日記: 2月8日 (2006年)

 ちょっと前のエントリーに着いたコメントで、「オンラインゲームに限界を感じている」といった趣旨の内容があった。この内容は、「誰でも参加できるゲームで発生する、望まない出会いがつらい」というような内容(だと感じた)だ。私や、古くからのオンラインゲーマーなら、誰しも経験したことがあると思われる内容である。

 …のだけど今回は、この内容に絞らずに、「オンラインゲームの将来」といった私の展望について述べたい。

 オンラインゲームの将来については別に悲観してはいないかなぁ。

 プレイヤー的な限界は、誰にでも訪れ得るものだとは思うけど、これとオンラインゲームそのものの限界とは、また別問題。オンラインゲーム自体に関して言えば、まだまだ発展途上もいいところ。ハード、ソフト、ネットワークインフラ、そしてオンラインゲームを取り巻くコミュニティの在り方には、まだまだかなりの発展の余地があるはずだ。

 ゲームに限定したものではないけど、「よりよいもの」に想像をはせることができるうちは、まだまだ伸びるというのが私の考え方。漠然とすら「今よりいい状態」が想像できなくなったときに、発展は初めて停滞期に入るものだと思ってる。

 そういった点で、よりよいオンラインゲームを想像してみると…。

 ゆうに10例は思いつくな。全然余裕。

 自分が自分の趣味と定め、かつ、時間を注いできたオンラインゲームそれ自体が、限界に達しているとは思っていないし、思いたくもない(オンラインゲームを楽しむことができる自分、に限界を感じたとしても)。それどころか、「私の目をつけた」オンラインゲームというものが、遠い将来、きっとエンターテインメントシーンの主要なものになってくれると信じている。…という部分がちょっとある。

 少なくとも、パソコンゲーム、テレビゲームという「白眼視されている新興の競技」は、何年かかるかはともかく、必ずその市民権を拡大していくと確信している。そして、それをするのは、子供の頃からゲームに触れてきた、人類史上初めての世代である我々だとも。

 今よりはるかにエキサイティングなオンラインゲームの数々を、各々のカテゴリーに応じたコミュニティで、オッサン/オバサン/ジーサン/バーサンの趣味として、堂々とプレイできる未来を想像すると、オンラインゲームも捨てたもんじゃないかもなぁ、と思えるよ。

 もちろん、それに至るまでに私自身が「ゲームは卒業したよ」とか言っちゃって、ゲームをやめてしまうかもしれない。それでも、オンラインゲームは去り行く私を見向きもせずに、着実に発展していく。

 そう思う。

日記: 2月8日 (2006年)」への3件のフィードバック

  1. アバター画像TM_R

    それは古代からのスポーツであり
    近年での科学、化学でもありますねぇ。

    細かな意味を含めると全然違いますが、
    考えられた当時は色々と批判も受け、中傷もあったでしょうね。

    興っては廃れて、廃れては興る。
    数年で文化にはなり得ず、それを繰り返し
    様々な発展、適応を遂げて初めて一つの文化に
    なるんでしょう。  多分・・・w

    「ゲーム」は文化と成り得るか。
    「オンラインゲーム」は文化と成り得るか。
    とかく、日本でのゲームに対する風当たりは
    強くなる一方で、これからどうなっていくのか。

    子供の頃からゲームに触れてきた世代として、
    色々と思う事もありますね。

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