作成者別アーカイブ: Nez/蝿

ヘルニア闘病記: 07.入院5日目/手術当日

 いよいよ手術日。あまり怖くはなかった。

 私の手術はこの日の手術患者の中で一番目なので、朝起きたらすぐに手術着に着替えた。手術着の下にはT字帯という、いわゆるフンドシしかつけていない。

 8時30分。ストレッチャー(車輪のついた患者を寝かせたまま運ぶベッド)にのせられて、レントゲン室へ連れていかれた。ここでレントゲン写真を見ながら、腰に針金を槌で打ち込むのだ。どこを切るかという目印に針金を打つらしい。

 麻酔をしているので痛くはないが、槌を打つ度に背骨全体に直に衝撃が伝わってきた。こういう衝撃は未だ体験したことがないので気持ちが悪い。しかし、繰り返すが痛みはないし、自分で見ることもできなかったので、自分の腰に針金が刺さっていると言う事実は、どこか真実味のない話だった。

 針金の打ち込みが終わると、そのままストレッチャーで手術室へ運ばれた。私の背中には何本かの針金が刺さっていて、ハリネズミのようになっていただろう。針金があるため仰向けにはなれないので、横向きに丸まるように寝た体勢で横たわっていた。

 手術室の様子はテレビドラマで見るような手術室と変わらず、中にいる人々は皆一様に、深緑色のオペ着を来て、深緑色の帽子をかぶり、深緑色のマスクをしていた。表情の隠された執刀医やその他の人々の、帽子とマスクの間からのぞく目が妙に無機質に感じられ、ストレッチャーに横たわる私を見下ろす姿が、やけに冷たく感じられた。

 その無表情を収斂したような雰囲気に、入院して初めて軽い恐怖を感じ、少し緊張してきた。

 しかし、緊張を膨らませるより先に、口にマスクをあてがわれ、麻酔を吸引すると、すぐに私の意識は白濁し、暗転した。

ヘルニア闘病記: 06.入院3日目/手術1日前

 手術前日。

 昨日とはうってかわって、いろいろいろいろとイベントがあった。以下、書き連ねる。

 心電図。
 肺機能検査。
 血液検査。
 点滴のアレルギー検査。

 さらに、

 術後使用するコルセット(腰椎補強器)の採寸。
 点滴針の打ち込み。二度も失敗されて痛かった。

 そして寝る前に、

 座薬を入れて排便を促した。
 睡眠薬を飲んでぐっすりと睡眠。

ヘルニア闘病記: 05.入院2日目/手術2日前

 朝起きると、前日の尿と便の回数を聞かれた。聞かれるなんて知らなかったので数えてもいなかった。今後は数えよう、とこの時は思ったが、結局退院まで適当にそれらしい回数を言い続け、ちゃんと数えたことはなかった。

 この日は特に何もない。手術日は週に2日しかないので、それまでは安静にして待つだけの日となる。

 テレビを見たり、本を読んだりしてダラダラ過ごした。

ヘルニア闘病記: 04.入院1日目/手術3日前

 入院した。

 私にあてがわれたのは四人部屋の中の1つのベッドと、その周辺のスペース。ベッドを含めて3畳弱か。これから1ヶ月私の城はここになると思うと、狭いながらも愛着がわいてきた。

 私の入院時に付き添った母は、やややつれていた。このとき別の病院に母方の祖母が、つまり母の母が入院中だった。末期の膵臓癌で、余命数ヶ月を宣告されていた。

 「毎日お見舞いに来るからね」

 そういった母は憔悴しきった顔で帰っていった。次は祖母の病院に行くようだ。祖母の病室は希望のない病室だ。私の病室は希望のある病室にしなければならない。

 退院するまで一言たりとも、母に泣き言や弱音は聞かすまい。密かにそう誓った。

 初日から注射ラッシュだった。

 まず、この日腰に打つ予定の造影剤というものにアレルギー反応が出ないかのテスト注射をした。造影剤というのは、神経の流れをレントゲンで写すために、神経の通り道にレントゲンに写る液体を流し込むというものだ。

 アレルギーが出ないことが確認されると、腰に麻酔注射を打ってから造影剤を打つ。造影剤を打ったところですかさずレントゲンを撮った。

 レントゲンを取り終わると、早速レントゲンが現像され、それを見せてもらいながら、もう何度も聞いた手術の説明を院長先生に聞かされた。レントゲンに写る私の神経の流れは、腰の一部分で急激に狭まり収束していた。ここを圧迫している椎間板を切除するのだ。

 この後、4時間は飯も食えずに完全に安静に。8時間はトイレにだけ行ってよし。16時間はできるだけ安静に。という、暇で無為な時を強要された。動き回ると造影剤が体内を循環して、頭痛や吐き気を催すためだそうだ。

 あー暇。

ヘルニア闘病記: 03.入院まで

 「よくこんなになるまで放っておいたね」

 MRI写真を診た先生は開口一番そう言った。自分でも今ではそう思う。

 「手術しかないね」

 結論として、もうブロック注射のような保存的な方法は難しく、外科的な手段で切除してしまうのが良いという話をされた。

 背中を切り開き、腰椎の神経の至近にある軟骨を切除する。とても怖い手術のように思えるのだけど、このときの私にはあまり恐怖心がなく、自分のことだとも思えず、淡々とその事実を受け入れて、手術に向けた準備を進めることにした。

 帰宅し、親に「手術をすることにした」という旨を伝えると、親は青い顔をして「他の手段はないのか」というような反応を示した。「いい病院を探したのか」「内視鏡は」「レーザーは」・・・etc。でも私はもう手術をする気でいたし、自分の中での問題は「手術をするかしないか」ではなく、「手術をするための準備をどうするか」になっていたので、話は早々に打ち切って、自分の準備に取り掛かった。両親がなにを狼狽しているのか理解できなかった。

 入院中に使いそうな日用品。暇つぶしになりそうな携帯用ゲーム(ワンダースワンのスパロボ)、本(坂の上の雲、功名が辻)。それに手術中、手術直後は、入院用の浴衣のようなものを着るらしいので、そういうものも買った。

 全ての準備が整って、あとは入院日を待つのみ。

 そういう状況になって初めて不安が襲ってきた。インターネットで「ヘルニア 手術 失敗」などというキーワードで検索したり、「入院日記」のようなものを読んだりと、安心の材料を探した。結果わかったことは、「大失敗の事例はあんまりない」ということと、「手術後の1週間はしんどい」ということだ。

 これから襲ってくる苦難を嘆いて、1回だけ1人で泣いた記憶がある。「なんで俺が・・・」というような事をつぶやいていたかもしれない。両親が狼狽したのと同じ気持ちに、やっとたどり着いた。

 でもすぐに大したことではないと思うことにした。私が不安になるわけにはいかない理由があった。