私は音に鈍感らしい。
いままで特に強くは自覚してこなかったのだけど、いろいろな経験を踏まえてみると、どうやらそうらしいということに、最近急に思い至った。
これは聴覚が弱いとかそういうことではなくて、特定の単純な「音」や「音の繰り返し」に関して、良い、悪い、といった感性、判断軸を持ち合わせていない、その幅が狭い、というような意味での鈍感さの話だ。
例を挙げよう。
これを最も痛切に感じるのは、エンジン音、排気音、といった種類の音について言及されるケースにおいてだ。
私は車にせよバイクにせよ、それを運転したり、いじったり、眺めたりするのは、平均よりも好きなほうだ。いわゆる車好き、バイク好き、という人間だと自認している。
だけども、車好き、バイク好きの間でよく話題にのぼる「エンジン音がいいねー」「排気音がいいねー」というようなことになると、これがもう、全くわからない。どういうエンジン音だと「良い」のか、どういう排気音だと「良い」のか。逆にどうなら「悪い」のか。そういう感覚が一切わからない。
これらは私の中では、くくって言えばどんな音であっても「騒音」であって、それ以上でも以下でもない。V8エンジンの音も、耕運機の音も、大差がない。望みを言うのであれば、静かであればあるほどいい、という程度の存在でしかない(なお、これらを人様の迷惑にならない範囲で楽しむことを否定する意図はないので悪しからず。あくまでも「私にとっては」騒音と同レベルの存在だということだ)。
同じようなことは、ゲームの、特にリアル系のFPSのレビューなどでも、たまに感じる。
それは「射撃音がいい」というような表現を目にするときだ。明らかに的外れな音だったり、よほどチープな音だったりということでもない限り、ゲームAのM4の射撃音と、ゲームBのM4の射撃音とに、優劣をつけることが、私にはできない。明らかに両者の音質が違っていたとしても、どっちがいいのか悪いのか、というような判断軸がない。それっぽい音が鳴ってさえいれば、どっちでもいいよ、としか思えない。
これに付随する要素なのかもしれないけど、最近流行のASMR動画についても、その価値がさっぱりわからない。流行っている以上は、多くの人たちの共通認識として価値があるのだろうけど、私には理解できないのだ。
「音楽」であれば、そこに好みがないわけではなく、私なりの「良い」「悪い」がある。だけど、それが単発の「音」に近づくにつれ興味を失っていく。
どういうエンジン音が、どういう排気音が、どういう射撃音が、どういうASMRが、多数派の絶対的価値観として「良い」のか。それを私が理解できる日は遠い。
レクサスLFA 最高~
脈絡がわからん!
やはり音に興味がないか・・・
レクサスLFAの排気音は天使の咆哮とか言われて全世界の車好きに絶賛されているのです
ほほう。当然のように知らなかった。
聞いたことないけどたぶん私はテスラの排気音が好きですね。天使のささやきと名付けよう。