作成者別アーカイブ: Nez/蝿

EQ2JE: ヴァンパイア・ロード

 フェイドワーの、いや、ノーラスの吸血鬼の中で最も名高い者は、そう、ミストムーア城城主、メイヨン・ミストムーアその人だ。

 今回はそのメイヨン様と対決できるレイドインスタンス、ミストムーアの内部聖所(MMIS)にいってきた。

 MMISは、普通のダンジョンであるミストムーア城の中から入ることが出来る、Lv70+向けのフルレイドインスタンス。ラスボスであるところのメイヨン様を除けば、途中で出る中ボスたちは、過去に行ったFTHと似たようなものだった。

 ただ、ここは巡回モンスターが頻繁にRepopして、しかもその巡回モンスターに見つかると、複数のガーゴイルを引き連れて襲い掛かってくるので、巡回の処理と進攻を、Repop速度に負けないように迅速に行わなければならないという緊張感があった。また、そのほかの雑魚も、やたら硬かったり、いやらしい小技が多かったりで、歯ごたえのある場所だった。

 そんな厳しい局面を、しかし順調にこなし、メイヨン様との対決に持ち込んだ一行なんだけど、メイヨン様は強かった。

 POWドレインのAE、Stun&HPドレイン(?)のAE、それに子分召還。これらを駆使するメイヨン様に、一向は三度挑むも、敗北。戦術はなんとなくわかるんだけど、ワンミスが致命傷になってしまうシビアな展開に、にんともかんとも。練度不足かなー? くそ!

 なんかレイドに参加させてもらうたびに、「いつかリベンジ」リストが分厚くなっていくよ。っきしょー!

10th Aniv.: Neverwinter Nights

 10周年記念企画もいよいよラスト。最後のタイトルは、Neverwinter Nights(NWN)だ。

 NWNは、PC用RPGの傑作シリーズバルダーズゲート(BG)シリーズの流れを汲む、TRPGのD&DのルールをベースとしたRPGだ。D&D PCゲームシリーズの日本語化を手がけていたSEGAが、最後に日本語化をしたゲームでもある(NWN2は日本語化されていない)。

 余談だけど、BG2はPC用のRPGの中では、かなりの傑作だと思っている。和製RPGのような「その気がなくても吸い込まれるほどの派手な演出」もなければ、Diabloのような爽快なアクションもなければ、Oblivionのような完全な自由度もない。読みにくいテキストを目を凝らして読まなければ演出は楽しめず、すぐに仲間が障害物に引っかかるのをいちいち救い出しながら移動させなければろくにキャラが動きもせず、旧態依然としたクオータービューのインターフェイスには自由度のかけらも見られない。

 であるにもかかわらずBGシリーズは、はまりだすと止まらない魅力を備えている。それは1つにはクエストラインの荒唐無稽なのになぜかリアルなファンタジー感にあったり、1つにはいろいろな突発イベントの意外性にあったり、また1つにはあらゆる登場人物に清濁双方の感情が込められているリアリティにあったりする。

 しかし最もBGシリーズを傑作たらしめているのは、D&Dという名作がバックボーンとなっていること、そして歴史ある背景世界フォーゴットンレルムが舞台となっているということだ。私はいわゆるTRPGプレイヤーではなくて、だからD&Dにも別に思い入れはなかったんだけど、そんな私ですらルールの明確さと、背景世界の複雑さに感銘を受けざるを得なかった。ルールが明確なためにご都合主義的な展開が少ないこと、そして背景世界の厚みがあることの2点が、ゲームの中に1つの秩序立った世界を構築することを可能にしていて、それゆえに、そこに無理なくプレイヤーが入っていけるのである。こういう没入感を得られるゲームは少ない。

 で。NWNだ。

 そんなBGの流れを汲むNWNなんだけど、実はBGとは全く違うゲームと言っていい。なるほどグラフィックが3DになったBG、という捉え方はできる。確かに同じようにD&Dのルールを採用し、操作体系も同じで、舞台も同じフォーゴットンレルムだ。でも、それはNWNの特性の1割程度に過ぎない。

 NWNの最大の特徴は、「シナリオの作成、及び、そのオンライン共有、及び、DM(ゲームの管理者)としてのシナリオ制御、が可能なゲーム」だという点にある。

 例を挙げよう。以下のようなことができるのだ。

 1.シナリオツールで村を作る
 2.シナリオツールで洞窟を作る
 3.シナリオツールで村長を作る
 4.作ったそれらをオンラインでサーバーとして立てる
 5.ゲーム仲間をそこに呼ぶ
 6.ゲーム仲間はそれぞれのキャラで村に入る
 7.自分は村長に乗り移って
   「洞窟に化け物が!助けてくれ!」とか言う
 8.ゲーム仲間は洞窟に乗り込む
 9.洞窟の中に化け物を配置して戦わせる
 10.etc

 NWNは、「オンラインでTRPGがグラフィカルにできるツール」ともいえるし、「オンラインRPGツクール」ともいえる。実際に少人数の仲間内で、TRPGのセッションのようにして遊ぶためにNWNを使っている人たちもいれば、常設サーバーとして自作の世界を公開し、MMORPGもどきとしてNWNを使っている人もいる。あるいは人によってはオンラインプレイをまるでしないかもしれない。NWNをどう使うかは、人それぞれ自由なのだ。そしてこの多様性こそが、NWNの真の魅力なのである。

 ただこういう遊び方、つまりTRPGのような遊び方をすることそのものが、遊ぶ人を選ぶ部分が大いにあって、かくいう私も長期にわたってNWNを遊んだわけではなかったりする。でも私の嗜好は別として、NWNのオンラインRPGとしての特異性は疑うべくもなく、そういった点でNWNは歴史的な十分に作品足りえるものだ。前述の通り、ユーザーを選ぶものではあるから、大ヒットすることは金輪際ないだろうけど、こういう既存のものに縛られない作品を世に出すことそのものを、そしてそれがその目的の上で高い完成度を持っていることを、私は高く評価したい。

 NWNはその後、いくつかの拡張パックを経て、NWN2の発売にまで到った。NWN2は残念ながら日本語化されず、しかも非公式日本語化パッチを導入しているとオンラインプレイで支障が出るらしく、オンライン上でチャットすら日本語で行うことができないらしい。だから日本でのNWN2の展開は、皆無とは言わないまでも、非常に非常に小規模で、事実上日本におけるNWNの展開は、NWNの最後の拡張パックまでだったといっても過言ではない。

 そんなわけで日本におけるNWNの世界は、縮小の一途をたどっているようだ。

 しかし、それでも私はNWNというゲームが存在したことを喜び、かつ、願わくばまた同じような「今までなかったオンラインRPG」の登場を期待しているのであった。

EQ2JE: さらにレイド

 前回FTHのレイドに誘われたあとの数日間で、さらに続けざまに3度(うち1度は1度とカウントするものかわからないけど)、レイドに参加させてもらうことができた。私などを1度ならず誘うとは、実に愚k・・・もとい奇特な人々だが、黙っておこう。

 今回いってきたのは、エメラルド殿堂(EH)、甲殻類の洞窟(カニ)、そして写真のロード・ヴァイムの研究所(Lab)だ。基本的にはひたすら着いていって、わずかばかりのダメージソースになっただけなので、取り立てた役割は担わなかったんだけど、そんなコバンザメの私がしかし、各所の感想とかを記しておくのであった。勘違いしている部分は多々あろうが、しったことか!

 ・エメラルド殿堂

 レッサーフェイダーク(LFay)から入る、大自然ゆたかなレイドゾーン。Wikiに情報がなかったので、事前情報無しで参加。殿堂という割にはLFayと同じようなフィールドゾーンで、建物らしき影は見当たらなかった。マップの半分くらいを進んで解散してしまったけど、ひょっとしたら奥のほうに建築物があったのかな?

 難易度的には、前に行ったFTHや、この後にいったカニとかLabに比べても高かったように感じた。そのくせ、立ち寄った箇所に限って言えば、単なるフィールドゾーン風で、いまひとつ面白みに欠ける場所だった。ええい、殿堂はどこだ、殿堂は!

 この参戦で一番感じたことは、とりあえずAEがめちゃくちゃ痛いということだ。装備について、攻撃力と守備力しか見ない傾向のある私をして、SV装備の重要性を実感さしめるのだから、ただごとではない。解散後、私らしくないことに、SV用の生産品指輪&耳輪を3種(魔法系、エレメンタル系、毒病気系)を速攻で買い揃えたよ。このゲームはずばり極論すれば、「AEをどうするかというゲームなのでは」とさえ思えた。

 ん? また参加できる気なのかって? 備えあれば憂いなしなのだ!

 ・甲殻類の洞窟

 フォールンダイナスティのシンの村そばにあるレイドインスタンス。とはいっても、中に入るといきなりボスがいて、それを倒したら終わりという、1戦するためだけのゾーンだ。

 ボスは略称(私がここで便宜上つけただけ)を見てもわかるように、巨大なカニだ。ダメージを与えるペースが一定水準以上になると、雑魚カニを呼び出すという困った仕様なので、ろくに魔法やアーツも使わずに、ひたすらゆっくり殴って倒した。ゆっくりやっても持つだけの耐久力さえあればよいという、ある意味わかりやすく、そして面倒くさいボスだ。

 ・ロード・ヴァイムの研究所

 ロードだって、ロード! EQでロードといえば、Lord Nagafenがまず思いつくわけで、思いつかない人はもぐりなわけで、つまりLordといわれればドラゴンを連想するしかないわけで、そしてやっぱりLabのボスもドラゴンでしたー! ヤホウ!

 つーことで、Lab。ダンジョン進行型のレイドゾーンで、FTHやEHと比べても、だいぶ楽勝な感じの場所だった。人数が多かったせいか、あまり苦戦を感じずに、隅から隅まで敵を倒しつくすことが出来たよ。ドラゴンがボスだとテンションが上がるし、ぽこぽこよさげなアイテムも出ていたので、なんか好印象だった。

 でも、出るアイテム出るアイテムよさげだった割りに、でると他の人が「はずれだ」とかゴミを見るような目で言ってて(妄想)、非常に価値観の乖離を感じたな。くそ、ブルジョワどもめ!

 ってことで、この数日間は、私にしては珍しく、よくレイドなるものをこなす日々になった。うーん、新鮮なぶん楽しくはある。でも、がんばりすぎるとやはり疲れるな。「ほどほど」を忘れずにいくとしよう。

EQ2JE: レイド素人のチビがゆく

 「今晩21時からFTHのレイドに行きませんか?」

 私はレイドというもの、特にハイレベル帯のコアプレイヤー用のコンテンツとして用意されているレイドというものを遊ぶことは、初めから諦めている部分が少なからずあって、自分とは関係のないコンテンツだと思っていた。それは、自分で戦力を用意するつもりがなかったこともあるし、一般応募されているいわゆる野良レイドの募集では、我がシャドウナイトを含む「ファイター職」が、非常に歓迎されていないということを知っていたということもある。

 だから、上記のようなことを言われたときに、真っ先に思ったのは、「この人正気か?」ということだった。

 で、「SHDは不要では?」「迷惑じゃない?」「人あまってない?」「邪魔者なのでは?」というような、被害妄想の権化になったかのごとく質問を浴びせかけてみた。それで結果として、「どうやら参加してもかまわないようだ」ということを確認できたので、恐る恐る、「レイド」というものに参加をしてきた。

 行ってきたのは、無神論者の隠れ家、通称FTH(Freethinkers Hideout)だ。

 できるだけ迷惑にならないように、というか「このSHDうぜぇ」とか思われないように、EQ2JEwikiでしっかりと予習。なんとなく敵の戦術を理解して、最低でもレイドリーダーの指示を、疎漏なく理解できるであろう状態で乗り込んできた。

 んが、結果から言うと、レイドは2匹目くらいのボスで敗退。私は論外にしても、まだ若いレイドチームだったらしく、また、私ごときでも参加できたように、人員も若干名不足気味で、経験、戦力ともにやや不足だったと言うことのようだ。

 とはいえ、全然勝てそうになかったと言うよりは、大人のチームという性格が強くて、時間がきたからどんどん人がいなくなって打ち切った、といえなくもない展開。しっかり人がそろえば、きっといける、という絶望感の薄い敗北だったように思う。

 私としては、金輪際体験できるとは思っていなかった、EQ2JEの・・・というか近年のMMORPGの、「スクリプト攻略型レイド」に軽くでも触れることが出来て、非常に面白かった。この場を借りて、参加枠を設けてくれたレイドチームの皆さんに感謝をするとともに、ここで晒してしまっていることに、ちょっとだけ謝罪する所存。ばれないことを祈ろう、うへうへ。

 しかし、やはり敗北は悔しいな。次はあのおばさんを倒したいものだ。

日記: 2月27日(2008年)

 今日は懐古デーだった。

 きっかけは、なんとはなしにYou Tubeで「Meridian 59」で検索して、ヒットした動画を見たのがスタート。スタートタウンのダンジョンの様子や、フィールドの様子、PvPの様子が動画で流れていて、そのあまりにも情けない挙動と貧弱なグラフィックとが、もう懐かしくて懐かしくて懐かしすぎて、ワタクシ、1発で打ちのめされてしまったのでした。

 そこから、Meridian 59を懐かしみたい気分が全開になってしまった私は、なにか楽しげな情報でも得られないものかと期待して、Googleで「Meridian 59」と打って検索してみた。すると、あぁ、なんということだ、自分のサイトの10周年記念で書いた記事がヒットしてしまったではないか。・・・などと嘆いておきながら、私はなぜか自分で自分の記事を読み始めた。かなりの変態と言っていい。

 企画中でも長文の部類に属する10周年企画のMeridian 59の部分を、しかしせいぜい2,3分程度で読み終えてしまった私は、自分の記事で「Meridian 59の面白い記事を読みたい」という欲求を、あらかた満たしてしまった。ずいぶんと安い欲求だったわけだけど、まぁそんなものでしょう。

 さて、ややMeridian 59へのこだわりがなくなり、でもまだ懐古気分を満喫したい気分になっていた私は、さらにそのままの勢いで、10周年記念企画の記事を、すべて通して読んでしまうことにした。いやー、この記事、多分世界中で一番楽しめるのは私だよ、うん。何もかもが懐かしいもの。

 で、改めて読んでみると、多々加筆修正したくなる部分もあるんだけど、そこはめんどくさいので見てみぬフリ。「うへ、このサイト量だけはあるから暇つぶしにいいな」とか自画自賛(?)しながら、10周年企画を読み終えた私は、「もっとこの記事を書いた素晴らしい人の文章が読みたいぜ!」という、もはや手のつけられないナルシスト症状を呈してしまったため、さらなる懐かしさを求めて、EQ冒険記、DAoCβ冒険記を読み続けることにした。

 いやー、面白いね。誰もそう思わなくても、私だけは私の記録が面白いよ。自分の日記やゲーム記録を読んでいると、恐ろしいほど鮮明に、その当時の記憶が蘇ってくる。画像ではなく、映像として頭の中で再生されるように、蘇ってくるのだ。それが、えもいわれぬ快感なのである。

 これはもう、年単位で記録を残した経験のある人にしかわからないことかもしれないけど、特に最近、現在と記録時点との年次が開いていくにつれて、記録をして読み返すことの面白さ、記録を残すことそのものの貴重さがわかるようになってきた。ただ「覚えている」というだけの場合とは、明らかに違う鮮度を持った記憶を持つことができるのだ。記憶の鮮度を高く維持することができる、という点では写真やビデオでも可能なんだけど、文章で残す場合は「感情」を記録できる点が大きいのである。

 そんなことを強く実感しながら、「ああ、あの時ああしたよなぁ」とか「こう書いてるけど実はこう思ってたんだよなぁ」とか、ひとしきり過去の出来事を懐かしみ、このようなサイトを続けるモチベーションを高めた私なのでした。

 願わくば、10年後、20年後にこの文章を読み返す日が来るといいけど・・・そこまでいくかなぁ?