カテゴリー別アーカイブ: 10周年記念特集

10th Aniv.: Neverwinter Nights

 10周年記念企画もいよいよラスト。最後のタイトルは、Neverwinter Nights(NWN)だ。

 NWNは、PC用RPGの傑作シリーズバルダーズゲート(BG)シリーズの流れを汲む、TRPGのD&DのルールをベースとしたRPGだ。D&D PCゲームシリーズの日本語化を手がけていたSEGAが、最後に日本語化をしたゲームでもある(NWN2は日本語化されていない)。

 余談だけど、BG2はPC用のRPGの中では、かなりの傑作だと思っている。和製RPGのような「その気がなくても吸い込まれるほどの派手な演出」もなければ、Diabloのような爽快なアクションもなければ、Oblivionのような完全な自由度もない。読みにくいテキストを目を凝らして読まなければ演出は楽しめず、すぐに仲間が障害物に引っかかるのをいちいち救い出しながら移動させなければろくにキャラが動きもせず、旧態依然としたクオータービューのインターフェイスには自由度のかけらも見られない。

 であるにもかかわらずBGシリーズは、はまりだすと止まらない魅力を備えている。それは1つにはクエストラインの荒唐無稽なのになぜかリアルなファンタジー感にあったり、1つにはいろいろな突発イベントの意外性にあったり、また1つにはあらゆる登場人物に清濁双方の感情が込められているリアリティにあったりする。

 しかし最もBGシリーズを傑作たらしめているのは、D&Dという名作がバックボーンとなっていること、そして歴史ある背景世界フォーゴットンレルムが舞台となっているということだ。私はいわゆるTRPGプレイヤーではなくて、だからD&Dにも別に思い入れはなかったんだけど、そんな私ですらルールの明確さと、背景世界の複雑さに感銘を受けざるを得なかった。ルールが明確なためにご都合主義的な展開が少ないこと、そして背景世界の厚みがあることの2点が、ゲームの中に1つの秩序立った世界を構築することを可能にしていて、それゆえに、そこに無理なくプレイヤーが入っていけるのである。こういう没入感を得られるゲームは少ない。

 で。NWNだ。

 そんなBGの流れを汲むNWNなんだけど、実はBGとは全く違うゲームと言っていい。なるほどグラフィックが3DになったBG、という捉え方はできる。確かに同じようにD&Dのルールを採用し、操作体系も同じで、舞台も同じフォーゴットンレルムだ。でも、それはNWNの特性の1割程度に過ぎない。

 NWNの最大の特徴は、「シナリオの作成、及び、そのオンライン共有、及び、DM(ゲームの管理者)としてのシナリオ制御、が可能なゲーム」だという点にある。

 例を挙げよう。以下のようなことができるのだ。

 1.シナリオツールで村を作る
 2.シナリオツールで洞窟を作る
 3.シナリオツールで村長を作る
 4.作ったそれらをオンラインでサーバーとして立てる
 5.ゲーム仲間をそこに呼ぶ
 6.ゲーム仲間はそれぞれのキャラで村に入る
 7.自分は村長に乗り移って
   「洞窟に化け物が!助けてくれ!」とか言う
 8.ゲーム仲間は洞窟に乗り込む
 9.洞窟の中に化け物を配置して戦わせる
 10.etc

 NWNは、「オンラインでTRPGがグラフィカルにできるツール」ともいえるし、「オンラインRPGツクール」ともいえる。実際に少人数の仲間内で、TRPGのセッションのようにして遊ぶためにNWNを使っている人たちもいれば、常設サーバーとして自作の世界を公開し、MMORPGもどきとしてNWNを使っている人もいる。あるいは人によってはオンラインプレイをまるでしないかもしれない。NWNをどう使うかは、人それぞれ自由なのだ。そしてこの多様性こそが、NWNの真の魅力なのである。

 ただこういう遊び方、つまりTRPGのような遊び方をすることそのものが、遊ぶ人を選ぶ部分が大いにあって、かくいう私も長期にわたってNWNを遊んだわけではなかったりする。でも私の嗜好は別として、NWNのオンラインRPGとしての特異性は疑うべくもなく、そういった点でNWNは歴史的な十分に作品足りえるものだ。前述の通り、ユーザーを選ぶものではあるから、大ヒットすることは金輪際ないだろうけど、こういう既存のものに縛られない作品を世に出すことそのものを、そしてそれがその目的の上で高い完成度を持っていることを、私は高く評価したい。

 NWNはその後、いくつかの拡張パックを経て、NWN2の発売にまで到った。NWN2は残念ながら日本語化されず、しかも非公式日本語化パッチを導入しているとオンラインプレイで支障が出るらしく、オンライン上でチャットすら日本語で行うことができないらしい。だから日本でのNWN2の展開は、皆無とは言わないまでも、非常に非常に小規模で、事実上日本におけるNWNの展開は、NWNの最後の拡張パックまでだったといっても過言ではない。

 そんなわけで日本におけるNWNの世界は、縮小の一途をたどっているようだ。

 しかし、それでも私はNWNというゲームが存在したことを喜び、かつ、願わくばまた同じような「今までなかったオンラインRPG」の登場を期待しているのであった。

10th Aniv.: Online Striker

 早く完成させないと11周年になってしまう。10周年記念企画の9つめはOnline Striker(OS)だ。

 日韓ワールドカップが開催された2002年6月。日本代表の活躍で国民総にわかサッカーファンとなったこの時期に、タイムリーに投入されたのがこのオンライン・サッカーゲーム、Online Strikerだ。

 名も知らぬ小会社ディンゴがαテストと銘打って開始したこのゲームは、サッカー選手22人全員を、インターネットでつながったプレイヤー(操作者)のキャラクターにして競技を行わせるという、誰でも思いつくけど誰もやらなかった、斬新なゲームだった。そして当時の多くの日本国民と同様に、にわかサッカーファンになっていた私は、このゲームにまんまと飛びつき、そしてすっかりはまってしまったのだった。

 αテスト開始初期。22人対戦サーバーが2、3個くらいだったかな?たったそれだけとはいえ、44~66人が遊べる環境が用意されていたんだけど、毎晩サーバーは満員御礼の賑わいを見せていた。あまりに込み合っていたため、なかなか参加することが出来ず、ましてや遊びたいポジションで遊ぶことは大変難しかった。

 開始から数日間の盛況ぶりは、ワールドカップ効果による一時的な活況だったと思うけど、最初の数日を過ぎてもなお、その盛況振りが衰えなかったのは、もともとの出来が良かったからに違いない。かく言う私も、「なかなか参加できない」「なかなか好きなポジションを選べない」「なかなかサッカーにならない」という三重苦だったにもかかわらず、性懲りもなくログインを試み、しがみつくようにプレイし続けた。いろいろと理不尽な要素もあったけど、ボールとフィールドだけを与えて好きにプレイさせるというシンプルさと、プレイしていて鬱陶しさを感じさせない挙動の軽快さが大当たりだったのだと思う。

 また、OSはゲームそのものとともに、プレイヤーやそのコミュニティも成長していくゲーム、という点で、非常に稀有な体験を与えてくれた。

 αテスト開始当初は小学生のような、本当に情けない団子サッカーばかりだった。それが、ポジショニングの重要性が多くのプレイヤーに浸透していくことで、徐々にサッカーらしいプレイができるようになっていったことには、妙な嬉しさがあった。自分だけでなくプレイヤー全員が、日に日に進歩していくことに、あたかも革命の時代を生きているような、周囲のダイナミックな変化の体感があって、実に興奮したのだ。

 そうやってプレイヤー全体の戦術やテクニックが向上していくたびに、私もそれに対応していかなければならなくなって、そのあたりの試行錯誤もまた楽しかった。FPSでAIM(狙いの精度)を上げるような、プレイヤーの物理的な鍛錬ではなくて、場面場面でどういったポジショニングをとるかというような、戦術的な点で工夫をする余地が多くあり、かつ、それがかなりダイレクトに結果として現れるというところに、OSの真価があったように思われる。もちろんAIMが必要でないわけではない。ただ、「なくてもなんとかなる」のだ。パスを通す程度の大雑把な狙いさえつけられれば、瞬間的にゴール隅を狙わなければならない攻撃的ポジションをするときを除けば、全く問題がないのである。いや、問題がないと言うよりも、そんな技術よりも重要な知識や思考力がいくらでもあった、というほうが正しいかもしれない。

 多くのゲームはプレイするにつれ簡単になっていくものだけど、OSは遊べば遊ぶほど難しさが見えてくるという、難儀な、しかし最高な遊び道具だった。ただ毎晩サッカーゲームをやっているだけなのに、不思議なほど飽きが来ない日々だったように思い出される。

 逆にFPSのAIMのような、物理的・操作精度な能力に欠けていた私は、早々にそういった能力が必要となるFWのポジションをあきらめ、守備的なポジション、とりわけ3-5-2の5番や6番といったボランチと呼ばれるポジションに的を絞って遊んでいくようになった。これはにわかサッカーファン、というか、にわか日本代表ファンとなっていた当時の私にとって、正しいフォーメーションとはトルシエジャパンの3-5-2であり、ヒーローは日韓ワールドカップで目立っていた稲本や戸田だったから、といえなくもない。

 開始当初のOSでは、守備的MFに絞ってプレイする人などはほとんどおらず、いても私のように変態的にどう動くべきかをネチネチ考えているような人もいなかったので、OS初期の極々限られた時期には、名ボランチ、のような地位にまで、ほんの、ほんの一時とはいえ、立ちさえした(私がうまかったというよりも、他が未熟だったのだ)。そんな地位でプレイすることが楽しくないわけがなく、ますます私はOSにハマっていったのだった。

 やがてプレイヤーチームが次々と興り、有志による大会の開催、オールスター戦の実施、リーグ戦の開幕と、OSとそれを取り巻く環境は次々と進化していき、その前途は洋々としているかに思えた。

 しかし、その破局はあっけなく訪れた。

 OSの開発元であるディンゴは、もともと「OSというゲームのアイデア、企画にお金を出してくれる販売元」を探すために、大々的な公開αテストを行っていた。そして、公開より1年たった2003年8月、無事発売元がスクエア・エニックスに決定したことを受けて、αテストはその目的を、およそ想像しうる最高の形で達成し、終了したのだ。

 このこと自体は、いわば「我々が育てたOSの成功」であるとして、多くのOSプレイヤーから祝福され、「しばらくOSを遊べなくなる」という事実は甘んじて耐えるべきだと、穏やかに受け入れられた。

 しかし、このとき「しばらく」だと思っていた期間が、1年、2年と続き、5年が経過しようという今なお、OSの復活の気配はない。そう、OSはスクエア・エニックスに事実上「握りつぶされた」のだ。

 なぜOSのアイデアが製品化しなかったのか、その理由は技術的にも、経営的にも想像するしかない。私にわかることは、そして重要なのは、「OSはどうやら消滅した」という、受け入れがたい事実だけなのだ。

 今、元OSプレイヤーのうちで、OSの面影を忘れられない人たちの多くは、元OSプレイヤーの有志の1人が作り上げた、同コンセプトのオンラインゲーム「Dream Cup(DC)」で、かつてOSに求めていたものを、追い続けている。DCの出来は1個人の作品とは思えないほど良く、ポイントポイントではOSよりもサッカーらしい部分さえ少なからずある。だからOSは今となってはさほど必要とされていないのかもしれない。

 でも、それでも、私はあの頃の興奮を思い出しては、OSの復活を期待してしまうのだ。今でも、「あのOnline Strikerが、新しいモデル!コミュニケーションツール!チームシステム!その他さまざまな新機能を搭載して復活!」というニュースを期待してしまうのだ。

 この記念企画で語ってきたすべてのゲームは、現在プレイはしていないものばかりなんだけど、その現在プレイしていない理由といえば、「私から飽きて止めた」というものばかりだ。しかし、このOSに限ってだけは、私が飽きる前に、ゲームそのものがなくなってしまったのである。だから、私の中でこのゲームに対する情熱は、宙ぶらりんになってしまっている。情熱にピリオドを打つことが、おそらく永遠に出来ないのかもしれないのだ。

 キックオフは終わらない。

10th Aniv.: Dark Age of Camelot

 忘れたころにやってくる10周年記念企画の8つめはDark Age of Camelotだ。

 Dark Age of Camelot(DAoC)は現在に至るまでのMMORPGの中で、私が唯一本当にPvPが楽しめたMMORPGといえる。他に私が手を出したMMORPGの中で、PvPがそれなりに自由であったMMORPGというと、Meridian 59、Diablo、UO、AOといったところがあるんだけど、どれも他者と協力・競合するゲームとしての完成度では、DAoCに遠く及んでいなかったと思う。

 Meridian 59で自由にPvPをすることは、アクション性が高かったこともあって非常に熱かったけど、うかつにPvPをすることが同時にゲーム生命を賭けることを意味していて、とても日常的に気軽にPvPをするというわけにはいかなかったし、DiabloはそもそもMMORPGとは言いがたい。AOはそれ以前の問題として、初動時の出来が悪すぎて、対戦するに至らなかった。現在は出来が良いと噂には聞くけど、ゲームそのものの命脈が細すぎてDAoCの比較対照としては論外だ。

 UOは日本において、PvPのイメージが最も強いMMORPGの1つだと思うけど、だから未だに誇らしげにUOのPK経験談を語る人がいるから、そういった読者を大いに想定できるこのサイトでは批判しにくいんだけど、でも対戦ゲームという観点からすれば、UOはそんなに大したもんではなかったと思う。UOのPKの大半は「ゲームコーナーで5歳児が拙い手で必死にスト2をしている。おもむろに乱入。30秒で叩き潰す。『対戦台はこんなもんだ。弱いのが悪い。カカカ』と高笑い」という連中だったと思う。そういう暗い欲望を満たしうるゲームだったということは、一点評価できるけど、ちゃんとした対戦ゲームとしては決して私は評価しない(別の多くの点で評価はしている)。時代が進み、ギルド間戦争などが行われるようになると、同じUOでも話は違うのだろうけど、そのころ私はすでにUOをプレイしていなかったので不明だ。

 さてそこでDAoCだ。DAoCのPvP志向のMMORPGとして優れていた部分は、1)敵と味方がはっきりしていた点、2)勢力間の個性と、勢力間の戦力バランスを同時に成立させていた点、3)勢力内での役割分担が比較的うまくいっていた点(邪魔なクラスが少なかった点)、などが挙げられるように思う。

 DAoCは勢力間闘争(RvR)という形をとることで、味方と敵が実にはっきりとしていた。敵に対してはフリーに攻撃をしけることができ、一方で味方には全く悪影響を及ぼせない、という非常にシンプルな仕組みだ(除く、PvPサーバー)。そのためいわゆるPKというような行為がなく、そういうアクシデントがないことは、スリル感という点でマイナスだったかもしれないけど、そのスリルの減少が及ぼす悪影響以上に、仮想敵国に向けた戦術の練りや、モチベーションの向上などを、信頼できる味方とより純粋に行えたメリットは、はるかに大きかった。

 また3つの各国が、それぞれまるで違うキャラクターシステムを持っていたというのも、驚異的な話だ。各国にタンク、ヒーラー、アタッカー、スカウトなどがいるわけなんだけど、それぞれの国のそれぞれの役割を持つクラスは、それぞれが全く別のクラスと言っていいほどの個性を持っていた。3つの国が、旗印が違うだけのコピーではなく、それぞれ本当の意味で別個にデザインされた国として存在していたのである。それはクラスやスキルの種類に限った話ではなく、たとえばスキルが武器ダメージに及ぼす計算式のシステムまでもが、国ごとに違うという徹底っぷりなのだから頭が下がる。

 さらに驚くべきことは、その3国間のバランスが(当然ある程度の強弱はあるだろうけど)、非常に高いところで維持されていたという点だ。これは容易な話ではない。3つの国を、「ガワ」を変えただけの複製で造っていれば、当然バランスをとることは容易だ。でも、まるで違うクラス、システムを搭載した3つの国を、ランダムに作成される軍勢でぶつけてバランスが取れるというのは、一つの奇跡ではないかとさえ思える。

 そんなDAoCで行われるPvPの戦闘は、本当に熱かった。バランスが取れているだけに、人数の与える影響は大きく、大きな人数差がついたぶつかり合いだと簡単に踏み潰されてしまうんだけど、拮抗した大戦力がぶつかり合う時の興奮は、ただならぬものがあった。これは人類のゲーム史上初めての種類の興奮だったと言っても、過言ではないはずだ。同じプレイ経験を与えてくれたゲームは、DAoC以降にはなかったに違いないのだから。

 来春に向けて、DAoCを造った人々が、DAoCに似たコンセプトのゲームをリリースすべく動いている。そのゲームに、今までで唯一DAoCが与えてくれた興奮を期待しないではいられない、私なのであった。

10th Aniv.: Age of Kings

 久々の10周年記念企画の7つめは、Age of Kingsだ。

 Age of Kings(AoK)は、私の始めてのRTSになる。

 同世代のオンラインゲーマー達にとって、始めてのRTSがAoKの前作に当たるAge of Empires(AoE)である例が多いようなんだけど、私の場合、AoEの出た頃は、UOやらm59やらといったMMORPGに夢中で、RTSには目が向かなかったのだ。

 少し余談になるけど、私がMMORPGに流れていった一方で、XvsTの頃の仲間の多くは、XvsTのブームが去ったあと、同じメンツでAoEに流れていった。なので、ある意味そこで、私と彼らとの道がいったん分かたれた形になった。そして彼らはその流れのまま、AoEからAoKへと進んでいき、同様にMMORPG一辺倒から趣向を変えてAoKに手を出し始めた私とが、また同じゲームで再会することになった。つまり、分かれてしまった私と彼らとをの関係を、再び繋げてくれたのが、AoKなのだ(UOでも少し接触していたけどね)。

 久々に一緒に遊ぶことになった、ノリのいい仲間たちとのAoKライフは、実に楽しかった。

 正直言って、RTSというジャンルそのものに対する思い入れは全くなくて、AoKに関してもシングルプレイは1、2回しかやっていない。私にとっては、ただ遊んでいるだけではさして面白いとは感じられないジャンルなのだ。

 ではあるのだけど、他のどの対戦型ゲームよりも、RTSは他プレイヤーとの協力が重要なジャンルで、そういった点の駆け引きとか、信頼関係とかが、実に楽しかった。例えばアクションなら、ある程度人数負けしていても、腕次第でなんとかなるケースがいくらでもある。だけどRTSの場合は、1on2ですら、よほどの実力差がない限り1に勝ち目はない。そういうゲームを、仲間とわいわいがやがや言いながら遊ぶのは、えもいわれぬ熱さがあった。

 ちなみにそんなわけなので、私にはRTSの1on1はまるで面白さがわからなかった。無論、へぼすけゆえに勝てない、ということもあったけど、純粋な勝ち負けを求めていなかった、というのが大きいんだろうと思う。味方を助け、助けられ、敵を欺き、圧倒し、滅ぼされ、ゲリラ化し、そうやった過程の先にある勝利をこそ、私は求めていたような気がするのだ。証明したかったのは、個人の実力ではなく、チームの団結力。みたいな。

 そんなわけで、私にとっては共同作戦シミュレータ、として機能していたAoK。なんだかんだでいろいろなゲームと平行しながら、拡張パックのAoCに到るまでプレイを続けたんだから、やっぱりかなり楽しんでいたんだろうと思う。

 AoKに関しては、上記のようなスタンスだったので、純粋にゲームとしては、あまり熱心に取り組んではいたとは言えない。だけど、旧来の仲間との再会と、新しい多くの仲間との出会いもあって、ゲームそのものの魅力以上の感動を、私に与えてくれた。そういった意味で、AoKが私に与えた影響は非常に大きいので、ここで取り上げてみた。

 ゲーム自体への造詣が恐ろしく浅いのは内緒だぞ。

10th Aniv.: Combat Flight Simulator

 10周年記念特集6つめは、Combat Flight Simulatorだ。

 Combat Flight Simulator(CFS)は、マイクロソフトから1998年11月にリリースされた、コンバットフライトシミュレータ(ゲームのジャンル名とタイトル名が同じでわかりにくいな)である。

 マイクロソフトの代表ゲーム(?)である、Flight Simulator(FS)シリーズ。そのノウハウを戦闘機モノに活かしたのがこのゲーム、CFSだ。FSシリーズは、基本的には旅客機やセスナなど、非戦闘用の飛行機を、ただ「飛ばす」ということで楽しむ、純粋な飛行機好きのためのシミュレータなんだけど、それをゲーマー向けに、戦闘機シミュレータとして、大幅に改装したのである。CFSの基本的な部分は、FSの長い歴史に裏付けられているので、CFSには発売前からそこそこの信頼を寄せることができたし、マイクロソフト製品ということで、日本語版もちゃんとリリースされたため、購入に際してのハードルが非常に低かったのもこのゲームの特徴だ。同ジャンルのゲームにしては、かなり多くの人が購入したのではないかと思う。

 コンバットフライトシミュレータには、大きく分けて「第二次世界大戦以前のレシプロ機もの」と、「第二次世界大戦以降のジェット機もの」の2種類がある。厳密には、その過渡期を遊ぶものもあるけど、まあ大きく分ければ、レシプロか、ジェットか、だ。ざっくりとした私の印象をいえば、レシプロ機のほうが単純かつアクション性が高く、ジェット機は難しく戦術性が高い。正確にいうと、ジェットものは飛ばすのは簡単だけど、戦うのが難しい。

 で、CFSは前者に当たる。CFSの舞台は第二次世界大戦下のヨーロッパ。そこでレシプロ戦闘機に乗り込み、空戦を行うのが目的のゲームだ。

 そんなCFSだけど、単純にフライトシミュレータとしてみると、おかしな部分も多かった。その最たるものは、「いくら撃たれても墜落しない」という、恐るべき機体の頑強性だけど、他にもFSのノウハウはどこへやら、「飛行モデルが不自然」などという意見も、多々あった。特に一部の機体がほとんど失速をしないというのは、非難が大きかった部分だ。

 でもまぁ、この飛行モデルの話については、私としては十分「ゲーム的リアルさ」を感じられるいい仕上がりだったと思っている。気楽に楽しく空中戦、というコンセプトだと思えば、ほどほどに厳しく、ほどほどにヌルいという、実にバランスのいい出来だったと思うのだ。とはいえ一方で、同じく「ゲーム的」という観点からすると、飛行モデルにはさしたる不満がないにせよ、もっと純粋な「ゲーム的」な部分が、凡庸だったのも事実だ。たとえばシングルプレイのシナリオは、必ずしも非常によいキャンペーンシナリオだったとは思えず、良くも悪くも「普通」どまりという評価のものだった。

 ではなぜ、そんな凡庸なゲームを私がここであえて挙げたのか。

 それは、CFSは「非常に対戦が安定していた」という、当時ではまだ貴重な特徴を持っていたからだ。

 1年前のXvsT対戦以来の、ジョイスティックを握っての熱い空中戦。しかも、XvsT当時では少数派だったISDNの普及も格段に進んでおり、マシンスペックの向上とともに、より安定した対戦環境を、CFSは提供してくれた。8人規模で対戦ができるフライトシム系のゲームというのは、この当時でもまだ貴重だったため、オンラインで遊ぶことに力点を置いていた私にとっては、CFSはその唯一点をもって、他の欠点を打ち消す力を有していたと言っていい。

 当時CFS以外に、CFSと同レベル以上の対戦能力を有するフライトシムを求めれば、MMOフライトシムであるWar Birdsくらいしか他に選択肢はなかったし、それにはかなり多額の接続料金が要求された。その接続料金を払わないとなれば、やはりCFS一択だったといっても過言ではない。現在の常識で考えると、「8人で対戦する程度のことで何を大げさな」と思われそうだけど、当時は8人対戦のフライトシムなどは、実に、実に、貴重な対戦環境だったのだ。

 それにCFSの飛行モデルは、少なくとも対戦するぶんには「へぼすぎる」ということはなかったし、耐久性の高さという点も、ある部分までは対戦ゲームとしてみたときにプラスに働いていたように思う。ヘッドオン即死ばかりではゲームにならないからね。

 私はCFSにまさにXvsTの後継者を期待していて、発売前からサイトを立ち上げて布教活動をしていたんだけど、上記のように、CFSがちゃんとその期待にこたえてくれて、なおかつ、サイトに用意した対戦用待ち合わせスペースにも、少なくない人たちが遊びに来てくれることになったりもして、本当にCFSいい方向にばかり、コトが進んでいったように思う。

 しかし、CFSのマルチプレイにも欠点はあった。特にXvsTに劣る部分は、「協力ミッションがない」ということだ。ひたすら対人戦のみというマルチプレイ仕様で、しかもその戦闘方法も、チーム戦、FFAの両方が可能ではあったものの、試合モードはただの乱戦のみ、という単調さ。対戦、護衛、雷撃、防空、さまざまなマルチプレイができたXvsTのバラエティさには、遠く及ばないシンプルなものだったのだ。

 それでも、3ヶ月くらいかな? 単純なマルチプレイモードしかないにもかかわらず、CFSは毎夜私を楽しませてくれて、割と長い期間、空中戦生活を続けることになった。その原因の大部分はやはり、「当時の貴重な大人数(8人だけど)対戦」にあったのだと思う。

 その活動の終盤には大会も開催したりて、結局楽しい記憶ばかりのまま、CFSには飽きるまで楽しませてもらったのでした。