私の実家の車は古い。
古いからと言って、別にプレミア的な価値があるわけでもなく、ただ単に古い。購入してから10年は経っている車だ。そんな車だから当然装備も貧弱で、オーディオはラジオとCDだけだし、カーナビもない。名づけて、「古くってスイマセン」号。
そんな我が家の「古くってスイマセン」号に、ついに新たな装備が加わった。先々週、実家に帰ったところ、父が嬉しそうに私に言ったのだ。
「カーナビを注文したぞ。ネット通販で。母さんに言われてな」
話を聞くと、どうやらこういうことらしい。私の父と母は、月1くらいで1泊2日の温泉旅行にいくという習慣がある。ところが、先月の旅行先の地方都市で、ものの見事に迷子になってしまったらしいのだ。街中を「ああでもない、こうでもない」とぐるぐる走り回り、やっとの思いで宿に着いた頃には疲労困憊だったとか。それで辛抱たまらず、母の一声でカーナビの購入に踏み切ったらしい。しかし・・・。
―カーナビのことよく調べたの? 実物見ないで買って大丈夫?
と私が訊いたところ。
「・・・まぁ、大丈夫だろ。カーナビが届いたら、お前の家までカーナビ頼りで行ってみるからな!」
という、大変威勢のいい、しかし大変不安なお返事が返ってきた。ろくに調べもせずに購入したことは明らかだ。かくいう私も、カーナビのことは何も知らないので、なんのアドバイスもできない。だけど、嬉しそうに「私の家に行く」と言っている父を見て、どうかいい買い物になってくれるように、と願っていた。
そして今週末。首尾よく届いたカーナビは、なかなか見栄えも良く、当然両親はその操作法の習得に苦戦しているようだったけど、まぁ、そこそこのモノが届いたように思えた。近所のドライブでテスト運用をしてみたところ、まずまずの使用感だったそうだ。「声で200メートル先右折とか言うの。200メートルってどのくらいなのかしらねぇ。きゃはは」とわけもわからないなりに、母も嬉しそうだ。
しかし、父の顔色が冴えない。どうしたのかと思って訊いてみた。すると・・・。
「道がないんだよ。お前の家まで行くのに、新しく道ができただろ。それが・・・ないんだ。そこの部分でカーナビが役に立つと思ったんだけどなぁ」
実家から私の家まで、最短距離で行くルートをとれば、去年新しく開通した道を通ることになる。父はまだその道が開通してから、実際にその道を通ったことがなくて、そういう未知の部分でこそカーナビが役に立つぞ、と購入前からワクワクしていたのだ。だからこそ、購入したら私の家に行くなどとも、言っていたわけなんだけど・・・。
どうやら地図のデータがやや古かったらしい。カーナビに搭載されている地図データは、2007年4月のデータだと記載されていたから、すごく古いというわけでもない(少なくとも我が家の紙の地図のどれよりも新しい)。だけど当然、半年前に開通した道路は載っていないわけで、父の描いた画は実現不可能な画だったわけである。
カーナビに道が載っていないなんてことを、想定すらもしていなかった父の落胆振りは、目に余るものがあった。そんな父を見ていると、私まで悲しい気分になってくる。それで何とかならないかと思って、カーナビについて色々調べてみたんだけど、その結果は「この事実を是認するしかない」という悲しい現実を思い知らされるだけのことだった。
この話を聞いてすぐに、「カーナビの情報が古いんじゃ役に立たんではないか!不良品か!」と私も思ったんだけど、そして、同じように考える人は世の中にいるらしいんだけど、それはどうやら世間知らずというもののようなのだ。例えば、このサイトでは、全く同じ商品に、全く同じ印象を抱き、全く同じ憤慨をしている人がいるんだけど、それに対する返答は、ことごとく冷徹かつ現実的だった。確かに現実的に考えれば、リアルタイムで新しい道の情報をカーナビに搭載することは難しい。カーナビというものは、ある程度「古い情報」であることは、織り込み済みの機器のようなのだ。少なくとも、今の技術では。
インターネット社会に浸りすぎていて、なんとなく地図データくらいはリアルタイムで、最低でも1ヶ月遅れくらいで、自動更新されるような気でいたけど、仕組み上、そんなはずはないんだよなぁ(そういうハイエンド機もあるようだけど)。考えればわかることだけど、思い込んでいたら目が暗くなる、といういい教訓になった。
しかし、残念だ。新兵器で我が家に乗り込むことを、男の子オーラ全開で期待していた父の目の輝きを思い出すと、是が非でも達成させてやりたかった。そんな上から目線の余計な心配を、子である私がしていることが知れれば、そこにこそ父は憤慨するんだろうけどね。
でも、残念だ。