわらかい、とかそういうこともなかったんだけど、味がしょっぱさ重視なのが良かった。

 市販されている出来合いの焼豚や角煮って、なぜか(というか保存の都合だと思うけど)甘いんだよね。原料をみると、砂糖が醤油より先にきている場合がほとんどだ。そういうものは、少なくともラーメンの具にはまったく適さない。

 でもこのハナマサの角煮は、醤油味が前面に押し出されていて、甘味は少々程度。ラーメンの具として使うのに適していて良かった。

 ってことで、「ハナマサで揃える簡単ラーメン作戦」は、まぁ成功、かな。

日記: 9月4日(2016年)

 猫好きの風潮が苦手だ。「猫」ではなく「猫好きの風潮」が苦手だ。

 苦手というのは少し違うかな。私の抱いている感情を表すのに、なんという表現が適切か難しいんだけど、ここでは一応苦手といっておこう。

 インターネットの共通認識として、猫好きは正義、というような風潮がある。猫を好きであることは当然であり、猫の写真に萌え、猫の動画に萌え、ペットの猫自慢にはいいねをつける。ゲーム世界でも野良猫に萌え、ペット化できるなら猫であり、猫系の種族はかわいく、猫系のNPCは素敵。反論は許さない。そして「ぬこ」とか言っちゃう。

 というのに、ついていけない。

 いや、猫が嫌いなわけじゃないよ。猫はかわいい個体はかわいいと思うよ。でもあらゆる動物の中で1番好きというわけではないし、1番かわいいとも思っていないし、どちらかというと不細工な猫も多い。猫なら無条件に賛美する、という気には残念ながらならない。

 猫のかわいさを、「猫だからかわいい」という見方はできなくて、かわいいときもあればかわいくないときもある、というような一歩引いた視点で見てしまう。そしてそれが当然の立場だと思っている。

 そう視点でいるせいか、「ねこー!ねこー!」というような場面に遭遇すると、「本当にそれがかわいいのか?」「猫だからと思考停止してるんじゃないのか?」「むしろ猫をかわいいといわないといけないというような強迫観念に襲われているんじゃないのか?」「猫をかわいいといってる自分に酔ってるんじゃないのか?」などと穿った見方までもしてしまう。

 で、その直後に「とはいえまぁ、こういうのは乗ったもの勝ちだよな」「本人たちもわかっていて盛り上がっているのかもしれないな」と思い返して、あまり冷めたことを考えるのはやめよう、と思うんだけども、結局どこかもやもやし続けてしまう。

 ので、猫好きの風潮が苦手なのだ。考えすぎマンは今日も平常運行です。

日記: 9月3日(2016年)

 ふっふっふっふっふ。

 ついに手に入れてしまった。

 レリックを!

 レガリアを!

 アーティファクトを!

 それが写真の製品だ。その名も…。

 イーバランス ROOMMATE ディープフライヤー EB-RM6400A!!!
 (※車用のパーツもチラっと見えるけどもそれは無関係)

 いわゆる「フライヤー」という揚げ物に特化した調理用の電化製品だ。

 揚げ物大好きな私としては、この「揚げ物しか作れない」という男前すぎるジャンルの電化製品は、かねてより憧れの存在だった。フライヤーさえあれは、面倒くさい揚げ物の調理が、いつでも簡単にできる。それはとてもすばらしいことだろうと夢想していた。

 しかしその反面、現実的に考えると、フライヤーなどというマニアックなものを購入するというのは、かなり勇気の要る行動だった。揚げることしかできないくせに、余計なイニシャルコストはかかるし、置き場所の問題もあるし、そもそも揚げ物ばかり食べていたら死んでしまうので、せっかく買っても「使わないという自制心」が求められる。お金を出して面倒を買う、というような結末になりそうで、なかなか購入に踏み出せないでいた。

 それでも今回買ってしまったのは、私の理想に合うフライヤーが、しかもかなり値下がりして販売されていたからだ。

 最近は揚げ油なしで、熱風でもって調理を行うノンフライヤーなんぞが流行っているようだけども、こいつはそういう惰弱なまがい物では断じてない。正真正銘、揚げ油で揚げるためのマシンだ。個人的には油で揚げない揚げ物なんぞは、揚げ物としては存在価値がないと思っているので、ノンフライヤー風情は選択肢にも入らない(ノンフライヤー愛好家各位、ごめんなさい)。

 そんな「油を使う」フライヤーのなかでも、今回チョイスしたのは上述のとおり、無名(?)のメーカーによる、無名の商品だ。

 今春に発売になった製品だと思うんだけど、どうやらそんなに売れてないようで、在庫処分的な意味合いでかなり値下がりしていた。しかし人気薄で格安とはいえ、私にとってこの製品のスペックはフライヤーとしてかなり理想的なものだった。だから、値下がっているこの機を逃してはならん!とばかりに飛びついてしまったのだ。

 このフライヤーを選択するに至った特長を挙げるならば、大きく以下の2点になる。

  • 大容量
  • ふた閉め調理可能

 まず容量が大きいこと。

 上の写真でフライヤーとともに、サラダ油を2本買っているのが見えると思うけども、このフライヤーを使用するためには、揚げ油が最低でも2l、最高で2.4lという莫大な量が必要になる。一般的な感覚からすると、ありえない要求だ。この時点で、製品開発者は「売れない」と判断すべきだと思うんだけど、その見当違いが、私に限ってはありがたかったのだ。

 一般的に売られているサイズの冷凍ポテト1袋を丸ごと揚げられる、というサイズが理想だったので、それを満たせるこの容量は実に心強い。案外こういったサイズのフライヤーは少なく、どちらかというとこじんまりとした、ちょっとした揚げ物サイズのほうが世の中には多いのだ。

 そしてこのフライヤーの最大の特徴は、ふた閉め調理が可能、ということだ。

 これは、「調理中にふたができる」というようなレベルの低い話ではない。そんなもんは別に、どんなフライヤーでも、ましてやただの鍋であっても、やろうと思えばできる。調理をはじめてから、なんでもいいから上からふたをしてしまえばいいだけの話だ。

 そうではなくて、このフライヤーは「ふたをした状態のまま」で、「揚げ物の投入、引き上げができる」のだ。

 写真を見てみよう。

 (1)まずふたを開いた状態で、バスケットに食材を投入する。このバスケットの下には熱せられた油があると思ってもらいたい。

 (2)そして、ふたを閉じる。バスケットが上がっている(油に触れていない)状態のまま、ふたができるようになっている、というのが注目ポイントだ。このとき、バスケットの取っ手は横に飛び出している。

 (3)ふたを閉じた状態のまま、バスケットの取っ手を折ると、バスケットが油の中に沈み込み、揚げ調理が始まる。

 (4)ふたを閉じた状態のまま、バスケットの取っ手を再び起こし、油が切れたタイミングでふたを開き、完成。

 と、そういう流れで調理を行う仕組みになっている。

 揚げ物で最も油の跳ねる食品投入時から、調理が終わるまでの全工程を、ふたを閉めた状態で行えるので、外部への油跳ねが皆無になる。そこがこのフライヤーのすばらしいところだ。

 もちろん、2lもの油は何度使えるのか、何日もつのか、有効活用できるのか、というような懸念もあるし、図体が大きく邪魔という欠点もある。買ったことがトータル的にプラスになるかどうかは、はなはだ怪しい。いまだもって「買ってよかったのだろうか」という不安は尽きない。

 でも、私はこういう「揚げ物がそばにある生活」を一回してみたかったんだよおおおおお!!

 ってことで、しばらくこのアイテムでいろいろ遊びながら生活してみるつもりだ。健康面で言えば最悪だけど、まぁ、人生にはこういうオモシロトライ期間が必要だろう。うむうむ。

日記: 9月2日(2016年)

 昨晩のワールドカップアジア予選UAE戦は残念というか、情けない結果だった。疑惑の判定どうこうもあるけど、単純に日本にアジアで抜きん出る実力がないように見えた。今後、日本が常に負けるという感じではなったけど、常に勝つという感じでもないなぁ。先が思いやられる。

 それはさておき。本日の雑談です。

 テーマは、好きじゃないカスタム。全3回。予定。

 第1回は、「バイクのナンバープレートを折り曲げる」だ。

 このカスタム、よく見る。頻度で言えば5台に1台くらいの割合で見る。これが、嫌いだ。

 なんでそんなことをするのかまったくもってわからないんだけど、このカスタムはいろいろな方向で好きじゃない。というか、嫌悪している。知り合いだろうがなんだろうが、このカスタム(カスタムというのも本来はばかれる)をしている時点で、内心軽蔑している。1ランク下の人間にカテゴライズしている。

 まず、かっこいいと思えないこと。特殊な趣味の人にはかっこよく見えているのかな? 私には単なる「ナンバープレートの破損」にしか見えなくて、車で言えば「リアバンパーにバックで電柱に接触したときの凹みが付いている」というのと同じ印象になる。私の審美眼は、完成品が歪められている姿に美を見出す、という域には到達していないようだ。

 とはいえ、まぁ、かっこいいかどうかは主観の問題だから、それはいいとしよう。ライダーは歴史的な背景もあって、いまだにアウトロー文化を引きずっているところがあるから、そういう「チョイ悪」がかっこいいと思う心理が存在することは、共感はできないけど理解はできる。シャツをインしようが、ネルシャツでデイバッグを背負おうが、ナンバーを折ろうが、「美観の観点でしかないなら」それは個人の自由だ。

 このカスタムを嫌悪するのは、次の理由のほうが大きい。

 それは、ナンバープレートの意義を貶めているから、という理由だ。

 ナンバープレートはナンバーを常に視認できる状態にしておくことによって、車体が行政に管理されやすくなるために、装着することになっているものだ。それは規則であって、義務だ。ナンバープレートを規定どおりに正しく装着し、被視認性を保ち、管理されやすい状態を維持することは、日本国内でライダーになるという資格を得るために、納得づくで交わしたはずの約束事だ。

 それを個人の好き嫌いや勝手な判断で反故にする、という身勝手な態度が、なによりも気に入らない。

 ファッション目的で折っている人もいれば、意図的に視認性を悪くすることで違法行為の露見を妨害するために折っている人もいるだろう。後者のような犯罪者は論外として、たとえ前者であっても、やっていることは法の執行妨害なのだ。「チョイ悪」どころか「悪」だ。とても容認はできない。

 バイクに興味のない人は、ひょっとしたらこういうカスタムをまったく認識していないかもしれない。でも、注意してみてみると、ナンバープレートを折ったバイクの多さに気が付くと思う。

 街を歩いてバイクのナンバープレートが折られているのを見かけたら、是非ともこう思ってください。

 「アホ発見」と。