10周年記念特集第3弾は、Meridian 59だ。
(いいたいことが多すぎて、全然まとまらなかったけど、もうこれでいいや。ちょっと読みにくくてすいませんと、ヘタレな言い訳をしておく)
Meridian 59(以下m59)は、事実上、「世界初のインターネットによるMMORPG」である。日本での知名度は、ほとんど皆無に等しいこのゲームだけど、世界初のMMORPGという偉業はその知名度の高低によってなんら影響を受けるものではない。Ultima OnlineやEver Questといった、今日「MMORPGの祖」といわれている名作たちに、多大なる影響を及ぼした歴史的タイトルなのである。
■ 発売時期
m59の発売は1996年の12月。Diabloとほぼ同時期だ。私がプレイをし始めたのは、確か1997年の7月くらいだったと思う。開始した直後あたりに、2つ目のエクスパンションが導入された記憶がある。当時は、「海外の公式サイトを見て、最新ニュースを追う」というようなことをほとんどしていなかったので、「起動時のクレジットが変わったなぁ」程度にしか、エクスパンションの追加を把握してはいなかったけどね。
ちなみに同時期に現在も稼動中のMMORPG、The Realm Onlineもスタートしていて、βの開始時期はRealm Onlineのほうが早く、正式スタートはMeridian 59のほうが早いという、「世界初」の名誉をかけた熱いデッドヒートが繰り広げられていたようだ。たぶん。
■ 概略
m59は今でいえば、「EQ系」の3D-MMORPGだ。ただし3Dといっても、グラフィックはすべて平面絵で描かれていて、ポリゴン、とか、テクスチャ、とかを想像してはいけない。2Dで描かれた擬似3Dという方が正しいかもしれないというような代物だ。そしてその2Dの絵も、これでもかとばかりに洋ゲーテイストをふんだんに盛り込んだ、一般的日本人の美的感覚からすれば、「醜い」という部類のものだった。たぶん、見た目だけで99.9%の日本人は拒否反応を示しただろう。
しかし、ひどいのはグラフィックだけで、ゲームシステムとしては、後世のMMORPGの見本となるにふさわしい、優れたプレイヤー間バランスを持ったゲームだった。
■ 基本システム
キャラクターの構成要素は、キャラメイク時以外には変わることのないステータス値と、キャラ作成後に成長して行くヒットポイント、マジックポイント、そしてスキルから成り立っている。この中で特に優秀なのは、スキルを軸とした成長システムだ。
成長のシステムは、いわゆる普通のスキルシステムだ。戦闘にまつわる6種(のち7種)のスクールのどれか1つ、あるいは複数に入門し、そのスクールのレベルごとに教わることのできるスキルを覚え、そのスキル値を上げていくというシステム。
たとえば、Weaponscraftのスクールに入門すると、Lv1ではパンチと斬りを教わることができる。それぞれのスキルは、使うことで、つまり、パンチなら素手で殴ることで、斬りなら剣で殴ることで、徐々にスキル値が上昇していく。そして、パンチと斬りのスキル値の合計が一定値を超えると、Lv2のスキルを教わることができるようになる。このように修行とスキルの習得を繰り返して、キャラを育てていくのが基本的なキャラクター育成法だ。
使ってスキルを伸ばす。というのは、まぁありがちなゲームシステムだといえる。ここまでを読んだだけだと、普通に考えると
「それじゃ最終的には、みんなすべてのスクールをすべて成長させて、みんな同じキャラになるんじゃない?」
と思うだろう。実際同じようなスキルシステムを採用したUOは、それに似た状況になった。
しかしm59が優秀なのは、この点なのだ。
前述したように、m59にはスキル値とは別に、キャラ作成の段階で設定するステータス値がある。ステータス値は、各種の行動の基礎となる値である。キャラ作成時に与えられたステータスポイントを、いくつかあるステータスのどれにどれだけ割り振るかによって、最大HPが変わったり、武器の威力が変わったり、魔法の威力が変わったりするわけだ。この各ステータス値のなかでも、m59に特徴的なのは、このステータスの種類の中に、「どれだけ多くのスキルを学べるか」を左右するステータスがあるということだ(INTだったと思う)。
このステータスの存在により、実際の戦闘にかかわる数値のどれかを下げないと、スキルを多くは学べないという仕組みが成り立つ。HPが多く、攻撃力が高く、守備力も高いように設定すると、多くのスキルを学べない、という風になるわけである。つまり、器用貧乏か1点集中か、という選択を強いられることになるのだ。
こうしたシステムのおかげで、m59のキャラクター育成は、
・どのくらい器用貧乏に、どのくらい専門的にするか
・そもそもどのスクールをとるか
・どのタイミングで別のスクールを学ぶか
といったことを考えねばならず、キャラ作成のパターンが、それこそプレイヤーごとに存在し、みながみな異なる個性を持つキャラクターを操っていた。WC6にShal’ille1のみの肉弾戦士もいれば、WC6/Faren5の魔法戦士、Faren5/Kraanan4/Qor5の魔法使いなど、さまざまだった。
(註:Shal’illeは回復魔法、Farenは攻撃魔法、Krannanは攻撃補助魔法、Qorは呪いの魔法のスクールの名称)
もちろんこの個性化の基盤には、当時は現在のようにMMORPGについての情報が乏しかったために、いわゆる「定番」が形成されるコミュニティがなかった、あるいはあったけど目にしない人が多かった、ということもあるだろう。
また、ゲーム世界の規模が小さかったため、ということもある。m59の一つのサーバープレイ人数は、せいぜい100人強といったところで、日本のテレホーダイタイムなどはサーバーに10人ということもざらだった。非常にマイナーなゲームだったのだ。そのぶん、プレイヤー一人一人の比重が重く、個性を感じやすかったということは大きい。
それでも理由がなんであれ、当時のm59のプレイヤー・キャラクターたちは確かに個性的で、そのゲーム世界における自分の存在を、その他大勢の一人、ではなく、ただ一つの存在として、リアルに感じることができた。これは素直に評価したいし、私の中でのMMORPG観を形成する重要な原体験となっているのである。
■ PvPシステム
m59のもう一つの特徴は、フルPvP仕様だったという点だ。
m59のPvPよりも熱いPvP仕様を持ったゲームを、私は知らない。別にPvPの競技性が高かったわけではない。当時の回線技術のせいか、非常にラグを感じるPvPしか行えず、そのラグを読んだ攻撃を強いられるなど、純粋に競技性という点からすると、むしろ評点は低い。しかし、その欠点を補って余りある要素があった。コミュニティを利用したPK抑止システムと、それをものともせずにPK行為を繰り返すPKer達の熱い戦い、という構図がそれだ。
m59でのPKは、大体以下のような流れになる。
1)PKerが初心者を瞬殺する
2)サーバー全域に殺人事件発生の報が流れる
3)被害者に「どこで殺された?」というtellが殺到する
4)PKが安全地帯まで逃げるか、ハンターがPK行く手を封鎖して仕留めるかの戦いが始まる
1)について。基本的にはm59でも、PKerの獲物は初心者だ。しかしこのm59における、初心者のころのPKerの恐怖というのは、筆舌に尽くしがたいものがある。なにせ3Dなので、背後に駆け寄ってくるPKerがほとんど見えないのだ。気がつくのは、画面がPKerの魔法でフラッシュしてからであり、そうなるともうほとんど死亡確定だ。この、画面フラッシュと、振り向いたら目の前にPKerの姿があるという光景は、本当に恐ろしい。その瞬間、瞬く間に心拍数が上がり、次の瞬間には冥府に飛ばされているという仕組みだ。そして冥府で落ち着いた頃に、やっと「ああ、殺されたなぁ」と呆然とするのである。思い出すだに怖い。
2)について。m59では、殺人が行われると「悪名高い殺人鬼のAが、Bを殺害した」というメッセージがブロードキャストで流れるようになっている。全世界放送。これはすさまじい。全世界で悪名を得る覚悟なくしては、m59でPKerをすることはできないのだ。
3)について。2)のメッセージでは、殺害現場が告知されない。PKerを退治することを生業としている連中にとって、ほしい情報は「犯人」と「その居場所」なので、後者を得るために必ず被害者のもとにtellが殺到するのだ。
4)について。読んで字のごとく。
上記を読んでわかるように、m59ではPKerのリスクが大きい。殺人を犯せば必ずそれが露見してしまうからだ。
そして、サーバーにはハンターと呼ばれる、PK退治好きが何人もいて、PKをすれば彼らに狙われることも、ハンター全員を返り討ちになんてことが不可能であることも、確実にわかっている。つまり、はじめから割に合わない悪行なのだ。現実社会と同じである。リスクを大きくすることでPKを抑止するシステムが、システムサイドとプレイヤーサイドの双方によって為されているのである。
しかも現実社会と違って、基本的には「PKerは許されない」。一度PKerとなったものは、よほどの反省の意を示さない限り、「キャラクターを削除するまで」ハンターに狙われるのだ(なお、これは比較的治安がよく、ハンターの勢力が強かった104サーバーの話であって、殺伐としたサーバーでは殺し合いが日常茶飯事というところもあったそうだけど)。
そして現実社会ほどではないとはいえ、m59では死のリスクが大きい、ということもPKerのリスクに拍車をかけている。m59では、死ぬとすべての荷物を失い、HPとすべてのスキルが1下がる仕様になっている。スキルが20種類あれば、トータルでスキルが20下がるのだ。m59のスキルの上がりにくさを説明していないから伝わりにくいけど、これはすさまじいペナルティといわざるを得ない。とりあえず「スキルが1も上がらない日のほうが後半は多い」というプレイ体験だけは言っておこう。それだけの死のリスクがあるのだ。
つまり、PKerは以上のことを把握した上で、それでも覚悟をして、あえて、あえてダークヒーローになるのだ。実際ほとんどのPKerは、その短い活動の全盛期を終えると、パタッと目にしなくなっていった。活動不能に追いやられるのだ。
だからm59のPKerは心底恐ろしく、憎く、せこく、悪どく、そして果てしなく格好よかった。
だから、そんなPKerの存在する中で生活をしているという緊張感と、いつかハンターになって初心者に「どこだ?」と聞く日を夢見て修行をすることは、とても楽しかったのである。
予断ながら、このようなPKer像を見続けてきたせいで、この後にプレイしたUOのPKerの格好悪さときたら、目を覆うばかりだった。存在しないリスク、容易な逃走、容易な育成。そんなシステム下で行われるPK行為には、なんの格好よさも感じられなかった。これが私のUOに対する不信感の一因になって、心底UO好き、ということにはついにならなかったわけなんだけど、その話については、また次回の話に回そう。
■ まとまらないまとめ
なんだかだらだらとm59のシステムの断片を書きなぐった形になってしまったけど、そんなわけで私はDiablo、XvsTときたオンラインゲーム遍歴にm59を加え、記念すべき初のMMORPG体験をしたのでありました。
m59は妙にウマの合ったゲームで、途中で1500円の月額料金が、3000円くらいに高騰するというふざけた展開があったにもかかわらず、かなり長期に渡ってプレイをした。XvsTのプレイ中からはじめたm59は、UOリリース後も細々と遊び続け、結局EQ発売直前の1999年初頭まで遊び続けることになったのである。
実はこの1年半のプレイ期間というのは、MMORPGを転々としてきた私の経験のなかでは、1タイトルあたりの最長に近いプレイ期間だったりする。今書いてて、私もはじめて気がついたんだけど、うーん、m59恐るべし。