スターリングの鉄道駅からスターリング城にいたる上り坂の途中にあった教会。完全に「もののついで」に立ち寄ったんだけど、予想以上にいい雰囲気の教会だった。
教会に入ると、優しい顔をしたおばさん(修道女なのかどうかは不明)が「どこからきましたか?」と聞いてきた。そこで「日本です」と応えると、「日本語のガイドもありますよ」と各国語ごとの解説紙片が納められているラックのなかから、日本語のガイドを探し始めた。
ラックの各国語の段には、それぞれの言語で書かれた国名と国旗が記されていたんだけど、その中にある「日本の国旗」と「日本語で書かれた『日本語』の文字」を、おばさんはなかなか探し当てられない。それは無理もないことで、たぶん日本の国旗なんて覚えてもいないに違いないのだ。
そこで、私も捜索に加わると、一目で日の丸が書かれた段を見つけ出すことができた。私がラックからガイドを抜き出し、「見つけましたよ(I found it.)」と言うと、おばさんは「オォ!・・・しかし(英語で会話ができている)あなたには、日本語のガイドは必要なさそうですね」などと言いながら、私から日本語のガイドを取り上げ、英語の解説を渡すフリするのだった。そして悪戯っぽい表情を浮かべると、ホッホッホと笑いながら、やがて大股で立ち去っていった。もちろん、私はほとんど英語など話していないので、単なる優しいユーモアだったのだが、それは実に楽しいものだった。
海外の宗教施設を訪問すると、そのコミュニティにおける施設の重みがわからないだけに、どうしても緊張して望んでしまう。それはそれで悪いことではないんだけど、そのせいで観覧そのものに集中しにくいことが多い。しかしこの教会では、はじめにこのような交流を持つことができたおかげで、実にリラックスして教会内を見学することができた。
またそういう面を除いても、この教会はなかなか立派なものだった。日本でいうところの船底天井のような天井に、美しいステンドグラス。そこにいるだけで教会や教義の神性を信じてしまいそうな、美しくも神秘的な空間が、見事に現出していた。
この教会は、かつてプロテスタントとカトリックの対立の舞台にもなったらしく、一時は教会内が2つに壁で区切られていたらしい。今でもスコティッシュ・プレミアリーグのセルティックとレンジャーズに見られるように、完全には宗教的対立が根絶されているとは言いがたいスコットランド。日本人には到底理解できない文化背景だけれども、この美しい教会を分断するような対立は、この先できるだけ無いに越したことはないよなぁ、と思ってしまう日本人なのであった。
ところで、このホリールード教会は、Church of Holy Rude。しかしエジンバラのホリールードハウス宮殿は、Palace of Holyrood House。これはなんなんじゃろ、と思っていたんだけど、ここで読んだ解説紙片によれば、両方とも同じ語源で、「イエスの十字架の磔」を意味するそうだ。Rudeといっても、中指を立てるわけではないわけですな、うむうむ。
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