作成者別アーカイブ: Nez/蝿

日記: 9月28日(2016年)

 うーーおーーー!

 ボンネビル・ソルトフラッツ!

 スピード狂の聖地! ここを走れるとは!

 ・・・っていうほど別にスピード狂でもなければモータースポーツファンでもないんだけどね。でも、かの有名なボンネビルを爆走できるというのは、やっぱりテンションが上がったよ。

 というわけで、The Crew。かなりハマってしまっている。キャラレベルはキャップに達してしまったし、ストーリーも最終盤にきていて、来週くらいには終わってしまいそうなのがとても悲しい。その先には、パーツを集めて愛車のレベルを上げていくという作業がないではないけど、それはPvPで勝つことを目標にすればこそできる作業であって、PvPをする気がそんなにないとできないかもしれないなぁ。

 写真の説明をしよう。

 まず舞台。ボンネビル・ソルトフラッツ。だだっ広い平原で、ただただ直線に突っ走ることができるために、世界的なスピードレースの舞台として有名。映画の撮影などでも多用されているので、名前を知らなくても誰もが一度は見たことが必ずあるはずの場所だ。

 車もついに買い替えた。購入したのは英国車のロータス・エキシージ。ふふふ、私のことだからミニを買うと思っただろう? しかし私はこれを買ったのだ。昔からエリーゼを始めとするロータスの軽スポーツカーには憧れと言うか、お気に入り感があったのだ。

 さて、残るは西海岸でのミッションだけだ。一気に突っ走るとしよう。

日記: 9月27日(2016年)

 セルフのガソリンスタンドはよくわからないので行かない。

 という人は、年寄りを中心にいまだにいることだろう。しかし私はその逆だ。

 セルフじゃないガソリンスタンドはよくわからないので行かない。

 特に今の愛車のミニの場合、1年乗ってもセルフ以外で給油したことがない。バイクの場合は、まぁ、なんどか行ったことはあるんだけども、ミニではただの1度もない。理由は上に書いたように、よくわからないからだ。どう振舞えば良いのかを脳内でシミュレーションすると、面倒くさそうでいやになる。ベストだと思える振る舞いがない。

 その最大の理由は、キーだ。

 ミニの給油口は、最近の車のように車内からスイッチひとつで開けられるようなものではない。外からキーで回してキャップを外すという仕組みになっている。まず、そのことをガソリンスタンドの若いバイトがわかるだろうか、という不安がある(いや、それは流石に、まぁ、わかるか)。

 また、古い車両なだけに、ガタのきているキャップの外し方にもちょっとしたコツがあって、そこをぐぐいっと回す勘所がわかるだろうか、変にこじられないだろうか、という過度な心配もしてしまう。

 そしてそもそもキーを渡すのが面倒くさい。

 給油口のキーは、エンジンキーやドアキーと一緒に、1つのキーケースにつなげて持ち歩いている(ミニは3つものキーが必要なのだ)。これを渡すとなると、キーケースごと渡すか、給油口のキーだけ外して渡すかになると思うんだけど、前者はキーケースを汚されそう(偏見)でいやだし、後者はどう考えても時間がかかりすぎる。

 始めから給油口のキーはキーケースから外した単独の状態で車内に常備しておく、というのも手ではあるし、試してもみたものの、キーが2束になるというのは、これはこれで結構管理が面倒くさいものだった。ここはこっちのキー・・・違う、こっちだ、というようなアクションになる。

 そんなこんなで、いまだに非セルフデビューできずにいる私なのでした。

日記: 9月26日(2016年)その2

 母が「タブレットが欲しい」と言いだした。

 現在実家にはPCが一応置いてあり、それはほとんど私の実家訪問時のゲーム用になっているんだけども、一応、両親用のアカウントも存在はしていて、メールの授受や、極々まれにウェブ閲覧的な用途で用いているようだった。

 そんな母に自分のタブレット(SONY Xperia Z2 Tablet)を貸したところ、どうもそれがいたく気に入ったらしく、自分用に欲しがりだした、というわけ。

 このときタブレットを貸した理由は、青空文庫だった。古典的名作(森鴎外とか)を読みたいが、近くの書店で売っていないので、ウェブで注文できないか、と相談されたことがきっかけだった。「そんなものは青空文庫で無料で読めるんじゃない?」と思って調べてみると、果たして青空文庫で読めるものだった。

 そこで青空文庫リーダーを自分のタブレットにインストールし、読める状態にして貸してやったところ、これが大好評だったのだ。古典を無料で読める、という母にとっては驚きの出来事に加えて、文字を大きくできるということが、特に評価が高かった。なるほど、老眼の人にとって、電子書籍のアドバンテージは、こういうところにもあるんだな。

 で、青空文庫をきっかけにタブレットなる魔法の板の存在を知った母は、たまに使うPCでのメールの授受やウェブ閲覧なども、タブレットでできるのであれば、一元化できるので自分用に欲しいと思った、という次第だ。その背景には、PCは大げさでよくわからないから、そもそも触りたくない、という感覚もあったようだ。

 うむ。欲しいというなら、買えばよかろう。

 とはいうものの、さすがに機種選定などはできないだろうから、仕方ない、私が選んでやることにした。

 まずはサイズからだ。7インチか、10インチか。こんなものは実物を見るに限る。近所の家電量販店に連れて行って、どのサイズが良いかを確認したところ、10インチがいいとのことだった。個人的にはそんなに広い閲覧領域が必要なことはしないだろうから、軽量な7インチを勧めたのだけど、画面が大きいほうがよいとのことだった。まぁいいだろう。

 あとは機種だ。いろいろ悩んだ末に、比較的評判のよい中華タブレットにしてしまうことにした。正直、変な中華タブレットを買わせないために、自分が購入代行を買って出たはずなんだけど、結局中華タブレットにしてしまったというオチだ。まぁ、母の用途なら必要十分に違いない。あとはバッテリーが爆発しないことだけを祈ろう。

 で、選んだ機種は、HUAWEI MediaTab T2 10.0 Proだ。Amazonや価格.comの評判も芳しかったので、これでヨシとした。

 もう商品は実家に届いたらしい。今度実家にいったらセットアップだ。面倒くさいなぁ、と思いつつも、新しいデバイスを触れるということで、少し楽しみでもある私なのでした。

日記: 9月26日(2016年)

 私は自分のサイトのことを「サイト」といい「ブログ」と言わない。たまに言ってしまうけど、基本的には言わない。

 これは結構、複雑な心理だ。

 まず第一に、ブログなるものが流行る遥か以前からサイトを持っていたのだ、という自負がある。つまらない自尊心だ。その自尊心が、新興の「ブロガー」と自分との間に一線を画したいと思わせてしまう。だから素直に自分をブロガーの仲間に入れることができないでいる。

 一方で、やってることは完全にブログだ。昔は「日記サイト」などと呼称されていたジャンルだと思うんだけど、概念はほとんどブログだ。ブログなる単語が生まれる前から、ブログ活動をしていた、と言える。そういう意味では、とうの昔からブログだった。

 外形的にはどうだろう。ブログというと、WordpressやMovableTypeのような、CMS的なツールを使うイメージがある。かく言う私の「Fly!(旧称Fly Dukedom)」も、この形に移行してもう10年以上が経過するから、そういう点でもこのサイトはブログだ。

 しかしこの点については、先が読めない。昔はHTMLをメモ帳の延長のようなフリーツールで直打ちして作っていて、それをFTPでアップロードしていた。便利だからということで、それをあるタイミングでCMS化して、今に至っている。でもCMS形式にこだわりがあるわけではないので、10年後にどうなっているかはわからない。一貫した歴史のある記事グループのジャンルを、使っているツールがなんであるかで見分けるのはおかしい。手打ちしたらサイトだ、Wordpressだからブログだ、とは言いたくない。

 と、まぁ、そんないろいろがあいまって、私はこの「Fly!」を「実質的にはとっくの昔からブログ」と思いつつ「サイト」と呼んでいるのでした。

 以下、蛇足になるけど継続的に文章を書いている中で、用語統一というのはしばしば軸がぶれて難しい。

 まずウェブとインターネット。私はかなり意識的に、「ブラウザで閲覧する世界」はウェブ、「情報の伝達路」をインターネット、と使い分けているんだけども、ついうっかりそうならないケースも多々ある。世間的には、どちらもインターネットと言われることが多い気がする。

 続いて、オンラインゲームとネットゲーム。私はこの20年間余り、断じてネットゲームとは言わなかった。はず。ネトゲとも言わない。洋ゲー出身者として、ネットゲームなどという見たこともない和製英語を使うのは、レーゾンデートルを揺るがす行為だ。プライドにかけて言わない。そう誓っている。百歩譲って「インターネットゲーム」なら可だけど、やっぱりオンラインゲームが正統だろう。長らく日本ではネットゲーム派が主流だったんだけど、最近は日本でもオンラインゲームが主流になってきて、大変喜ばしい。

 サイトとホームページ、っていうのも古典的ではあるけどあるね。私の使い方は、サイトの中のトップページがホームページ、という一般的な使い分け。でもこれもついうっかりぶれがち。オンラインゲームの項とは違って、こちらは自分のプライドに触れないから、割と適当に使っている。

日記: 9月25日(2016年)

 前日からの続き。

 2つ目は、ゲームとは関係ない話になるけど、「無断リンク」というマナー違反の概念だ。

 なに? 無断リンクって?

 ・・・いや、知っているけど、それを失礼だと思う意味がわからない。

 ウェブの素晴らしいところは無断リンクにこそある。これは言い過ぎではなく、確実にそうだ。ウェブという大海原の中に浮かぶ、情報という島々を、自由に橋をかけて行き来できる。それがウェブ発展の礎だったわけだし、これからもそうだ。なのにそこに橋かけ許可性のようなマナーを主張する行為は、自由を以って美徳とするウェブの理念からして、滑稽だとしか思えない。

 もちろんウェブ上とはいえ、プライベートにしておきたい領域があるのもわかる。でもそういう場合に用いるべき手段は、「鍵をかける」とかそういう物理的な管理であるべきで、「無断リンクはマナー違反」というような概念の押し付けを以ってすべきではないのだ。情報の秘匿は、プライベートにしたい側の人間が汗をかくべきことで、一般の情報の旅行者に負担を求めるべきものはあってはならない。あくまでも自由こそがウェブ最大の美徳であるべきだからだ。

 かくいう私も20年近く個人サイトを持っているけど、そのどの部分にも自由に勝手にリンクを張ってもらってかまわない、と思っている。また、よそのサイトのURLも、張りたいときに自由にリンクを張ってきた。

 もちろん悪意を持ってリンクを張る、いわゆる「晒し」という行為もあるだろう。さらには「炎上」というようなこともありえる世の中だ。そういうことを懸念しての「無断リンク禁止」宣言だということもわからないではない。でも、はっきりいって、「晒しが怖くて公開できるか」というのが真実なのだ。

 自分の経験や見解をポテンシャル的には数十億人の目に触れられるかもしれない場に出す。それがウェブにおける情報公開というものだ。であれば、自分の出した情報に賛否両論があるのは当たり前だし、どんな過激な人物に目をつけられるかもわからない。

 そんなリスクを負ってなお、敢えて情報を公開する。公開するという自己満足に浸る。そういう、言ってしまえば「ちょっと頭のおかしい人」であってはじめて、ウェブ更新者、今風に言えばブロガーたる資格があるのだ。

 昨日知ったのだけど、数日前に某所で私のサイトの転載記事が、正直ちょっと恥ずかしい感じに掲載されたらしい。でも、この恥ずかしさは転載者のせいではなくて、私が恥ずかしい記事を書いたせいなのだ。だから、別に転載されたことについてはなんとも思わないし、気恥ずかしくはあるものの、世の中でどう見られてもかまわない、と思った上で公開した記事だから、それを隠したり消したりする気も毛頭ない。

 そういう覚悟をした人間からすると、やっぱり「無断リンク」などというのは意味不明で滑稽な概念に思えるのでした。

 (なお、この「某所」ではリンクは張られていなかった。個人サイトにはリンクを張らない、がそのサイトのポリシーらしい。張らないのもまた個人の自由だ。この記事で私が「某所」を恥ずかしさを理由に伏せているのも自由だ。他人の行動を制限しない限りなんでもいいと思う。無断リンク禁止は行動を制限するのでダメだ)