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日記: 9月9日(2009年)

 私はどちらかと言えば、旅行が好きな部類の人間だと思う。

 バックパッカーや、長期海外周遊旅行者のような旅行ジャンキーほどには、旅をし続ける根性や、旅行への渇望があるわけではないけど、時間と体力が許せば1年に1回は海外に行きたいし(いけてないけど)、1ヶ月に1回はツーリングに行きたい(いけてないけど)。ただし肉体的精神的負担はあまり望まない。と、まぁ、その程度には旅行が好きだ。

 さて、そんな旅行の話をすると、こんなことを言ってくる人がいる。

 「旅行なんて形に残らないものにお金を使うのが理解できない」

 こんなとき大抵の場合、「わかったかね。モノが残らないのだよ。無駄だと気付かせてあげよう。これが真理なのだ」と鬼の首を取ったかのように得意げで、自信満々に言われる。「形が残るかどうか」が、彼にとっての伝家の宝刀なのだ。

 なるほどなるほど。そういう考え方もあるのか。ふむ。

 そういう考え方で行くと、確かに私は「形に残らないもの」にお金を使う傾向があるかもしれない。旅費全般がそうだし、美味いものを食うという一時の幸せにも、比較的お金を惜しまない。

 でも、形に残るものってなんだろうね?

 例えばPCを買う。ゲームを買う。確かにこれは形に残る・・・と言えば残るけど、それが目的かというと違う気がする。私の場合はPCやゲームを買う場合だって、やっぱりPCやゲームを使って得られる楽しい時間、という「形に残らないもの」を得るための手段として買っているのだと思う。本質的な投資対象は、「形に残らないもの」だ。

 きっと所有そのものが目的であると思われがちなものですら、この例に漏れないに違いない。例えば宝石を買う場合にしても、「その宝石を持っているという人生の一時期」という「形に残らないもの」を得るために買っているのじゃないかと思う。

 少なくとも私はそう思っているので、例えば旅費と、PCの価格とを見比べた時に、得られる利益(娯楽、思い出、経験、ノウハウ、話題、自己の成長、出会い、etc)とその持続期間とを考えると、全然割に合っているし、大いに理解可能に思ってしまうのだ。

 結局のところ、「形に残るかどうか」というのは一見説得力のありそうな方便ではあるけども、実は本質的な理由ではないと思えてしまうから、私には共感しにくい。そうではなくて、「旅行なんて形に残らないものにお金を使うのが理解できない」という人と私との間には、単純に「旅行が有益かどうか」という部分に、決定的な価値観の相違があるだけなんだろう。そう考えている。

 しかし、そんな風に考えてはいるんだけど、そんなことを文章ではなく会話の中で説明するのは、非常に面倒くさく、しかも伝わる可能性が低い、分の悪い賭けになる。だからこういう話題の展開になると、「やれやれ、仕方がないな」と思いつつ、「そうかもしれないねー」と適当に相槌を打って、話題を流す私なのでした。

日記: 9月5日(2009年)

 ゲリラ豪雨も日をまたぐ午前0時前には降り止んだ。

 前回の●山牧場では、夜半過ぎまでの降雨がテントを叩いてくれたおかげで、うるさくてなかなか寝付けなかったんだけど、今回は降り止んでくれたおかげで、比較的静かな環境だったので、案外あっさりと寝入ることができた。この辺はおそらく、回数を重ねた(2回だけど)ことによる精神的な落ち着きもあったのだと思われる。


朝のテントの様子

 途中2度ほど目を覚ましつつ、眠ること6時間あまり。午前5時45分頃についにはっきりと目が覚めてしまったので、行動を開始することにした。

 テントの外に出てみると、やや空気に湿り気はあるものの、天候は文句のない快晴。上がりたての朝日が、木々の間を縫うようにして、テントサイトに降り注いでいた。●山牧場の全天360度を覆う青空も良かったけど、こういう木漏れ日の朝も雰囲気があっていいね。

 気分が良くなってきたので、昨日はいきなりの豪雨で、ろくに探索もできなかったキャンプ場を、うろうろと歩き回ってみた。


清流尾白川

 サイトは清流尾白川沿いにあり、サイトを少し下りれば、すぐに川にぶつかるロケーションだ。昨日の雨で増水したため、夜半過ぎまでは轟々とした濁流の音が聞こえていたけど、今はその流れもおとなしくなって、静かに清水を運んでいるに過ぎなかった。釣りや水遊び(危ないかも?)もできそうだし、ファミリー層にも受けがよさそうだね、この川は。

 反面、キャンプ施設は、まぁ昨日すでに体験したんだけど、ダメダメだ。施設は清潔さがなく、トイレにいたっては、昨日の豪雨の影響で半ば水没しているという有様。これはひどい。正直この一事をもって、私のこのキャンプ場への再訪の可能性は、ほとんどなくなったと言っていい。

 散歩もひとしきり済んだので、朝ごはんにしよう。

 まずは、昨晩同様に「不思議なめし袋」で炊飯をする。と同時に、買っておいたレトルトカレーを温め、カレーライスの完成だ。

 今回の炊事にあたっては、昨晩使ったガスストーブは使わずに、焼肉用に持ってきたバーベキューコンロで炭火を熾して当たることにした。せっかく持ってきた資材を使いたいのと、前回は人任せ気味だった火熾しを自力でやってみたいのと、そして今こそリベンジ焼肉(残り物)をすべきだと思ったのと、そんな理由だ。

 インスタントシリンダー(着火材の練りこまれたナンチャッテ木炭)を着火材代わりにして、備長炭に火熾しを試みた。

 試行錯誤すること20分ほどだろうか。なんとか備長炭にも火がつき、火熾しは完了した。うーむ、思ったよりも時間が掛かるものだけど、逆に言えばこれはいい時間つぶしになるな。火熾しは、末永くいい遊び道具になりそうな気がするよ。・・・ってなんだか放火魔みたいな危ないことを言ってるかな? う、うむ、大丈夫、大丈夫。


炭火焼ホルモン

 そんなこんなで完成したカレーライスを食い終わったら、お楽しみの炭火焼肉(残り物)だ!

 昨日の残りの肉に加え、満を持して登場のホルモンを焼く! ちょっと腐らないか不安だったけど、多分大丈夫そうなので焼く! そしてだーれもいない屋外で、朝の木漏れ日を浴びながら、のんびりと焼いては、食う!

 この後に運転があるから、アルコールは摂取できないのだけど、うむ、これは実際至福だ。

 そんな風にのんびりと朝の焼肉を終えた頃になると、続々とキャンプ場に人がやってくるようになった。こんな早朝から来るとは一体なんなのだかはわからないけど、トンカントンカンとあちこちでテントを設営する音が聞こえてくる。ここは登山道の入口だから、ここを本拠地にするとかなのかな。ふむ。

 そんな「今から遊ぶ人」を尻目に、私は「今から帰る」ための準備だ。


乾け乾け

 とにもかくにも、テントを乾かさなければならないので、テントの各面が陽光に当たるように、角度を変え、置き場所を変えて、自然乾燥させる。乾燥させつつ、私はまた椅子に座ってぼへーっとしたり、そのあたりを散歩したりして、自然の空気を全身で味わった。

 周囲を歩き回ってみると、やっぱりこれから尾白川渓谷を散策するという登山客、トレッキング客が多いようだ。キャンプ場にはこないけど、キャンプ場までの道には途切れることなくポツポツと人が通っている。また、キャンプ場に陣地を構築していた人たちは、どうやら子連れのファミリーキャンパー層が多いようで、水遊びをしたりしつつ、川辺で日がな一日宴会をする構えのようだ。

 昨日の雨にたたられた身からすると、のんきなもので羨ましくもある。く。せいぜい好天の中、楽しむがいいさ!

 やがてテントも乾いたので、いよいよ撤収としよう。前回同様に、帰りの予定は特に無しだ。パッキングをして、とっとと東京まで帰ろう。


ふりさけみれば日本晴

 キャンプ場を出て、木々覆い茂る山を出ると、抜けるような青空が頭上に広がっていた。おぉ・・・なんというキャンプ日和。1日これがずれていればなぁ。くぅ。

 一瞬、翌日も休みなんだし、2泊3日計画にしてしまおうかとも考えたけど、良く良く考えて見れば、この日の夜は、別件の予定が東京で入っていたし、着替えも何もないからそうもいかない。

 好天の甲州に後ろ髪を引かれながら、都心に向けて一路中央道を駆け上がって、今回のツーリングを終えたのでした。